第9話 血の匂いに誘われて

「…よし!終わった!!」

自分が担当している区域で最後の部屋の整備が終わった時、達成感を感じていた私は思わずそれを口にする。

その部屋にあった時計では、夜中の3時頃を指していた。

 そろそろ、仮眠に入ろうとする客が出てきそうよね…

私は時計を見つめながら、そう思う。晩餐会は夜の9時開始で、午前4時終了らしい。泊まらずに帰る客も若干いるが、昼間は陽射しがある関係で泊まっていく客は多い。

『後は、メイド長に報告をしたら仮眠の時間でしょ?』

「…うん。今日は彼も、客の接待があって手が放せないね…」

サティアの問いかけに同意する。

『…いや、そういう意味で言った訳ではないんだけど…』

「え?」

彼女が急に呆れたような口調で話すので、私はつい首を傾げる。

『…まぁ、とりあえずはいいわ。さっさとこの部屋を出ましょう?』

「そうだね」

首を縦に頷いた私は、部屋のドアに視線を上げ、そのまま歩き出す。

「!」

靴の音と共に、人らしき者の気配を感じる。

しかし、足音の数からして二人ほどのようなので、すぐに客室を利用する客と、ラビクリト家の従僕フットマンだと気が付く。

「セイダ様。こちらが客室となっております」

「…うん」

ラビクリト家の従僕フットマンがそう案内しながら扉を開き、その直後に少し高めの声が響く。

本当は部屋に待機しているのはあまり良くないが、出くわしてしまった以上は挨拶をせねばならない。扉があり、客と使用人が入ってくるまで私は黙ってお辞儀をしていた。

「…あれ。叔父さん家ちのメイドさん?」

私の姿を見た客人は、不思議そうな口調で従僕フットマンに尋ねる。

「はい。最近増えつつある、東洋人の家女中メイドにございます」

再びお辞儀をして顔を上げると、そう述べながらが笑っていない従僕フットマンが目に入る。

 …「さっさと退散しろ」って言いたげなね…

『…そうね』

私への睨み方からして、早くいなくなってほしいんだろうと私達は悟る。

「…では、わたしはこれで。何かございましたら、遠慮なくお呼びください」

「私も失礼致します」

あのまま睨みつけられるのは流石に怖かったので、私も従僕フットマンに続いて部屋を退室する。


 部屋を出て廊下を数歩歩いた後、前にいた従僕フットマンが立ち止まる。

「…お客様が客室を利用される前に、退室しろとメイド長から聞いていましたよね?」

「すみません…」

その使用人は眉間にしわを寄せていたので、結構怒っているのだろう。

しかし、反論はできないので、素直に謝罪した。

「…それに、あの場に長くいれば、いつ喰われるかわかったものではないし…」

「?」

「…いえ。それでは、わたしも失礼いたします。貴女も、早く自分の持ち場に戻るように」

私にそう告げた従僕フットマンは、足早にその場を去っていく。

 さて、私もニコラさんの所に戻ろうかな…

そう思い、私は止めていた足を動かそうとする。すると―――――――――――――

「そこのお嬢さん」

「!」

後ろから声が聴こえたので振り返ると、開いた扉の前に先程の客人が立っていた。

「私…ですか?」

「そう!…ちょっと来てくれない?」

「あ…はい!わかりました…!」

手招きで来るよう促した青年を見て、私はゆっくりと歩き出してくる。

「…如何されましたか?」

その男性の目の前にたどり着いた私は、何用かを尋ねる。

自分の目の前に立っている青年は、金髪碧眼で割と“美形”といえそうな人物だ。そして、色白い肌をしているため、エレクと同じ吸血鬼だと思われる。

 何か問題があったのかな?

そう思いながら返答を待つ。そして、手をゆっくりと動かすかと思ったが――――――

「!!」

目で追えないくらいの速さで、相手は動き出す。

以前訪れた時代で培った“忍”の勘で、相手が何かを仕掛けようとしたのは何とか気が付いた。しかし…

 速い…!!!

