日本史B
白居ミク
100年に1度の年号暗記!これで歴史に杭を打つ!
前100年 倭人“100”余国「漢書地理志」
(100も国があると言ったら想像がつくと思うが、戦争が絶えなかったらしい。特に稲作が入ってきてから、身分社会ができると、遺跡も堀があったり、高台に作ってあったり、外敵を意識したつくりになっている。
その一方で、船が得意だったらしく、すでに朝鮮の南端と行き来があった。だから中国の歴史書にも載っているのである。)
後57年 “ゴウカナ”(豪華な)金印 嬉しいな
(『後漢書東夷伝』に出てくる「奴国」の王に送られたらしい。福岡県志賀島で実際に見つかっている。)
107年 “イレイナ”(異例な)献上 生口(奴隷のこと)160人
(同じく『後漢書東夷伝』に出てくる。戦争が絶えなかった。)
239年 “フミク”ださい(文下さい)と 女王卑弥呼
(『魏志倭人伝』にでてくる。争いが絶えなかったが、卑弥呼が治めはじめて、収まったとか。その後男性が継ぐとまた争いが絶えなくなり、結局この時代ものをいうのは、呪術とか祭祀とかである。中国も1世紀ごとにほとんど国家が入れ替わっている。ちなみに魏の後は晋)
350年 “サアゴウレイ”(さあ号令)だ ヤマトが統一
(大和政権が国内統一)
471年 “シナイ”(竹刀)にぎって ワカタケル
(埼玉県稲荷山古墳で、年号入りの「ワカタケル」の銘の入った鉄剣が出土。
倭王武が、征服戦争で関東まで支配を広げていた証。熊本県にも似たような鉄剣が出土している。
ちなみにこの人、かなり残酷な性格で、兄弟殺し、変装、だまし討ち、女性をたぶらかす…と、征服のためには手段を選ばない人だったらしいが、そのおかげでヤマト政権は五王の内でも特にこの人物の時代に、領土を広げたらしい。その物語が今でも残っている。かの有名な「ヤマトタケル」だと言われている。)
538年 仏教伝来 “ゴサンパ”い(ご参拝)
(欽明天皇が百済王から仏像と経典をもらう。
実はその前にも、継体天皇に渡来人が仏像を献上しているので、伝来は、「552 “ゴゴニ”(午後に)仏教伝来す」でもOK )
645年 “ムジコ”(無事故)の世作り 大化の改新
(中大兄皇子が蘇我氏を殺して皇太子になる。最初は叔父の孝徳天皇を立てた。その次に自分が「天智天皇」となった。側近に中臣鎌足、国博士に旻・高向玄理。)
(この後も動乱に次ぐ動乱。白村江でも大敗北(663“ム、ムザン”(無残)な死傷者白村江)。亡命者も大勢入ってきて、このあたりから反乱と策謀の血みどろ朝廷史の始まりである。特に、天智天皇、弟で娘婿の天武天皇、娘の持統天皇、あたりはまだよかったのだが、ひいひい孫の孝謙天皇(女性)の時代に、立て続けに乱がおこって、内乱はほとんどこの天皇の時代に起こっている。持統天皇が死んで、次の文武天皇になると、やっと「大宝律令」(701年 日本がナマイ(生意)気 大宝律令)が出されて、都はそれまでにもできていたけれど、ようやく中身も体制が整ってくる。ちなみにこれを出した「藤原不比等」が、娘を妃にするという手段を編み出し、やがては摂関政治を行う藤原氏の祖先である。)
794年 “ナクヨ”(鳴くよ)うぐいす 平安京
(桓武天皇が京都に都を築く。それまでも何回も遷都していたが、ここだけは長持ちして、今に至る。)
894年 “ハクシ”(白紙)に戻す 遣唐使
(菅原道真が宇多天皇に言う。これ以降国風文化へ)
939年 “クサク”(苦策)の挙兵 効果なし
(「承平・天慶の乱」平将門が関東で「新皇」を名乗り、藤原純友が西国で海賊を率いて反乱した。地方武士の興隆が始まる。これを皮切りに乱もたびたび起こるが、いつも中央が勝つ。)
1052年 “センゴニ”(戦後に)始まる 末法思想
(末法時代が、1052年から始まると言われていた。(ハルマゲドンみたいなもの?) 後世を願って寺院もたくさん建てられた。)
1192年 “イイクニ”(いい国)作ろう 鎌倉幕府
