第5話 隠れ陰陽師

「いっ…!!」

紫色の斑点が生じた左腕から、激痛が走る。

その痛みに、私は歯を食いしばって耐えようとする。

 腕が痺れて…る…。もしや、サティアの調整ができなくて…!!?

激痛に襲われる中、私は左腕が麻痺して動かない事を悟る。

私の両腕・両足に仕込まれている臓器補助機は、何か体内で異常が発生した際は、肉体を守るために動きを停止するよう設計されている。以前に訪れた時代でも、流行り病にかかりそうになった際にこうして腕が動かなくなった事があったのだ。

『何を…!!?』

サティアの叫び声を聞いて初めて、自分の背後に誰かがいる事を悟る。

「どうやら、娘…そなたは、とんだとばっちりを受けたようだな」

「…!?」

背後にいた人物は、稀代の陰陽師・安倍晴明だった。

彼は後ろから私を抱き寄せ、左手で弓を握った私の左腕を。右手で背にある平胡籙ひらやなぐい(=矢を装着する紙)を握りしめている。

弓と矢の両方から放たれる黒い光に臆する事なく、陰陽師は呪文らしき何かを詠唱し始める。

 痛いし…とにかく…怖いっ…!!!

激痛に苦しむ私の心中は、そんな思いが大部分を占めていた。

『……』

少し興奮していたサティアも落ち着いたのか、黙ったままその場の成り行きを見守っていたのである。

 あ…

晴明が呪を唱えてから数分後、あれほど痛いと感じていた激痛が一瞬にして消え失せた。左腕に視線を落とすと、先程まであった紫色の斑点が一つもない。

 助かった…の…かな…?

痛みが消えた事に安堵したせいか、強烈な眠気のようなものが襲い掛かってくる。

『沙智…!!!』

サティアの声が響いた直後、私の意識は闇の中へと堕ちていく。


「ん…」

気が付くと、部屋の天井らしき物が最初に目に入る。

意識は朦朧としていたが、この場所が頼光さんの邸ではない事は何となくわかった。

『沙智…大丈夫…?』

「サティア…」

私が意識を取り戻したのに気が付いたのか、彼女の声が頭の中に響く。

「ここ…何処…?」

私は、少し掠れた声でサティアに尋ねる。

『話せば長くなるけど、ここは…』

「ここは、わたしの邸だ」

『!』

その後、聞き覚えのある声によって、私の意識は完全に目覚めた。

声の聴こえた方に顔を傾けると、そこには安倍晴明が立っていた。白い直衣のうしを身に着けた陰陽師は、得体の知れぬ者を見るようなでこちらを見下ろす。

「沙智…とかいったか。具合の方はどうだ?」

「え…っと…」

ゆっくり起き上った私は、まだ頭にもやがかかりつつも、自分の容態を知らせようと口を動かす。

「まだ左腕に激痛の名残がありますが、大丈夫…です」

口にした通り痛みの名残はあるが、左腕に装着された臓器補助機も正常運転しているみたいだし、そう答えるのが妥当と考えて出した答えだった。

「腕や首に、いと可笑しきものを身に着けているし…ますます得体の知れぬ娘だ」

「あ…!!」

そう呟く晴明の掌にある何かに、私の視線がいく。

彼の右手にあったのは、自分の左腕にいつも装着している腕時計型の時空超越探索機であった。訪れる時代によって布を巻いたりして隠していたが、先程まで身に着けていた武官束帯が脱がされているのを見ると、着替えさせている間に見つけたのだろう。

