その世界に含まれるもの

「ようやくお出ましかい、最後の【怪】の七白空くん」

 階段の上の方からそんな声が投げられる。

 俺もよく知っている、俺がこの記憶の中で最初に聞いた声。

 見るとそこにはやはり、小柄な、まるで小学生のような少女が、屋上手前の踊り場に腰掛けていた。

 口笛でも吹くように、楽しげに、退屈そうに、そいつはこちらを見下ろしている。

「ミラか……」

 この少女こそが、この世界を異界化しようという遠見の願いに協力することを選んだ【鏡に映る少女】ミラ。

 俺がこの学園で最初に出会った【怪】だ。

「遠見と袂を分かった、というわけじゃなさそうだな」

「その様子だと、私たちに協力しようという気になった、というわけではなさそうだね」

 視線が交錯する。

 ミラはゆっくりと立ち上がり、静かにその周囲に光をまとう。

 俺もそれに対抗すべく、相性のいい遠見の黒い闇の手を使い、構える。


「初瀬川、お前は下がってろ」

「えっ、でも私も……」

「こいつとは、俺が一人で決着をつけないといけないんでな。頼む」

「……七白くんがそういうなら……」

 なにもできないにもかかわらず今にも飛び出していきそうな初瀬川を下がらせ、俺は一歩、階段を登る。

 そもそも初瀬川は水の気配のないここではほとんど無力なはずなのだが、それでもあそこまでミラに対して強い敵意を見せるあたり、よっぽど精神面での相性が悪いのだろう。

 しかしそれでも、ここは譲れない。

「まさか、お前とこうして戦うことになるとはな」

 俺がもう一段上に足をかけると、ミラの周囲に無数の輝きが生じる。

「私もまあ、意外といえば意外だよ。最終的にこうなることは想定していたけれど、まさかこうも早く自体が動いてしまうとはね。君とはもう少し上手くやっていけると思っていたんだが、状況は変わるものだ」

 ミラが言葉を切ると、周囲の光がさらに鋭く輝きを増す。

「じゃあ、始めようか」

 そして手を振り、その輝きが光の矢となって降り注ぐ。

 俺も黒い手でその矢をかき消しながら、階段の上、ミラの場所を目指して駆け上がる。

 とにかく、ミラに接近戦を仕掛けられるところまで行かないと話が始まらない。

 だが相手はあのミラだ。

 当然、俺の動きを見越して立ち回る。

 四方から無数の矢を放ち、槍のごとく伸ばした光を薙ぎ、俺の足を止めて後退させる。

 そもそも階段の上部を抑えられているため、戦いはどうしても受け身に回らざるを得ない。高さは強さだ。

 攻撃そのものに苦労するわけではないが、こちらの行動を上手く制限、誘導されて、どうにも先に踏み込みきれない。

 攻防としては一進一退なものの、こちらだけが消耗し続ける結果になりつつある。

 先程からこの繰り返しだ。

 三歩進んで三歩下がるばかりで、まったく前に進めていない。

 そんな風に上から俺を見下ろして、ミラがまた声をかけてくる。

「それじゃあ、あらためて聞こうじゃないか。君がこの先を目指し、あの遠見を阻止しようとする理由はなんだい? ちゃんとした目的は見つかったのかい?」

「ああ、簡単なことだった。俺は世界を救いたい」

「フム、なるほど、そう来たか。実にシンプルだ」

 ようやく懐まで飛び込み、ミラの剣と俺の黒い手が激しくぶつかり合う。

 だが、そのまま押し切って無理やり突破しようとする俺の足元を、ミラの足から伸びた鋭い光がなぎ払う。

「そこからも出せるのかよ!?」

 間一髪でなんとかその光を回避するが、狭い階段の上ではバランスを保ちきれず、それを立て直そうとして五段ぐらい後方に下がってしまう。

「そこからもなにも、私は【怪】だぞ、手や足などにこだわるほうがおかしいだろう?」

「そういうことか……」

 こちらを見下ろすミラを睨み返し、再び攻め入ろうと構え直す。

「どうした。やはり君の決意などその程度か? それではここに来た意味がまったく無いじゃないか」

 攻撃とともにミラはそんな煽り文句を飛ばしてくるが、それに言葉を返す余裕は今の俺にはない。

 必死に思考を巡らせ、打開する策を練るので精一杯だ。

 自分に残されている武器を考える。

 なにか手はないか?

