十一

 次の朝、和久田は自室のベッドで目を覚ました。フェルミは普段のように彼を迎えに来はしなかったばかりか、学校に来てさえいないようだった。

 教室に入ると、武藤がちらりとこちらを見て、また机の上の文庫本に視線を移した。和久田はふと武藤以外の視線を感じ、教室中をさっと見回すと、確かに自分を見ているものがちらほらいる。後ろから肩を叩かれ、振り返ると、西門が立っていた。彼は和久田の耳に顔を近付け、そっとささやいた。

「昨日武藤ちゃんと帰ったんだって? いや、俺もお前が手ェ引かれてるの見たけどさ:

「ああ、うん」

「そのことでいよいよ盛り上がってるみたいだ」

 それきり言って西門は自分の席に戻っていった。

 孤高の佳人たる武藤と、和久田、との取り合わせは奇異に見えるようだった。そうでなくとも昨日の、和久田の手を握るというよりつかむようにして、彼を半ば引きずっていくかのように、大股で廊下を歩いていく武藤を見れば。只ならぬものを……何か事件めいてさえあるものを感じたかもわからない。

 何も言えず何も手につかないまま彼は席について、日々のルーチンと同じ要領で授業の準備を進めた。

 間違いなく、フェルミにはできなくとも和久田には、ディングを得ていても人間である和久田には、人を殺すことができる。そしてフェルミはその気になれば人間の頭に特定の意志を埋め込むことさえ可能だ。和久田はフェルミ瑠美がそんな風に人を操る位格personaの持ち主だと思いたくなかった。しかし和久田は同時に、彼女がパルタイであることを、人間の《存在への意志》を奪い、それを食って生きながらえることにまるで良心の呵責を感じない人外であることも知っているのだ。

 昼休み、武藤からLINEでメッセージが届いた。

『フェルミから何か連絡はありましたか』

 向こうの携帯には和久田の電話番号はまだ残っているはずだが、結局これまで使われたためしがなかった。一切音信不通だという旨を打ち込み、隣の席に座ったままの武藤に伝えた。既読が付く。するとその時、また別のアカウントからメッセージがあった。

『二人で青い花行こうか』

 西門である。

 喫茶青い花は一城高校から自転車で三十分ほどの距離にある。コーヒーと甘ったるいドリンクと分厚いパンのサンドイッチが売れ筋で、今年で開業から四半世紀を迎えるという。

 二人が入ると、偶然にも店主を除き見知った顔は一人もいない。並コーヒーと「吐くほど甘い」と評判のラッシーを手に一番端の席の向かい合った低い椅子に腰を下ろした。ソファのように分厚いクッションが表面を覆っている。ストローでラッシーを吸う。甘い。目が覚める心地がした。

 和久田は未だ赤みのとれない目で西門を見た。ともすれば不気味にさえ見える武藤とは違って、彼は見る者に負の印象を与えようのない好青年だった。また和久田にないものを持っていた。まず背が和久田より頭二つ高い。身体測定では百八十センチという記録を叩き出している。ネーデルラントの血を継いだ顔立ちは実年齢よりも大人びて見えた。そして何より、西門は和久田とちがって、和久田のように致命的なへまをしたりはしない。荒れに荒れていた母校で生徒会長を務め、その荒廃ぶりを一年で大幅に改善するなんてことは、和久田には到底できそうにない。

 世間話に花を咲かせながらコップの三分の一ほどを飲み終えた頃、西門がそれとないふうに言った。

「結局徹はさ、高校でもあれはやらないの? 正義活動」

「ああ。もうやらないさ。完全に足を洗うって決めたんだ」

「正直お前一人がそこまで気に病むことでもないと思うぞ。あれは人間一人じゃ、まして中学生一人じゃどうにもならないことだった。お前の方法は間違ってなかったはずだ、そうだろ?」

「方法の話じゃない」

 和久田は思った。ああ、西門もなぜおれが正義活動から足を洗ったのかわかっていないのだ。和久田は嶋の転校や知念への処分を止められなかったことを悔いて正義活動を止めたのではない。自分には……例えば西門のように……最善の方法を選択しようがないと確信してしまったから、これ以上の正義活動の無意味を悟って、止めることにしたのだ。

「方法の話じゃないんだ。そういうことじゃないんだ、光生(こうせい)。あれはもうおれがおれだったから起きたことで、もしも俺の立場にいたのがお前だったら、そもそもあんなことは起こらなかったんだ。何も起こらなくて、誰も損をしないで済んだ。おれがお前みたいだったら、もっと有能な人間だったら、もっと優秀だったら、おれは失敗せずに済んだのに……お前がうらやましいよ光生。タッパはある、顔だってよほどいい、髪伸ばしても鳥の巣みたいにならないしさ。大淀中で生徒会長やったのだって、おれじゃあどうにもならなかっただろうよ」