「それに触らないでっ!!!」

意識を失っている間に取られたと考えた私は、思わず声を張り上げる。

「…っ…!!」

本当なら“忍”の時に培った俊足で奪取しようとしたが、叫びと共に感じた眩暈によってそれを実現する事はできなかった。

「気性の激しき娘だな…」

私は鋭い視線で睨むと、晴明は呆れ顔でため息をつく。

「…ほら」

布団の上で座り込む私に、彼は持っていた時空超越探索機を手渡す。

「そなたが何者かは気になる所だが、今はそういった探りを入れておる場合ではない。…それに、陰陽道と関わりのなき事はどうでも良いからな」

ため息交じりでそう言った陰陽師は、襖の方に視線を向ける。

「…もう入ってもよいぞ、そなたら」

「えっ…?」

晴明の一言の後に入ってきたのは、儀式を終えて狩衣に着替えていた頼光さんと、昨日邸で会った天台宗の僧・浄蔵さんだった。

「頼光さんはともかく…何故、浄蔵さんまでもが…?」

状況が上手く飲み込めなかった私は、驚きの余り、口を開けていた。

「成程…。貴方が助力を頼んだ女性にょしょうとは、沙智殿の事でしたか。晴明」

穏やかな口調で話す浄蔵さんだったが、どこか辛辣そうな物言いにも聴こえる。

『助力…。そういえば、あの陰陽師に何か手伝えって言われていなかった?』

「!」

サティアの台詞ことばを聞いて初めて、その事を思いだした。

「沙智殿…具合は如何でしょうか?」

「頼光さん…。上手く状況が把握できていませんが、体調の方は何とか大丈夫です」

「それは良かった…」

私の前で正座した武人は、無事である事を確かめて安堵したかったようだ。

「此度の事は予想外だったが…兎に角、本題に移ろうとしようか」

晴明の台詞ことばを皮切りに、この後彼らが取り組む仕事についての話が始まる。


 本題の前に、まずは何故射場始で私に黒い光が発生したのか。何故激痛が走ったのかを話してくれた。

「そなたが身を持って味わった“あれ”は呪の一つ。元々はあの弓箭きゅうせん(=弓矢)にまじないが施されていたのであって、呪詛の対象になったのもそなたではない」

「それってもしかして…」

“私がターゲットだった訳ではない”という台詞に対し、敵の本当の狙いにすぐ気付く。

「…ええ。敵が狙っていたのは、病で儀式に出られなかったという者の方。ああいった類の呪は、物から人の身体に移り、その身を蝕むものですからね…」

私が思い描いていた事を口にして言ってくれたのは、真剣な表情かおをする浄蔵さんだった。

『…本当、いらぬとばっちりよね』

 うん…

サティアの台詞に、私は黙って首を縦に頷いた。

「…して晴明。その表情かおから察するに、術者はわかっておるのだな?」

「無論のこと」

頼光さんの問いかけに、晴明は即答する。

「…それが、此度捕縛を命じられた隠れ陰陽師・播谷だ」

『ハリヤ…!?』

初めて聞くその名前に、何故かサティアが反応していた。

最も、彼女の声は私以外の人間には聞こえていないが―――――――――――――


「元が官人陰陽師だったというなれば、その実力はまがい物ではなさそうだな」

「…ええ。しかし、此度の件は予想外の出来事でしたが…おかげで奴の居所を探る事が叶いそうです」

「もうわかっているんですか?」

サティアの動揺が気になりつつも、もう相手の居場所が特定できたのかと私は話に食い入る。

「結界の張られている内裏まで、術が届くくらいだ。あまり遠く離れた場所では、それは叶わぬからな…。今、神将に霊力を辿って場を特定させている」

「成程…。で、捕縛とやらはどうやって行うんですか?」

今の台詞を口にした途端、陰陽師が不気味な笑みを浮かべる。

その笑みに対し、嫌な予感がしたのか少しだけ鳥肌が立つ。

「…そこで、そなたの出番という事だ」

「…はい!!?」



 射場始があった二日後の晩、私と頼光さんは安倍晴明の邸に集合していた。

「これはこれは…なかなか凛々しい成りですな」

私の服装を見た晴明が、満足そうな笑みを浮かべていた。

「…貴方がそう言うと、いやみにしか聞こえないような…」

「…何か申したか?」

「…いえ、何でも」

私はポツリと彼の悪口を言ったが、小さい声だったのではっきりとは聞き取れなかったようだ。

この日私がしていた格好とは、上は水干。下は水干袴だったが、腕には手甲。足の袴は紐で広がる部分を縛って動きやすい格好である。しかも、色は黒橡だったので、忍びの服装に近いような格好をしていた。無論、肩下あたりまである髪も下していたら邪魔になってしまうので、後ろでポニーテールにしていた。

