第7話 波乱な日々の幕開け

「宜しくお願い致します」

私は自己紹介と挨拶をして、頭を深く下げる。

お辞儀をして頭を上げたが、その人物――――――ヴァルドル・ラビクリトは身体を反対側に向けて立っている。おそらく、書類に目を通しながら私の挨拶を聞いていたのだろう。ほんの一瞬だけこちらに視線を向けたと思うと、すぐに書類へと視線を戻す。

「…では、旦那様。失礼致します」

すると、隣にいた年配の女性の一言で私も再度お時儀をし、その場を後にする。


家女中メイドって、何だか面倒くさそうねぇ…』

屋敷の廊下を歩いている時、サティアがポツリとつぶやいた。

今回、私たちが到達した時代が“産業革命で発展したイギリス”。例のごとくこの時代の服を調達し、人が多いと聞いて訪れたここロンドンで、何故か名門伯爵家にて家女中メイドをするはめになってしまったのだ。

何故メイドすることになったか――――――――――具体的な理由は私にもわからないが、他の使用人らの間では、“東洋人で珍しいから”と噂されているらしい。

その後、この大きな屋敷に暮らす伯爵家の家族構成や、どのような事業をやっているのかといった説明が、この60代くらいの家女中メイドの長・ニコラからあった。その後、この屋敷で仕事する上での注意点を言われる。

「旦那様御一家は、主に夜の活動が多いです。そのため、我々もそれに合わせねばならぬため、昼夜逆転となります。なので、仮眠は昼間。皆が交代しながら取るので、覚えておくように」

「は…い」

今の注意点を聞いた時、私は違和感を覚える。

この時代の貴族って経営者が多くて、普通は昼間に仕事するはずだよね…?

『この家独徳のルールとかかしらね?』

心の中でそう考えていると、サティアがそれに乗ってきた。

「また、ここで見聞きした事は、外部には絶対に漏らさない」

「はい」

「では、仕事の説明と実践に移ります。…ついてきなさい」

そう命じられた私は、ニコラさんの後をついて歩き出していく。



「失礼いたしまーす…」

メイド服で動くのにいくらか慣れてきた後、私はこれから起床する伯爵の一人息子の部屋を訪れていた。

どうやらこの仕事は新人メイドが毎回通る関門みたいらしく、他のメイドがいる前で普通に説明を受けたのだ。内容は、起床した息子のお茶の用意や執事が来るまでの雑用。

中に入ると、部屋は薄暗くて静かだった。時間が17時くらいだったので、カーテンがされた窓からは夕日が垣間見える。

薄暗いからわかりづらいけど、やっぱり贅沢な暮ししているのかなぁ…

部屋の壁際には大きな絵が描かれた額縁があったり、高そうなランプがあったりとすごくおしゃれに見える。

暗幕付のベッドって…

一人息子が寝ているベッドは、暗幕付きの物。研究所の人から、「古代のお姫様なんかはこういったベッドで寝ていた」と聞いた事あるが、男性でも使うというのは驚きだった。

『女の趣味を持った変態かもね!』

サティアってば・・・

このとき、サティアが相手を小馬鹿にするような台詞ことばを口にした。しかし、彼女の言葉を、全否定はできなかったのである。

しかも、天井から垂れさがっている暗幕も完全に閉まりきっているわけではなく、少しだけ開いていたため、中の様子が少し見える。

綺麗な顔立ち…。同じ年齢には見えないな…

のぞき見した私のに映ったのは、蒼色と黒の入り混じった髪を持つ青年。その瞳は閉じられているので瞳の色とかはわからないが、肌色が白人にしてはかなり白いのが目立つ。

…あまりのぞき見は良くないよね…

そう思った私は、部屋の隅に運んでいたティーセットを乗せた台車の方に足を進める。

「…待てよ」

「!」

すると、後ろから少しハスキーな声が聞こえる。

思わず振り返ると、そこには先程までベッドで眠っていた青年がいた。

「…お前、誰だ」

寝起きのせいなのか、いくらか不機嫌に見える。

しかも髪の色とはまるで違い、瞳は血のように赤くギラギラしている。腕にできた鳥肌を気にしつつも、ニコラさんから教えられた事を思い出す。

「ほ…本日からラビクリト家の家女中メイドとしてお仕えさせて戴く事になりました、緑山沙智と申します。宜しくお願い致します、エレク坊ちゃま」

私は、ニコラさんから教わった通りに挨拶をする。

相手はいぶかしげそうな表情をするが、すぐに納得したような仕草をした。

「…毎回ご苦労なこった」

「?」

ボソッと何か呟いたようだが、はっきりと聞きとる事はできなかった。

「きゃっ…!?」

すると、青年は突然私の右腕を掴んだ。

「ふーん…東洋人か…」

「エレク…様?」

掴まれた左腕から痛みを感じつつも、何故こうしたのかという疑心の方が強かった。

今はログインしていないので記憶はできないが、この時代のイギリスは貿易関係で中国との親交があったため、イギリス国内に中国人が多く住んでいる。なので、東洋人はさほど珍しくはないのが現状らしい。

『このガキ…もしや…!!?』

サティア…?

