エピソード・窓辺の君1

 エレナにとって窓は、ドア以上に外の世界とつながっているものだった。なぜなら彼女の住んでいる屋敷のドアは、お父様が仕事をしに行ったり、たまに黒い服と立派な帽子を被ったお客様が入ってくるために使われるものであって、自分が通るためのものではなかったからだ。生まれたときから心臓にやまいわずらっていたエレナは、お医者様から、きっと長生きはしないだろうと言われているのを知っている。お父様はそれをエレナに隠しているつもりでも、態度や言葉から、伝わってくる。

 エレナはそのことについて、あまり悲しいとは感じていなかった。というよりも、死がどういうものなのか、彼女はよくわかっていなかったのだ。

 エレナの部屋は、大きな屋敷の二階にあった。そこの窓からでも、白い石の敷かれた街道を見下ろすことはできるのだが、エレナが好きだったのは、一階の書斎にある、通りに面した大きな窓である。書斎は明るい時間にしか入ってはいけないことになっているけれど、そこの窓からは色んな人の顔が見られるし、タッタ一人しかいない友達にも会えるのだった。

 今日も彼女は、柔らかな風が吹き抜ける窓辺に置かれた、自分用の椅子に座り、新しく買ってもらった海にまつわる冒険の物語を読みながら、メグが現れるのを待っていた。メグはエレナよりも歳が二つ下の、元気の良い女の子である。メグの家にはエレナの家ほどに本が無いらしく、彼女はエレナの読んだ物語をよく聞きたがった。またエレナも、メグの通っている学校での生活や、日常のお話を聞くのが好きだった。二人はとても仲が良くて、お互いのことならほとんどなんでも知っていた。

 だけど、この日彼女の窓辺に顔を覗かせたのはメグではなくて、見覚えのない、背の高い一人の少年だった。質素な服にはやや見合わない、キレイなつば付きの帽子を被った、金色の髪の男の子である。

「……あなた、誰?」エレナは記憶を辿りつつも、質問をする。

「エレナって……お前だよな?」

「お前って言わないでよ、名前知ってるんじゃない」エレナは少しムッとして、あごにシワを寄せている少年の顔を睨みつけた。「それで、あなたはどちら様?」

「……俺、サイモン」少年はバツが悪そうに答える。

 その名前は、知っていた。

「あ、メグのお兄様ね?」ぱっと心が沸き立ったのを感じながら、エレナは窓から身を乗り出した。「はじめまして! あれ、メグはどうしたの?」

「だから俺は……それを言いに来たんだ」サイモンはため息混じりに、窓の横、いつもメグがもたれかかっているのと同じ場所に寄りかかった。「メグは、来られなくなった」

「どうして?」

「学校で事故があったんだ。作業ゴーレムが転んで、メグは下敷きになって足を怪我した」

「事故って……えぇ!? 事故ですって!?」エレナは身を乗り出す。「怪我したって、だ、大丈夫なの!?」

「大怪我だったら、俺だって来らんねえよ」サイモンは皮肉っぽく笑う。「しばらく歩くのは止められてるけど、ピンピンしてるさ。ただ、おま……じゃなくて、エレナにちゃんと、しばらく会えないって伝えてくれって、メグに頼まれたからさぁ……って、おい、大丈夫か?」

「ご、ごめんなさい、ちょっと、大きな声出しちゃったから……」キリキリと痛む心臓を抑えながら、メグは深呼吸する。「そう……大きな怪我じゃないなら、良かったわ」

「……ま、そういうことだから」そう言ってサイモンは背筋を伸ばし、ちらりと彼女を見た。「俺はもう帰るよ」

「あ、待ってよ」エレナは思わず引き止める。「もっとお話できないの? メグからあなたのことは良く聞いてるわ。足が速いんでしょう? 私、男の子と話すのって初めてよ」

「……いや、あの、今日は用事があるんだよ」なんだかしどろもどろに、サイモンは首を掻いた。「それに、俺と話して、どうすんだよ……」

「私は嬉しいわ。同い年なのよね?」エレナはもう少し、食い下がる。「そっか……用事があるのなら、仕方がないけど……でも、用事があるのに、わざわざここまで来てくれたんでしょ? ありがとう、サイモン」

「……シムって呼んでくれ」帽子をギュッと深くかぶりながら、サイモン……シムは、そっぽを向いた。

「わかったわ、シム」

「じゃあ明日、また来れば……いいのか?」

「もちろんよ! 待ってるわ」

 シムはチラリとこちらを見て、何か言おうとしたようだけど、急にお腹を壊したみたいに顔を赤くして、サッと駆け足で走り去ってしまった。

 そのうしろ姿がアッという間に離れていくのを見送りながら、エレナは一人、クスクスと笑っていた。

(あら、本当に足が速いんだから……)

 痛む胸を押さえながら、彼女はまた窓辺の椅子に腰を落ち着ける。

 サイモン……シムか。確かに、メグとちょっと目元のあたりが似ているかもしれない。さよならも言わずに走って行ってしまうなんて、よほど急ぎの用事があったのだろう。その合間にわざわざ彼女に会いに来てくれたのだから、明日はちゃんとお礼を言わなくちゃいけない。

(そっか……メグは、怪我しちゃったのね)

 メグにしばらく会えなくなるのは寂しかったが、おかげで新しい友達と出会たのかもしれないと、エレナはそう思うことにして、読みかけの本に向き直った。

(早く明日にならないかしら?)


