#2 この仕事はまったく創造的ではない。

 つぎの瞬間には、すでに別の体の中にいる。

 僕は右手をゆっくりと持ちあげた。きわめてゆっくりと。初めのうちは急に動きすぎない方がいい。

 視界に右手が入ってくる。右手の形をした機械が、僕の今の右手だ。それは濃い緑色をしていて、甲にあたる部分に「SE―D」と刻印がある。これがこの体の名前だ。ザイフリート・デルタ。

 ビジネスホテルの一室ぐらいの空間に僕はいた。僕の巨大な体は、その空間をひとりでほとんど埋めつくしている。

 視界を後頭部カメラに切り替えると、操縦席が見えた。ここは輸送用ヘリの中だ。計器類の向こうにターコイズ色の空が見えた。

 どこを飛んでいるんだろう。それはわからなかった。仕事の場所は事前には知らされないし、事後にも知らされることはない。

 どこを飛んでいるんだろう。

 まあいいや。

 夢から覚めたような感覚があった。

 これが僕の本当の肉体で、さっきまでの、人間の姿でシャワーを浴びていた自分がむしろ非現実だったような。そんな錯覚を覚えた。

 まあ、もちろん実際には、肉体が入れかわったなんてことはなく、現実の僕は元の部屋にいて、ただこれを遠隔操作しているだけだ。

 僕の見ている風景だって、ただ僕が装着したゴーグルのなかに映し出されているだけだ。でも、視界がすべてそれで埋めつくされるので、違和感は意外なほどすぐに感じられなくなる。慣れれば慣れるほど、その違和感の喪失は早くなる。

 すると主観的には、本当に別の身体に入ったみたいに感じるのだ。魂みたいなものが乗り移ったみたいに。たぶん人間の意識は、同時に二つの肉体のなかにいるという感覚をうまく保てないのだろう。


 「降下の、準備、を、してください」

 先ほどと同じ合成音声がひびく。

 僕は視界を前方のカメラに切り替え、ハンドサインでOKの意思表示をする。

 すると目の前の壁が割れ、目の前に空と地平線が広がる。

 眼下にはいちめんの森が広がっていた。森を裂くように、赤土色のラインが見える。たぶん道路だろう。

 自分がいる場所はわからないままだったが、たぶん南米なんだろう、と見当をつけた。日が沈みかけていたから、時差からしてそうだろう。まあ、関係ないことだけれど。

 「作業エリア、を反映します」

 眼下の森に青い長方形が現れる。会社が指定したエリアが僕の視界に反映されているのだ。それはまるで地上絵のように見える。

 「これを確認、して、ください」

 多少不自然な日本語だなと思いつつ、OKのハンドサインをする。

 「作業エリア、に、民間人、は存在しません」

 作業エリア、というのは実質的には戦闘エリアを意味する。

 だが、軍事的な用語は極力用いないのが会社の暗黙のルールらしかった。僕が使うハンドサインも軍隊式のものではなく、スキューバダイビング用のジェスチャだった。

 「すべてのテディベアを、殺してください」

 僕は視界のモードを切り替えた。両足の親指に意識を集中させると、視界のモードが切り替わるようになっている。この体には親指がないから関係ない。

 空がぱっと蛍光パープルに染まる。紫外線視認モードだ。

 もう一度切り替えると、視界が赤外線モードになる。眼下にみえる黒ずんだ森の中に、ぽつぽつと赤い光が見える。なるほど、彼らが「テディベア」だ。

 「すべてのテディベアを、殺してくださいね」

 OKのハンドサインを出す。

 「3のカウントのあと、に、降下してください。3……」

 2、1。僕は飛びおりる。

 僕は落ちていった。

 これから殺すのはテディベア。

 これは地球の裏側の夢。

 僕には関係ない。


 若い木を二本なぎ倒して、僕の体は着地した。

 降下と言っても、パラシュートもなにもない。ただそのまま飛びおりるだけだ。それでも僕の足は折れはしない。衝撃と姿勢の変化に対応するため、数秒間は操作不能になるけれど。この肉体は人間のそれよりはるかに頑丈なのだ。