サティアの声音からして、彼女も緊張しているのがわかる。だが、何を予想して今の台詞を言ったのか、流石にそこまでは私にもわからない。

「…何も知らねーようだから、教えてやるよ。何故、新しいメイドは最初、俺の所に来なくてはならないかを」

「ちょ…何を…!?」

エレクはそう言いながら私の左腕を引っ張り、歩き出す。

ベッドに放りだされた時に思わず目をつむり、再び開くと、青年の顔がすぐ近くに見えた。心臓が強く脈打っている音が気になっていた私は、いつの間にか押し倒されたような態勢になっているのにまるで気がついてなかった。

「このメイド服も邪魔だな…。全部剥ぎとってやるよ」

「きゃぁぁっ!!」

突然右手がブラウスの裾に触れたと思うと、力任せに破いてしまう。

何、この馬鹿力…振りほどけない…!!?

抵抗しようにも、相手による腕を抑える力が強すぎて、それは無理に等しい。

それを実感したのと同時に、手足の自由が利かなくなる。サティアが制御しきれず、臓器補助機が危険を察知して、自動的に手足の動きを止めたのか。

「貴方は…一体…?」

身体が恐怖で動かない中、唯一動かせる口を動かして言葉を発した。

自分の表情かおはおそらく、恐怖に呑みこまれて真っ青であろう。相手はそんな状態を見て意地悪かつ満足そうな笑みを浮かべながら口を開く。

「…人間ひとよりも知能が高く、夜を闊歩し闇夜に君臨する者…」

そう口にした蒼髪の青年は、まるで舞台に立つ役者のような雰囲気だった。

『まさか…実在していたなんて…!!』

高まる鼓動と、頭に響く人工知能サティアの声。そこで何となく気が付く。ただし、他人からどんな存在か軽く聞いただけであって、“彼ら”の名前まではわからなかったが―――

吸血鬼ヴァンパイアだ」

「!!」

その名を聞いた時、ヴィンクラのログインによる振動と共に、何か言葉で言い表せないような衝撃を感じる。

こんな危機的状況で初めて、ログイン相手が見つかったからなのか。その理由を知るのは、しばらく先となるのであった―――――――――


「…何だこれ」

吸血鬼とわかった青年の口から、犬みたいな歯が見え隠れしている。

状況からいって血を吸われる所だったが、彼は他の人間にはない“ある物”に目が入る。それが、私が首に身に着けている量子型端末機・ヴィンクラだった。ヴィンクラは通常、正面から見るとはっきりとは見えづらい(装着者の首の太さにもよる)。しかし、首を傾けると見えてくるので、そこから血を吸おうとする吸血鬼からしてみれば、真っ先に目に入る代物だろう。

「邪魔だな、これ…」

「!!」

不満そうな声でそう述べたエレクは、冷えたように冷たい右手で私のヴィンクラに触れる。

その時、私は冷たい手で首筋に触られたという事よりも、ヴィンクラを引きはがそうとする行為に対して、全身に鳥肌が立つ。

一般的に普及しているヴィンクラは人間の熱や指紋等、人体に多少なりと影響はあるが、所詮は機械。別に外したからといって、体調が悪くなるわけではない。しかし、私が使っているのは、特殊仕様のヴィンクラ。人工知能サティアを内包し、自分の臓器補助機を操作するアクセスポイントのような役割を果たしている。そして、私は生まれつき身体が弱い。そのため、これを無理やり剥がされる事は、命の危機にさらされる事を意味するのだ。

『やめてっ!!!!!』

「!!?」

私と同じように危機感を抱いたサティアの叫び声に、相手の表情が変わる。

同時に、危険を察知したのか、ヴィンクラに触れていた右手はいつの間にか離れていた。

「はぁ…はぁ…」

相手が私の身体から離れたのを確認した後、息切れをしながらゆっくりと起き上る。

「さっきは空耳かと思って気にも留めなかったが…今、お前の中で叫んだ“奴”…何者だ?」

「えっ…?」

その台詞を聞いた途端、私は絶句した。

 こいつ…まさか、サティアの声を聴いたって事…!!?