「艶はあるし、ワックス付けずにあの髪型になるのもそれはそれでいいと思うけど」

 携帯電話のバイブ音が鳴った。くぐもっていた。和久田の携帯だ。しかし彼は画面の確認どころか取り出すこともせずそのままにしておいたので、しばし間が生まれた。

「いいのか?」

「いいよ。……本当にさ、どうしたらいいんだろうな。おれにはお前みたいなことはできないのに、お前みたいになりたいと思ってるんだよ。どうせ失敗するってわかりきってるのに。もしもおれがお前みたいに有能だったらって」

「おれはそこまで有能な人間じゃないよ」

 西門が言った。

「知らないだけで失敗だって一度や二度じゃない」

 そうか、と和久田が言って、また間が生まれた。立て続けに携帯電話が振動するので、さすがに煩わしくなって電源ボタンを押して待機画面を見ると、大量のLINEメッセージが届いている。井坂からだった。

「LINEか何か?」

 西門が問うたが、和久田はその問いに答えることができなかった。

『おう徹』

『帰り際武藤ちゃんから居場所聞かれたから』

『光生からもちょっと話は聞いてたし』

『多分一緒に青い花にでも行ってるんじゃないかって伝えといた』

『そろそろ青い花に着くと思う』

『なんかフェルミがどうとか言ってたぞ』

『(お、三角関係か?)』

『泣かすなよ~』

 ぶつ切りに送信されたメッセージを読み終えた彼は無言のまま西門に画面を突き付けた。文面に目を通した西門もぎょっと目を剥くと、見計らったかのようなタイミングでドアベルの軽い音が聞こえてきた。西門は正面のまま、和久田は体を百五十度ほどねじって、左奥の位置にあるドアを見た。

 扉を開けて入ってきた影は、鋭い目付きを右へ左へと走らせて店内を見渡し、和久田の目を両方とも捉えると、まっすぐ彼と西門の座るテーブルへ向かってきた。そしてテーブルとテーブルの隙間、二人のちょうど間に立つと、一言「西門さん」と言った。彼は呆気にとられたのか、間の抜けた感じで「はい」と返事をした。

「少し席を外していただけますか」

 武藤はそう言ったが、西門はまだ中身のあるコップを持って軽く氷を鳴らす以外微動だにしない。

「まだ残ってるんだ」

「そこをお願いします」

「あー」

 和久田を見て、そのまま武藤に言う。

「それは、どういう用事で?」

「極めてプライベートにかかわることです」

「そう」

 西門は、今度は露骨に武藤と和久田とを交互に見た。

「フェルミちゃんも関係してることかな?」

「はい」

「三角関係?」

 途端に武藤の顔が歪む。白い肌に瞬く間に皺が寄って、暗い影が小さくそこかしこに浮かび上がった。決して図星を突かれたからではない、西門の問いの軽薄な感じが気に食わないのだと和久田にはわかる。しかし……。

 彼女はその苦虫を噛み潰したような顔のまま、今度は「いいえ」と言った。

「へえ、違うんだ」

「違うよ、光生」

 和久田はつとめて声色の固く暗くならないよう気を付けながら言った。

「三角関係じゃない。恋愛の話じゃないんだ。そうだな、実存にかかわることなんだよ」

「実存?」

「忘れて」

 やはり軽薄な笑顔のままの西門だったが、今度は本当にわかっていないようだった。

「おれからもお願いしたいな、光生、すまないけど今日は、今、ちょっとだけでいいから、外で待っててくれないか」

「いや」

 応えて彼は言った。

「帰るよ」

 結局西門が折れ、飲み物の代金は武藤が払うことにして、彼は出て行った。直前まで彼が腰かけていた椅子に座るでもなく、立ったまま和久田を見下ろして言った。

「フェルミが二日続けて学校を休んでいますけど、本当に何もないんですか」

「こっちが何してるか聞きたいくらいだよ」

「じゃあ他に何か私にしてほしいことはないんですか。まさか本当に踏まれるだけだなんて」

「もっと他にもいいっていうなら、早めに考える」

 武藤と顔を合わせたことで、引っ込んでいた思考がまた意識の表層に浮上してきた。和久田の中にいる怪物は、やはりフェルミが武藤を排除するために和久田の心に埋め込んだものなのだろうか? ディングの使い方はともかく、その細かい仕様について和久田はまったく聞かされていなかったから、憶測で判断するよりほかなかった。

 前触れなく武藤が言った。

「やっぱりフェルミみたいな女が好みなんですか?」

「は?」

 フェルミみたいな、女?