忍の瞬時対応を持っても相手の方が早く、気が付けば両腕を掴まれていた。

「ふうん…。人間のくせに、意外と素早いね」

「痛っ…!!」

私の腕を掴む相手の手に力が入り、痛みの余り顔をしかめる。

「私に何用…ですか!?」

痛みを感じつつも、何とか言葉を絞り出す。

「…ああ、そうそう!一応自己紹介してあげるよ。僕はセイダ・ミリオネル。母がラビクリト伯爵の妹だから、エレクの従弟に当たるかな」

「…では、セイダ様。私、まだ仕事が残っているので、その手を放して戴けますか?」

私は殺気を放ちつつも相手は客人という事もあり、丁寧な口調で進言する。

鋭い眼差しで睨みつけているつもりだったが、相手が動じる気配は全くなかった。

「あ…!!?」

私の左腕を掴む手が離れたと思いきや、一瞬の内に目の前へと身体を引き寄せられてしまう。

「さっき、廊下でとても甘くて良い血の匂いを感じたんだよね。で、匂いの元は何処かな?と思ったら…」

口を動かしながら、金髪の青年は掴んでいる私の右腕に自分の鼻を近づける。

その仕草は、匂いを嗅いでいるようだ。

「…やっぱりね。先程すれ違った時に、君の身体から匂って来たんだ」

「!!」

そこまで聞いて、私はやっと思い出す。

 さっき、違う部屋にいた時に薔薇の棘でやられた切傷…あれの止血をしないで廊下に出たから…!?

それに気が付くも、一つ疑問が生まれる。それは、あの時は周囲に人の気配を感じなかったので、その場にいたのは私一人のはずだ。なのに、どうして私の血の匂いを感じ取れたのかを――――――――――――

「どうやら、君が噂の“エレクに気に入られたメイド”のようだね」

「っ…!!?」

その言葉を聞いた途端、全身に鳥肌が立つ。

顔こそ優しそうな笑みを浮かべているが、目がまるで笑っていない。獲物を見つけた肉食動物のように、碧い眼がギラギラしていた。

「…一応言っておくけど、抵抗しようとか考えないでね。君は見たところ護身術が使えそうだけど、一使用人ごときが主人の客に手を出すなんて…許されるはずないしね」

「い…やっ…!!」

抵抗できないとはわかっていてもやはり人間の防衛本能なのか、その腕を振り払おうと足掻く。

「ん…!!?」

左手で頭の後ろを掴まれ、気が付くと彼の唇が私の唇と重なっていた。

穏やかそうな見た目に反した、強引なキス。普通の恋人同士なら嬉しい感覚かもしれないが、見ず知らずの他人にされる程嫌なものはない。しかも、吸血鬼の青年がキスしてきた要因も、恋人同士がするものとまるで違った。

『こいつ…唇から血を…!!?』

それに気が付いたサティアの声が頭に響く。

相手はキスをしながら私の唇を牙で傷つけ、そこから血も吸いだしたのだ。

 息が…!!!

早くなる心臓の鼓動を感じながら、口を塞がれているので息苦しい感覚も同時に味わっていた。

「ふふ…甘くて美味しいね。…エレクが執着するのも、わかる気がするなぁ…」

唇を一旦離したときに、セイダは呟く。

『沙智…沙智…!!』

サティアが私の名前を呼ぶが、当の私は恐怖で頭の中が真っ白になっていた。

『くっ…!』

悔しそうな声が頭の中に響く一方、相手の視線は違う所を向いている。

「…ねぇ、首からも飲んじゃ駄目…?」

『…って、こいつ…この子の了承も得てないのに、勝手に触らないでよ…!!!』

優しそうな口調で問いかけるがその手は、私が着ているブラウスのボタンを一つずつ外そうとしている。

 いや…嫌だ……怖いよ…!!

臓器補助機の関係で両手両足が動かなくなっているので、心の中でしか叫ぶことしかできない。また、脳裏ではエレクの顔を何故か思い浮かべていた。


「ぐっ…!!」

恐怖で瞳を閉じた直後、壁に何かが衝突する音と共に、うめき声が部屋中に響き渡る。

『ガキんちょ…!!』

サティアの声が響いた後、私は恐る恐る瞳を開く。

するとそこには、眉間にしわを寄せたエレクが立っていた。

「てめぇが意気揚々と席を外していたから、もしやと思って来てみたら…」

エレクは、苛立ったような口調で声を張り上げる。

彼は私の前に立ちはだかるようにして立っているので、その表情は見えない。しかし、後ろで立っていても彼が殺気を放っているのがよくわかる。餌を横取りされそうになったのが嫌なのか、それとも――――――――――――――――