 ……いや、そうか、『手』なら、ある。


「おや、もう万策尽きたのかい? 足が止まっているぞ」

「さあ、どうだかな」

 俺はミラから五段ほど下で、その挑発に対して勝利の笑みを浮かべてみせた。

「なるほど、どうやらまだなにか隠し玉があるらしいね。なら、それをあぶり出してみるとしようか……」

 ミラはこれまで以上の、無数の光の矢をこちらへと向ける。

 そして合図とともに、一斉にその矢が俺めがけて降り注ぐ。

 その間隙を縫うように、俺も一本の腕をミラに向かって撃ち放つ。

 殻田の記憶から真似した、人体模型の腕だ。

 まばゆい矢の雨に紛れてその腕は飛び、ミラがそれに気付いたときには、そこはもうこちらの間合いだった。

「ほう、殻田の腕を飛ばしていたのか。でも、その腕の精神支配能力は私たち【怪】には通用しない。それは君だって知っているはずだろう?」

「もちろん、精神攻撃はな。だが、俺が使えばこういう事もできたりするわけだ」

 意識をその腕に集中する。そして別の記憶の引き出しを同時に開く。

「なっ……!?」

 その時のミラの驚いた顔は見ものだった。

 普段余裕ぶっているやつがこういう顔をするのを見るのは実に愉快だ。

 その顔が見られただけでも、この手品は大成功だろう。

 そこで起こった出来事は至極簡単だ。

 俺の飛ばした【殻田の腕】から【遠見の黒い闇の手】が伸びたのである。

 真似事しかできない俺の、どの怪にも真似できない渾身のあわせ技。

 先程のミラが足から光を伸ばしたのを、早速真似させてもらった格好だ。

 その闇がミラの肩口をえぐり取り、バランスを崩したところに俺の本体が一気に突入する。

 光はまだ飛んでくるが、精度はない。

 この程度のなら、俺の身体が多少ボロボロになるだけだ。

 形勢逆転。

 今や俺が階段の上部に位置し、ミラ完全に抑え込んだのである。


「まさか、そういうことまでできるとはな。なるほど、これは私の負けということ だな。これ以上やりあっても消耗し合うだけということか」

「まあ、そういうことだ。そもそも、先に隠し玉を出したのはお前だ。俺の前で隠し玉を出せば、それを真似させてもらうのが俺の力だからな」

 諦めたようにミラは階段に座り込む。

 そして肩をすくめ、戦意が喪失したことを示してみせる。

 それでも、態度だけはまだまだ特大であったが。

「それじゃあ、あらためて聞かせてもらおうか。君はどんな理由で、この先の遠見を止めに行く? 世界を救うなんて言っていたが、そんな単純な話でもあるまい」

「単純な話なんだけどな。今の俺の世界はこの世界で、あの第三新聞部の部長殿を助けたい。それだけのことだ。俺は自分が【怪】だという実感なんぞなにもないが、第三新聞部の部員であることは確実だからな」

 それこそが、ひとつ見つかった自分の居場所だ。

「なるほど、それが君の世界の定義というわけだ」

「他人事のように言っているが、お前もその世界に含まれるんだぞ?」

「はあ?」

 俺のその言葉に、ミラは心底不思議そうな顔をした。

「当然じゃないか。お前も第三新聞部の部員だろう、七白ミラ。お前だけじゃない、初瀬川も、遠見だってそうだ。俺が守りたい世界というのは、そういうものだからな」

「ふっ、あははははっ! なにをいうかと思えば、君はまた、とんでもないことを考えたものだ。でもまあ、願いなんてものは、それくらい欲が深い方がいいだろうな」

 ひとしきり笑うと、ミラはゆっくりと立ち上がり、こちらに向かって今度は意味深な笑みを向けてくる。

「ならば、さあ、行こうじゃないか。君の世界とやらを守りに」

 そして俺たちは再び階段を登り始めた。

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