 和久田が質問を噛みくだき理解するより早く武藤がまくし立てた。

「ボンキュッボンっていうんですか? バストもヒップもあんなに露骨で。それは胸があればできることも増えるんでしょうし、あれに比べたら私なんて洗濯板みたいなものだって自覚はありますけど、でも男子高校生はそれこそ……だって聞きますよ」

 まくし立てながら武藤はスカートの端をつまんで持ち上げた。舞台の緞帳が巻き上げられていくようにスカートの前が上がっていくと、濃紺の生地を背にして真っ白い腿が露になっていく。眩いばかりの白……和久田の目を釘付けにした脚は、普段はかように無防備に空気に晒されるはずのないものだった。

「和久田さん、本当に、本当に、私の体じゃ解決できませんか? 私の体でできることなら何だって、本当に何だってするつもりです」

 沈黙。

「駄目なんですか」と、またしても武藤。

「私の体じゃ駄目ですか。私じゃ駄目なんですか。胸が大きくないとできないこととか、そういうのが、和久田さんの願いだっていうんですか」

 武藤は唇を噛んで、震えながら、今にも泣きそうになって言った。

「もしこういうことでないとしても……」

 武藤はスカートから離した手で和久田の手を取り、真剣そのものの目で和久田を見た。

「私が手伝えることなら何だって手伝いますから、だから、後生ですから、教えてくれませんか。和久田さんがフェルミに願おうとしたこと。あるんでしょう? 何か願いが、《超常》、パルタイにでも願わなければどうにもならないような願いがあるからフェルミは和久田さんのもとに現れた。違いますか?」

 願い。そうだ、一月の終わり、あの時、確かに和久田は今なおあの英雄クウガ、そして彼を窮地から救い拳以外の力を与えた天道に憧れを抱いていた。しかし四月の初めに武藤を知ってから、和久田の心はすっかり別の何かに支配されてしまったかのように様変わりしてしまっている。

 彼女が初めて和久田と接触したとき和久田の願いは、叶わないとわかっていながら、戦士クウガのような、あるいは天道のような、力と知恵とを用いて人を守り助ける存在になることだった。だがフェルミは『叶えちゃいけない願い事』すなわち《怪物》の願いの成就がむしろ望ましいと言った。

 後者は武藤には叶えられそうもない用件だった。彼女は親友の命を奪った《ビオス》を殺すまで死ぬわけにはいかないのだ。また、怪物がフェルミに埋め込まれたものであると仮定すると、そもそもこれは和久田自身の願いではないということになる。では前者を叶えるのか? それこそ《超常》の力が必要になる。

 フェルミが成就を狙う願いは何か? 和久田が願っていることは何か?

 和久田は答えられなかった。答えられず代わりに口から出たのは、「どうして……」という、武藤への問いだった。「どうして武藤はこんなことをする?」

「赤の他人の願いなんてどうでもいいだろ。おれはフェルミからいろいろ聞いて、少しはパルタイの契約のことも知ってる。あいつはおれを特別扱いしたがってるようだけど、さすがに《存在への》……魂を取られるようなものにサインするつもりはないぞ。それにフェルミと連絡する方法なんてもう全然ないって言ってもいいくらいなんだ。ゼンダーも武藤が壊したからあれで連絡とることもできない。それに何でもするだなんて、何されるかわからないのに、言うもんじゃないだろ」

 和久田は堪えきれなくなって目をそらした。これ以上何でもするだなんて言われたら、本当に殺したくなってしまう。本当は殺したくなんかないのに。

「あと、そうだ、《ビオス》を探してるって言うなら今度フェルミに会った時におれも聞いてみるしさ。多分あいつのことだからまたひょっこり出てくるぞ、そしたら、ビオスっていうパルタイに似た噂のこと知らないか、みたいな感じで、聞いてみるからさ。真面目に答えてくれるかはわからないけど。だからさ武藤」

 武藤は何も言わずに聞いていた。ただ引き結んだ唇が段々と血の気を失っていった。

「どうしてパルタイを殺す必要があるっていうんだ? 武藤はビオスを追ってて、近付くためにパルタイも嗅ぎ回ってるって話じゃないか。だったらパルタイを一々殺さずに泳がせておいた方がどう考えたっていいに決まってる。わざわざ危険を冒してまで殺しに行かなくたって、その方がむしろ武藤の利益のはずじゃないか」