 わずかに遅れて、離れたところで木の折れる音がした。ほかの「作業員」だ。僕のような者が他にもいるわけだ。とくに今回のような、見通しの悪いところで複数のテディベアを殺すような状況だと、投入される作業員は増える。

 言わば同僚というわけだが、彼らと直接やり取りしたりする事はいっさいなかった。指示はすべて合成音声を通してくる。そもそも、彼らに話しかける方法が与えられていなかった。

 「マーカーを、更新、します。同期、を、確認して、ください」

 体をふたたび同期できるようになると、僕は視界に表示された青い逆三角形にしたがって移動を開始した。そのマーカーにしたがっていくとテディベアがいて、それを殺す。

 実際のところ、これは創造的な仕事ではない。

 ただ合成音声の指示にしたがうのが、仕事の大半だった。

 もちろん、要所要所で人間らしい判断をすることはある。でもそのほとんどは、予期しない障害物を迂回するとか、ドアの影に隠れたテディベアがいたらドアごと撃つとか、その程度のことだ。ようするにカーナビを使うドライバーに要求されるぐらいの判断力だ。

 もう少し踏みこんで言えば、僕のおもな仕事は地形の視覚処理と歩行だった。熱帯の森林みたいな環境の中で、視界から重要なものを読みとり、行動を選ぶ。障害物をなぎ倒すべきかあるいは迂回した方がいいかとか、視界が曇ったときにそれがただの霧かあるいは敵のスモークか判断する、みたいな。

 ようするに、創造的な仕事ではない。

 若木をなぎ倒しながら、マーカーにしたがって進んでいく。

 ひらけた場所に出た。すすけたテントがふたつ。古びたジープがひとつ。いくつかの切り株に食器や工具のようなものが置かれていた。そしてテディベアが5匹、簡易キャンプのようだった。

 テディベアは実際には人間だ。

 人間だが、僕の目にその姿が映ることはない。この体のレンズには間違いなく人間が写っているはずだが、その映像は僕が見るまえに検閲され、腕が長いいびつなテディベアに置きかえられる。

 僕が見ていたのは紫色のテディベアだった。自然界に存在しないようなパープルだ。背景から浮きあがるような色に設定される。

 テディベアたちは僕が来ることを予期していたようだ。木をなぎ倒しながら来たのだから当然というところだろう。彼らはジープのうしろに隠れていて、僕から見えるのは荷台に乗った一匹だけだ。

 見えないが、彼らの位置はほぼわかる。彼らがいると思われる場所に青いマーカーが表示されているからだ。軍事用の追跡システムだということだけ説明されている。

 荷台にいたテディベアが身を乗りだし、何事か叫んだ。しわがれた声だ。意味はわからないが、いくつかの節に分かれた長い言葉だった。翻訳システムはこれを翻訳できなかった。ということは、少数言語かなにかだろう。

 「これを無視、して、ください」

 合成音声が指示する。もちろんそうする。それしかできない。

 叫んでいたテディベアがこちらに銃を向けた。武器類やそれらしいものは画像検閲されず、そのまま僕の視界に表示される。

 彼は発砲した。たぶん弾は当たってるんだろう。当たってるんだろうというのは、この体には痛覚がないからだ。それにダメージもない、一般的な対人用の弾丸では、この体に意味のある傷は負わせられない。

 「11時の、方向から、射撃、されて、います」

 言わずもがなのことを合成音声が言う。

 「情報を、更新、します。これを、確認して、ください」

 視界に小さな長方形が現れ、銃の名前がコメントとして追記される。なんだか望んでもいないサービスを受けているような気になる。自分を撃っているアサルトライフルの名前なんか知っても、仕方がない。

 おおむね、テディベアたちの使う武器は、最新式のものじゃない。裕福な国では採用されなくなった旧型の歩兵銃か、使い込んだような猟銃、銃すら持っていない場合も多い。

 「反撃して、ください」

 僕は腰に固定された銃を手にとった。そう、銃を手に取るのだ。奇妙なことだが、僕のこの体には武器はいっさい内蔵されていない。武器は外的なものを使う。

 なぜなら、この体は、あくまで特殊な作業をするための遠隔操作ロボットという建前になっているからだ。つまりブルドーザーやクレーンと同じ種類のものだ。ところが兵器を内蔵――たとえば機関銃なんかを手に埋めこむとか――してしまうと、これ全体が兵器ということになってしまって、それが会社として困るらしい。