絶句していた私は、本来なら顕になっている胸を手とかで隠すべきなのに、それをする余裕すらなかった。それからどのくらい時間が経ったかわからないが、双方共に黙ったままだった。私はログインによってようやく頭の中にあった空虚感が消え、冴えてきた頭でその理由を一生懸命考えた。

「どうやら…流石にこれは、親父も知らねぇようだな…」

ため息交じりで先に口を開いたのが、蒼髪の青年だった。

「…何故、“その声”を聴けたのか、教えてやるよ。代わりに…てめぇも俺様に話せる事全部しゃべってもらうぜ」

「わ…わかり…ました」

その殺気立った瞳と雰囲気に圧倒され、私は頷くしかできなかったのである。



東洋人おまえらの言葉で言う吸血鬼ってのは、特殊な能力を持つ奴が多い。俺が有する能力ちからは、“他人の心の中を覗き見る事”…だ。最も、“見える”といっても、他人が考えている事の内、上っ面の感情だけだがな」

その後、殺気が収まったエレクは、何故サティアの声を聞きとれたのかを教えてくれた。

『今回ばかりは…ちゃんとしゃべらせてくれない?』

「う…ん。わかった…」

サティアの言い回しで何をしてほしいかすぐに気付いた私は、ヴィンクラを操作し、スピーカーのミュートを外す設定を施した。

『聴こえるかしら?お坊ちゃま』

「!」

スピーカーから響くサティアの声に、彼は目をパチクリしつつも、すぐに納得したような素振りを見せる。

「ふーん…その白いヘンテコな首飾りの中に身を潜めているって事か!どうやら、俺がこの女の首から“それ”を外せば、お前もやばくなるっていう事だな?」

『…ええ、そうよ』

エレクの問いかけに、彼女は即答した。

 人間嫌いのサティアがこうやってわざわざ声を晒してまで話すなんて…何故だろう?

私はそんな事を考えながら、彼らの会話を見守っていた。

『それと、一つ言っておくわ』

「あん?」

サティアの口調に、相手は苛立ちの表情を見せる。

『沙智は生まれつき、身体が弱いの。あんたらみたいな奴らにとっては理解不能かもしれないけど、そんな子の血を貪りつくしたら…どうなると思う?』

「…っ…!」

それを聞いた途端、私の心臓が跳ねるように脈打つ。

自分の身体の事は自分が一番よくわかっているため、彼が伝承通り私の血を吸い尽くしてしまえば、それは必然的に“死”を意味するからだ。

「そういえば、お前…さっき腕を掴んだ時、血の匂いと一緒に妙な鉄クズの匂いがしたような…」

「それは…!」

エレクの台詞を聞いて初めて、私は彼らの会話に割り込んでくる。

「その鉄クズの匂いはおそらく、私の身体に埋め込まれた“機械”…です。それがないと、私は…歩く事すら、ままならなくて…」

たどたどしい声で、私は臓器補助機の事を話す。

「…つまりは、“この女の血を吸うな”…つー事かよ?」

『それが理想なんだけどね…』

「?」

彼が口にした“サティアが言いたかった事”はすぐに納得できたが、その直後に言った彼女の意味深な台詞の意味はわからなかった。

その後、会話が途切れた彼らは互いに黙ったまま次の言葉を発しなかった。

「…人間と仲良くなるつもりはねぇから、これ以上の詮索はしねぇが…」

「!!」

ポツリと呟いた後、彼の顔が再び目の前にあった。

まるで瞬間移動をしたかのように自分の前に座り込み、両腕で肩を掴まれる。

「ひゃっ…!?」

すると、彼は肌蹴ている左胸の胸元辺りに舌を這わす。

あまりにくすぐったかったので、私の頬が真っ赤に染まった。

『!!“吸うな”って言って、吸うつもり!?』

「…キーキー女、少し黙れ」

サティアが声を張り上げると、彼は低い声で黙らせてしまう。

「…まもなく、俺専属の執事が来る。奴は同族だから、このままお前の血を吸わずに終われば、匂いですぐに気付かれる」

「どういう事…?」

耳元で突然囁かれた私は、心臓が強く脈打ちつつも、相手に問い返す。

おそらく、ログインした事で心の中で少しばかりか余裕がでてきたせいだろう。

「…要は、執事そいつは俺の監視役。俺が新人メイドの血を味見しなかったら、親父に伝えるのも、仕事の一つらしい…」

『…訳あり…って事ね』

ため息こそ聴こえないが、少し諦めかけたようなサティアの声がスピーカーから微かに響く。

『仕方ないわね…程ほどにしなさいよ?』

「…悪ぃな」

サティアから了承を得たエレクは、満足そうな笑みを浮かべる。

 …お互い、秘密を守り合うため…か

何故、あのサティアが“それ”を認めたのかは、考えたら何となくわかった。私や彼女の事が誰にも口外されないとは限らない。ただ、この青年はお互い秘密を守り合う事で、サティアの事もバラさないと約束してくれたので、これは公正な取引のようなものだ。しかし、当の私としては、やはり割り切れない部分もあった。

「…目ぇそらしてんじゃねぇよ。がっつくのは止めといてやるし…むしろ、気持ちよくしてやるよ」

 …わかったわよ

私は、彼が他人ひとの心を読めると力を持つと知った後だったため、わざと心の中で言葉を口にしてやった。そんな私を見たエレクは、フッと哂う。


こうして私は、この吸血鬼の青年・エレクに血を吸われるのであった。その後、この時代でおける“家女中メイド”としての日々が始まる事となる。


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