 その夜、お父様が家に招いたのは、丸い眼鏡をかけた、大きな男の人だった。灰色のコートと黒いシルクハットを被った、少しおっかない感じの人である。最初、エレナはその人を新しいお医者様かと思ったので、玄関でお辞儀をしてから、お医者様なのでしょうかと聞いたのだが、男の人は何も言わず、お父様も「いや……」と、煮え切らない返事をしたっきり、つっけんどんに彼女を二階の自室へと追いやってしまった。ただいまのキスも手早く済まされてしまった感じがしたし、エレナはなんだか気に入らなかったけれど、黙って自室で寝間着ねまきのドレスに着替えて、本の続きを読むことにした。

(……お父様、なんだか少し、ピリピリしていた)エレナはそう思った。こんな遅くに人を招くこと自体珍しいことだったし、きっと大事な話をしているに違いない。エレナもエレナで、メグが怪我をしたことや、新しく友達になったシムのことを報告したかったのだけれど、きっと今日は話せないだろう。

「……仕方がないわよね」と、エレナは一人つぶやいて、枕元の明かりを灯した。

 そう、寂しくなんてない。彼女には、本があるから。

 温かいベッドの中で、嵐の海に投げ出された少年の物語に目を向けたエレナの心は、あっという間にハラハラドキドキにめくるめく童話の世界へと羽ばたいていたのだった。


 次の日シムが現れたのは、お昼をやや過ぎた、明るい日和ひよりの午後だった。昨日、時間の約束をするのを忘れていたせいで、エレナはシムはいつ来るかと朝早くからドキドキして窓辺で待っていたし、お昼を食べてる間に来ても大丈夫なように、わざわざ本を重しに書き置きを残しておいたりもした。

 結局シムは、いつもメグが来るのと同じ時間にあらわれた。きっとメグから、その時間なら彼女がいると聞いていたのだろう。

「もとからあれは古いゴーレムだったんだ」シムは空を見ながら、窓脇にもたれ、頭の後ろで腕を組む。「うちの親が学校にいた頃からあったらしいからな」

「あぁ、やっぱりそのゴーレムだったのね」エレナは少し、残念な気持ちでため息をついた。「メグから聞いていたわ。古いけど、みんなに愛されていたんでしょう?」

「危ないから、廃棄しようって話は結構前からあったけど、みんなが反対してたくらいだからな。でももう、事故を起こしちまったんだから、取り壊しだろう」

「かわいそう……」

「ゴーレムは生きちゃいないさ。そりゃあ、ちょっと残念だけど」シムはゴーレムに愛着がなかったのか、なんでもないとでも言いたげに肩をすくめた。「使える部品を流用して新しいのが作られりゃあ、それでみんな満足するよ」

「まあ、冷たいのね。メグはそのゴーレムが好きだったのでしょう?」

「うん。だから、自分が避けられなかったせいでゴーレムが壊されるって、泣いてるよ。どうせいつか壊さなきゃいけないものなのに」

 シムのその説明で、一見薄情に思えたさっきの言葉の真意が読み取れた。「……そうね、メグは悪くないわ。そういうことね」

「は、何が?」シムは横目で彼女を見つめる。

「ううん、なんでもないわ。そうだ、ねえ聞いてシム。私今日、怖い夢を見たのよ」

「……はぁ」

「私ね、船に乗ってたの。大きな船よ。それが嵐にあって、海に沈んじゃったのよ」

「海なんて、見たことあるのか?」

「ないわ。でも、写真はあるの。お父様が買ってきてくれたの」

「写真だって?」シムは驚いたように片目を吊り上げ、口笛を吹く。「すっげえなぁ……いくらしたんだろ」

「そんなに高いの?」

「安物のゴーレムなら買えるんじゃないか」

「へぇ……それでね、夢の中で、私も嵐で海に落ちちゃったの。そうしたら、水の中にね……怖い人魚がいて、私の体をベタベタ触るの。本当に気持ち悪かったわ。あんまり怖かったから、私、夜中に泣いて起きちゃったもの」

「ふーん」シムはあくびをしながら、ニコリともせずため息を付いた。

「あら、冷たい反応。笑ったり心配してくれたりはしないの?」

「んなこと言われてもさあ……俺は同じ夢見たわけじゃないんだぜ?」

 そう言ってまた肩をすくめたシムを見て、だけどエレナは、なんだか面白くなってきた。

「あなたみたいな性格の人、本に出てきたわ」クスクスと笑いながら、エレナはシムのほっぺを突っつく。「そういうこと言う人、なんて呼ぶか知ってる?」

「……なんだよ」

「ひ・に・く・や・さ・ん、よ。シムってとっても皮肉屋さんなのね」

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