 だから攻撃するときは、人間と同じように手で銃を持って引き金を引かなければいけない。同じように、と言っても、人間が持ちあげられる重さの銃ではないのだけど。

 こちらを撃ったテディベアを撃った。

 一瞬だった。テディベアは破裂し、綿とキャンディをぶちまけて倒れた。血や臓器、グロテスクなものは検閲され、すべてお菓子や綿の映像がかぶせて視界に表示される。

 この視覚検閲システムは、僕の心を守るためのものらしい。

 任務を遂行した結果として、あまりグロテスクなものを見てしまうと、僕の精神に負荷がかかるから、それを取りのぞいてくれているのだという。

 じっさい、ふざけたCGのクマに置きかえられるだけで、人間という気がほとんどしなくなる。

 もちろん、実際は人間だ。

 僕もはじめは抵抗を感じた。罪の意識のようなものを感じた。でも、これはこの仕事で学んだことだが、罪の意識を感じるのは簡単でも、罪の意識を感じ続けるのはとても難しい。

 そしてそれができるほど、僕の想像力は強くなかったらしい。すぐに何も感じなくなった。スーパーで売ってる肉がなんなのか知った子供みたいなものだ。はじめショックを受けるが、すぐにハンバーグは食べるようになる。

 「作業、を、つづけて、ください」

 僕はそのまま前進し、ジープを蹴飛ばした。かなり古い型の日本製のジープだった。それは横転し、影に隠れていたテディベアたちを下敷きにした。

 回りこんで、車の下敷きになったテディベアたちを撃っていく。僕は自分の使っている銃のことをよく知らないが、民間の車両ぐらいならひとたまりもないらしい。じっさい、彼らの頭部は消え、綿とキャンディが視界の大半を埋めつくす。それがなんなのか考えなくてもいい。

 二体のテディベアが下じきから抜けだした、片方はこちらに背を向けて逃げだした。そちらを撃った。

 そのテディベアは下半身がなくなった。それは這うようにしてこちらを見た。キャンディと綿菓子につかるようにして数回無意味に動いたが、電池が切れたようにとまった。

 もう一度になるが、この仕事はまったく創造的ではない。

 はっきり言って、ゲームよりよっぽど簡単だ。ゲームだったら、少なくとも敵にはそれなりの歯ごたえがある。そちらの方がまだ難しい。

 生き残った一体のテディベアは、しばらく動かなかった。呆然としていたのかもしれない。表情はわからないけれど。

 何を思ったのか、彼は向かってきた。

 彼はぼくに抱きついて、次の瞬間、視界が濁った。

 焦った。でも、何事も起こらなかった。

 視界がクリアになる。

 足もとに無数のキャンディが散らばっているのが見えた。

 キャンディは彼のいた場所を中心に、円く散っていた。

 そうか、自爆したのか。と理解するのに数秒かかった。

 「この、状況を、知らせて、ください」

 機械はこの状況を処理できなかったようで、僕に報告を求めた。僕は彼が自爆したらしいことを説明した。

 「デルタ?」

 人間の声がした。「状況は?」

 男性の声だった。機械のオペレータが音を上げて、管理者が介入してきたのだろう。英語なまりだったが、日本語もできるようだ。

 「自爆ですね」

 「ジバク?」

 彼には自爆という単語が通じなかった。

 「あー……スーサイド・アタック……ウィズ・グレネード」

 僕は単語を探しながら説明する。

 「ああ、カミカゼ」

 彼はそう言って、納得した。

 「画像を確認しました。問題ないです。機体に損傷もなさそうだ。心理的ショックは? 継続できますか? オペレーションはほとんど終わっているが、回収地点に移動させられますか」

 「まったく問題ないです」

 「ではこれで。サンキュー」

 管理者は引っこみ、機械音声に切り替わる。

 「これを、了解、しました。問題、ありません」

 くり返すが、この仕事はまったく創造的ではない。

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