「ふざけないでください」

 武藤が小さな声で言った。

「パルタイは人を殺すんですよ、そんなものを放っておけるわけないじゃありませんか」

「武藤、おれが言いたいのはさ、なにもフェルミを殺す必要なんてないって話なんだ」

 武藤の口が閉じた。息を吞んだようだった。

「そうだ、一番はそこなんだ、武藤。おれがフェルミと縁を切ったらあいつを殺しに行くだなんて、そんなことしてほしくない。お前にとってはどうだか知らないが、おれにとってはあいつは通学を一緒にするクラスメイトで、二カ月前に越してきたお隣さんで、それなりに仲のいい奴の一人なんだ。そいつが殺されそうになってるのをみすみす見逃すなんて、おれにはできない」

 和久田が言い終えても、武藤は何も言わなかった。だから、店内には誰の声もなく、和久田にはすっかり耳慣れてしまったジャズの音色だけがあった。

「それに、そうだ。もしおれがフェルミに殺されなかったとしてさ、そのおれが仮に十五人殺したとしよう。すると武藤はおれ一人を助けたがために十五人を間接的に殺す羽目になるわけだ。十四人のマイナスだ。つまり何が言いたいかっていうとな、おれを助けたところでどうにもならないってことだ」

「和久田さんは人を殺したがっているとでも?」

 先よりさらに小さな声で武藤が言った。負け惜しみのようにも聞こえた。

「そういうわけじゃない」嘘をついた。「単に例を挙げてるだけだ。何かいいことを、自分がいいとことと思ってしたことが、回り回って悪い方にことを動かすなんて、よくあることじゃないか」

 そうだ、よくあることだ。クウガに憧れて、天道に憧れて、二度とも失敗した。和久田がクウガや、天道や、あるいは西門のようになるのは、結局、それこそ《超常》の力でもなければ不可能なことなのだ。

 それに、フェルミから聞いた話じゃ……話を続けようとした和久田だったが、そこで口が止まった。意識してやったのではない。ただ外部の刺激に気付いて、口や体の動きが止まったのだ。熱風が産毛をちりちりと焼くような感覚。全身の皮膚を羽毛で撫で回される感覚。フェルミに近いが、似て非なる……パルタイの顕現の気配。

 二人は同じ一点を見た。入口すぐ、カウンター奥で椅子に腰かけまどろんでいた店主の瞳が、鮮やかな紫色に輝いた。

『「寄生」、』『と』『「支配」』『なら』

 脳に直接文章を書き込むような調子の、声ともつかない声が、和久田の頭に響いた。まさに超能力、尋常ならざる者の声であった。

『お任せあれ、てふ』『わけ、でありますなア』

 操られているだろう肉体がぎこちなく立ち上がると、くたびれた臙脂色のベレー帽が床に落ちた。紫色をした瞳の縁から黒い涙がこぼれて頬を流れた。

「武藤」

 彼女の《黒兎》には半径何百メートル圏内の《超常》を感知するレーダーのようなものがある、とフェルミが言っていた。気付いていたのか、と聞くよりも早く彼女は首を横に振った。

「気付いてたら真っ先に攻撃してたでしょうよ。なんでわからなかったのかが不思議です」

 カウンターから出てきた店主の首が油の足りない機械のように武藤の方を向いた。声は操られた体が発しているようでもあり、彼に取り憑いた何者かが発しているようでもあった。

『余計な力を展開しなければあなたのレーダーも探知できないということは、フェルミによって証明済みなれば』

《パルタイ》フェルミがフェルミ瑠美として一城高校に生徒として入り込んでいたことには、彼女がその正体である童女の姿を現し、和久田がその名を呼ぶまで、武藤も気付いていないようだった。あの原色の髪と瞳の姿に変化せず、あるいはケルペルを展開しなければ、武藤には気付かれようがない。そして目の前のこのパルタイもまた、同様の手口で二人に近付いたのだ。

 それにあなた、と喫茶店「青い花」の店主、もとい彼の体を目下乗っ取っているパルタイが、ぎこちない動きで和久田を指さして言った。

『フェルミがケルペルを貸与したでしょう、複製の貸与なのでディングにありまするが、主であるフェルミがそのディングの居所を把握できないという道理は無しというわけであります』