(やっと武士の政権が来た。中世の始まり。頭は武家貴族の源頼朝。祖先は皇族。でも実際に動かしているのは、関東武士の北条氏一族。)
1221年 “イタッ ツツイ”(痛っ!つつい)て反撃 承久の乱
後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒を目指すが、逆に破れて隠岐に流された。
1333年 “イチミサンザン”(一味散々) 鎌倉滅亡
(別に鎌倉が滅ぼされたわけではないが、北条一族は一族郎党全員が死んで、幕府は京都に移った。これ以降室町幕府となる。
後醍醐天皇という野心家の天皇が、反乱を起こしては流され、また企て、とやっているので、鎮圧に向かった「足利尊氏」が、鎌倉幕府を裏切り、天皇側につき、さらに呼応して鎌倉を新田義貞に攻められた。結果滅亡。
この後、尊氏と後醍醐が、武家の方が上か、公家の方が上かでけんかして、不安定に。結局後醍醐が負けて、逃げて吉野に勝手に朝廷を立てるが、貧しかった。そのうちに吸収合併される。)
1467年 “ヒトヨムナ”(一夜空)しい 応仁の乱
(義政将軍時代、将軍の弟と将軍の正妻が部下を巻き込んで11年も争った結果、京都は焼け野原となり、将軍の信頼も失われ、各地で強い者が勝手に支配する、戦国時代に突入する。)
1543年 “イゴヨサン”(以後予算)食う 鉄砲伝来
(種子島漂着のポルトガル人から、2挺の鉄砲を入手。堺の商人が量産に成功する。時は戦国、高価だが強力な武器として、戦国武将が争って買う。
ちなみにキリスト教は、「1549 イゴヨク(以後よく)ひろまる キリスト教」で、ザビエルが伝える。鉄砲のすぐ後。)
1600年 “ヒーロ~~~~~!”(1600) 天下分け目の関ヶ原
ごろ合わせがちょっと強引だけど、1600年でちょっきりしているから、数字のまま覚えても大丈夫だと思う。有名すぎるが、徳川家が勝って、豊臣家が負けた。この3年後、家康が徳川幕府を開く。
1716年 “ミンナイロン”(みんな異論)なし 享保改革
(徳川3代で、せっかく幕府の基礎が固まったというのに、ここに至るまで、5代綱吉が政治をひっかきまわし、生類憐みの令を出したうえ、側近の荻原重秀がまた悪くて、貨幣は悪鋳するわ、賄賂は横行するわで、ガタガタになったのを、6・7代で、新井白石が元に戻したり、廃止したりして、ようやく8代目で、「暴れん坊将軍吉宗公」の出番となる。この改革で、財政を何とか立て直したが、大飢饉と年貢の引き上げ(平たく言えば増税)で、庶民は苦しんだ。)
1867年 将軍の“イチハムナ”(位置は空)しく 大政奉還
(鎖国を続けているがための外圧、もともと無茶ばかり押し付けるから嫌われていたための内圧、等々、なんやかんやで幕府が大政奉還。明治が華々しく始まり、今までの鎖国の反動か、一気に欧米化が進行。)
1936年 “ヒドクサム”(ひどく寒)い日 クーデター(二・二六事件)
(本当は、「1937 イクサナ(戦長)引く 日中戦争」とか、
「1941 イクヨーイ(行く用意)できた 戦争開始 (太平洋戦争の始まり)」とかのほうが、超重要事項なのだが、この二・二六事件は、ものすごく覚えやすい! 2月26日は、確かに寒いはずだ。
陸軍の青年将校らが、2月26日、軍人内閣を作るため、大臣や警視総監を殺して回った。首相や何人かは奇跡的に助かったが、暗殺は成功し、何人もの大臣がこの日に死ぬ。この4年前、1932年にも、「五・一五事件」で、こちらは海軍の将校が、首相の犬養毅を、殺している。首相の最後の言葉は、「話せばわかる!」である。陸軍と海軍はいつも張り合っていた。
クーデターの首謀者は処刑されたが、この後は軍人が軍部大臣を務め始め、ファシズムの道へと突き進んでいくことになる。
実際、日中戦争もこの翌年に起こっているしね!)
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