「…やぁ、エレク。久しぶりだね」

壁に蹴飛ばされていたセイダは、何事もなかったかのように爽やかな笑みを浮かべながらこちらへ歩いてきた。

「何が“久しぶりだね”だ。来るたび、俺様に嫌がらせばかりしやがって…」

「まぁ、今回はー…偶然の賜物だったりもするよ?」

「あぁ?」

彼の意味深な台詞は、エレクを余計に苛立させる。

「晩餐会中、屋敷の中をそれとなく散策していたら…ちょうど、甘くて強い血の匂いが漂ってきたんだ。時間は短かったから、ほんのちょっとの出血だったんだろうけど…」

そう口にしながら、彼は私の指先の方を見つめていた。

 …やっぱり、さっきの切傷…

「切傷だぁ??」

私が薔薇で負った切傷の事を思いだしていると、心を読んだエレクがすぐに反応を示す。

「…何はともあれ、今日の目的は果たせたし…部屋を移動した方がいいよね?」

上目使いをしながら、確認を取るセイダ。

そんな彼の背後には、エレクの馬鹿力で亀裂の入った壁が映っている。

「…へっ!本当なら野宿させてやりてぇくらいだが…仕方ない。違う部屋を手配させるよ」

「ありがとー♪」

エレクの了承を得たセイダは、すぐに荷物として持ち込んでいた鞄を手にする。

そうして部屋を出ていく時―――――――

「…それにしても、その。普通の人間とは思えない匂いと血の持ち主だよね…何者なのかなぁ?」

エレクとすれ違った時、セイダは彼に何かを呟く。

自分の事で精一杯だった私は、そんな彼の台詞を聞く余裕はまるでなかった。


金髪碧眼の青年が部屋を去り、部屋は静寂を取り戻す。

『…とりあえず、その唇についた血くらいはふき取っときな』

「う…ん…」

呆けていた私はサティアの台詞ことばで我に返り、メイド服の裾を口に当てて出血を抑えた。

「…おい、てめぇ」

「!」

背中越しに、エレクの声が聞える。

そこに殺気のようなものも感じたが、私の表情が青ざめたのはそれだけが理由ではない。

「さっき考えていた“切傷”って…お前…」

「…ごめんなさい…!」

後悔の念でいっぱいな私は、目元に涙を浮かべながら謝罪をする。

「客室整備中に偶然、薔薇の棘で指を切ってしまって…。止血をせずに一度部屋を出たから、こんな…!」

『沙智…』

サティアの声が響く中、私のからは、とめどなく涙が流れる。

 私…何て軽率な行動をとっていたんだろう…!!

涙を流しながら、私はひたすら後悔をする。今回はセイダという青年が匂いを嗅いだだけだったが、あれが複数の吸血鬼ヴァンパイアに嗅ぎつけられていれば、おそらく私は吸血と称して殺されてしまうだろう。自分が死ねば、相棒たるサティアも危うくなり、何よりも「知識を記憶して集める」使命を果たせなくなってしまう。

「本当に…ごめ…」

謝罪をする私の頭の中が、段々霧がかかり始める。

 頭痛…?

意識が薄れて初めて、強い頭痛と高ぶった感情によってかいた汗の存在を知る。臓器補助機は四肢や肺部分にあっても、流石に脳の中にはあるはずがない。でも、何かを予測してたかのように起こる頭痛は、次第に弱まっていく。

「おい…お前…!!?」

『…後悔と自責の念。…それと、先程の恐怖とストレスで気を失ったのね…』

すると、私が倒れているのか、頭上で彼らの声が聴こえる。

“気を失った”という発言や周囲が真っ暗な所を見ると、私は瞳を閉じて地面に横たわっているのだろう。

「…だが、頭を抑えていたような気がするが…」

『頭痛…?』

その後、数秒間だけ彼らの間に沈黙が続く。

『四肢と心臓の臓器補助機は、私が支配している。だが、この子の頭痛は少しおかしい…。まさか、奴らが…?』

「…キーキー女…?」

暗闇の中、何かを呟くサティアと不思議そうにしているエレクの声が聞こえる。

サティアが言う“奴ら”とは、何を指しているのか。それを考えながら、私の意識は次第に遠のいていくのであった――――――――――――――

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