 ディングを通じて和久田の居所を把握していたフェルミが彼らが「青い花」に来るより早くこの紫のパルタイを送り込み店主に「寄生」、武藤のレーダーにもかからない状態で身を潜めながら頃合いを見計らって、ちょうど今になって姿を現した、というわけだ。

 真っ先に黒兎の姿を展開して飛び出すと思われた武藤だったが、歯を食いしばりながらも、外を一瞥したきり動かなかった。西門はいつの間にやら姿を消していた。

「フェルミの知り合いですか」

 これ以外に何と表現すればいいのだろう? 語彙を持たない和久田は目の前の《超常》と思しきものにとりあえずそう問うた。

『いかにも私はパルタイ【2zwei】紫purpurの《寄生Parasit》ニールス。今日はフェルミからのメッセンジャーとして馳せ参じ候』



 紫のパルタイニールスは所々芝居がかった口調で要件を述べた。昨日今日とフェルミが高校を休んだのは《パルタイ》としての業務に追われていたためであり、具体的には《超人》を目指す先駆けとして彼女が打ち立てた新たな計画の賛同者とコンタクトを取り、諸々の約束を取り付けていたこと。計画の核に和久田があり、そのために彼が今後他のパルタイから友好的或いは敵対的な接触を受ける可能性があるため注意してほしいということ。

『なんでも、鎧型のザインだとか、なんとか』

 鎧。否が応でもクウガを彷彿とさせる言葉に和久田は顔をしかめた。フェルミの奴、人の気も知らないで勝手になんて計画を進めているんだ。

「なんでまた、ぼくがその候補になるんですかね」

『細かなることはフェルミにしかわかりませんから私には何とも言うべかめれど、曰く適正がどうとか、なんとか』

「敵対的っていうのはまたどうしてなんです。《超人》を目指すっていうのはパルタイ共通の目標のはずじゃなかったんですか」

『そう単純な話でもあらざるということに候』

 曰く、いかに超人を目指すかという点で意見が分かれて、親フェルミ派と反フェルミ派とでもいうべき勢力へと内部分裂してしまったらしい。尤も八人全員が仲違いしたわけではなく中立派というべき者もいて、ニールスは曰く「親フェルミ派寄りの中立派」だというのだが。

『超人はパルタイと人間の相の子、中間にあるもの。人間にディングを貸し出すのみならずザインを、それも本人の自由に扱えるように与えるなど、その人間がパルタイに近付きかねない、つまりは《超人》化の、いわば乗っ取りが起こりかねない行為だというわけであります。あくまでもパルタイはパルタイによってのみ《超人》に至るべきと主張せる派閥こそあれ。わたくしめとしてはフェルミはむしろ人間の《超人》化を狙いたるのではないかとさえ思い侍る。といいますのも彼女の願いは尋常の方法では、パルタイの力をもってさえ不可能な事柄でありますゆえ……』

 フェルミの願い?

 その言葉を聞いた和久田は奇妙な感じにとらわれた。その言葉が言いようのない違和感をはらんでいるように思われたからだ。パルタイが願いを持つなんて、そんなことがあるのか? パルタイにとって願いというのはそれを叶え対価として《存在への意志》を譲り受けるものではなかったのか。

 ――ニールス、無駄なことは喋らないでよろしい。

 ニールスの声を遮って別の声がした。

『噫フェルミ、如何されますか』

 どこからか聞こえてくるフェルミの声は、どうやら店主を介して別の場所から二人に声を送るニールスの、いわば本体の傍から発されているらしかった。

 ――ひとの願い事なんて、本人以外が一々具体的なものを言うことじゃありませんよ。

『成程、それもそうで』

 何やら耳を傾けるような動きをするニールス……どうやらフェルミが耳打ちしているらしい。小さくぼそぼそとした声が聞こえてくるが、何を言っているのかまでは理解できなかった。

『成程。では和久田様、それからアリス様、わたくしはこれにておさらばにございます』

 突然店主の体ががくがく震えだし、膝から崩れ落ちた。目から、口から、鼻から、紫色の流体が流れ出て、空中の一点に収束していく。

『敵、と言ってよいのかわかりませんが、反フェルミ派の筆頭の一は、【5fuenf】緑gruen《不定形amorph》フリオロフです。重々お気を付けますよう、と、フェルミからは以上です』

「待ちなさいニールス!」

 武藤が叫んだ。

「答えの真偽はともかく一つ質問があります、《ビオス》という名前に聞き覚えはありますか!」

『《ビオス》? 知っていますとも』

 一点に収束した流体、ニールスは、消える寸前に言葉を残して、そして消えた。

『我らがインテリジェンスなればなり』

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