 …ってか、この時代はまだ忍びとかいないはずなのに…頼光さん、よくこんな暗器(=忍などが使う衣服に隠して使う武器・飛び道具)用意できたな…

源頼光という人物が武に長けているのはこれまでの交流でわかったが、こういった特殊な武器も用意できるのには、正直驚いていた。

「…では、参りましょう。手筈通りに…」

「御意」

「…畏まりました」縹色はなだいろという薄い紫色の狩衣を身に纏った陰陽師の一言を皮切りに、この場に集合した者達が動き始めるのであった。


 その後、浄蔵さんは予備軍として“本来呪詛の対象になっていた”貴族の邸へと向かい、私や頼光さん。そして、安倍晴明は敵の拠点と思われるあばら屋の前に向かった。

「何だか、妖が出そうな雰囲気しているな…」

たどり着いたあばら屋を見て最初にそう口にしたのが、私であった。

「…まぁ、あばら屋とは鎮宅霊符神の加護がないので、妖が目撃される事もしばしばだな…」

「ちょっ…怖い事言わないでくださいよっ!」

晴明は平然と話すので、私は驚きを隠せなかったのである。

「むっ!?」

すると、何かに反応した頼光さんは、目を見開いて奥を覗きながら、腰に下げた黒漆野劔くろうるしのだち(=兵士が使う剣)に手をかける。

彼ほど早くはなかったが、私もあばら屋の奥から何かを感じ取る。

 このかんじは…殺気ね…!

『沙智…。あんた、“夜目”を使えたわよね?』

 …!そうだったね…

あばら屋の奥から感じる殺気に対し、サティアが以前、私が訪れた時代で覚えた“夜目”という真っ暗な中でも対象の立ち位置が見える技を身に着けたのを教えてくれた。

ログインしている時にのみ使える特技で、元は忍でないと使えないらしい。

「晴明殿」

「…何ですか?」

私達は、建物の破れかけた襖の所に身を潜めていた。

少しトーンを抑えた声で、私は陰陽師に声をかける。

その後、私は少し緊張気味な口調で口を開く。

「ここから1丈(=3.03m)足らずの位置に、人影が見えます。…おそらく、それが播谷かと…」

「ほぉ…。そなたは、夜目がきくのですね」

「ええ…まぁ…」

感心している陰陽師をよそに、私は敵の観察を続ける。

明かりのない真っ暗闇に見える人影。何もないのに、あのようにして座っているのにはむしろ違和感を覚えるはずだ。それについて、晴明や頼光さんはどのように考えているのだろうか。

「あの状態…二人はどう見ますか?」

「どう…と申しますと?」

私の台詞に、晴明が応える。

「…ずっと隠れている訳にもいきませぬですしな…ゆきますか?」

「っ…!!」

頼光さんのふと出た一言に、私の表情は強張る。

 ここで、ログアウトしちゃうなんて…!!

首筋に感じた振動と共に、私は唇を噛みしめる。また、ログアウトしてしまった事により、先程まで使えていた“夜目”が全く使えない状況となってしまった。

『沙智が念を押したにも関わらず、源頼光こいつは…』

サティアも呆れたような声で呟いていた。

そんな状況を、陰陽師は黙って見つめていたのである。


「播谷…であったな。陰陽頭の命で、貴様を捕縛する」

「あ…!!」

その後、こちらに何も言わず晴明は敵の方へと足を踏み出していた。

それを目撃した頼光さんも、いつでも抜刀できるような体勢で前に少しずつ踏み出す。しかし、案の定、後ろ姿の播谷は何も反応を示さない。

 何故、こんな無鉄砲な真似を…!?

私は突然起こした陰陽師の行動に、疑問が浮かぶばかりであった。

「これは…!」

無反応を危惧した頼光さんは、その場から走るように前へ進み、隠れ陰陽師の姿を垣間見ようとする。

私が潜んでいる位置からすると、敵の顔は見えない。暗闇で余計に見えなくても、頼光さんの困惑に満ちた声によって、そこで垣間見たものがおおよそ想像できた。

「ヴィンクラ…じゃと…!!?」

「!!?」

頼光さんが困惑に満ちた声を出した直後、私の背後から聞き慣れぬ声が聴こえる。

『沙智!後ろ…!!』

サティアの叫び声が私の頭の中に響いたが、彼女の声は一足遅い状態であった。

「…貴様が播谷だな」

こちらに振り返った晴明が、鋭い視線で睨みつける。

そんな陰陽師のには、恐怖で身体が凍りついている私と、そんな私の口を背後から塞いで立っている男の姿が映っているのであった――――――――――

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