第1話 大富豪と世界遺産を巡る

 「ここが、聖ポール天主堂跡です」

「ほぉぉ…見事なモノだね」 

晴天のある日、私――――――――――緑山沙智は、車椅子で移動する老人と共にマカオにある世界遺産・マカオ歴史地区にいた。

「沙智さん。ここが如何なる地であるかを、旦那様にお伝えなさい」

「あ…はい!」

すると、私らの側にいた第一秘書・クリス・アヴァーインさんに説明を要請される。

 えっと… 

 その直後、私は首の後ろに巻きつくように装着された量子型端末機・”ヴィンクラ”をソッと触れる。その後、自分の視界に現れたデスクトップ画面から”古代史辞典”というソフトウェアを起動。タッチパネルのような手つきで指を動かしながら、この聖ポール天主堂跡についての記述を探した。

「…はい。イエスの使徒である聖パウロに捧げられた、マカオにあるポルトガルの17世紀の大聖堂の遺跡であり、マカオの最も有名な歴史的建築物の一つです。2005年に、ユネスコの世界遺産「マカオ歴史地区」の一部として登録されました」

私は、多少棒読みになりつつも、彼らに説明をする。

「流石だね、沙智君。当然、この地が君ら日本人にも関わりがあるという事は知っているね?」

「…はい。南側にある石造りのファサードとイエズス会士の地下納骨堂から成り立っており、ファザードはイタリア人のイエズス会士カルロ・スピノラのもとで、本国から追放された日本人キリスト教徒と現地の職人によって、1620年から1627年の間に複雑に彫刻された事で有名…です」

私は最初の説明より、少し挙動不審になっていた。 

 西暦2010年の3月。私は世界的大富豪であるジュリアラン・ホフテリウスの秘書兼護衛の見習いとして、彼の世界旅行に同行していた。彼は大富豪であるが今は家督を息子に譲り、隠居生活の身。”今回”運が良かった私は、”情報保存のハードディスク”のログイン相手である彼とすぐに出会い、己の使命である”その時代で得られる知識・経験を記憶する”事ができているのだ。

『…それにしても、私とあんたが”はるか先の未来から来た”なんてのを、このおっさんはよく信じてくれたわよね』

すると、頭の中に甲高い女の子の声が響く。

 サティア…世界的大富豪をおっさん呼ばわりしちゃ駄目でしょ!

私は聞こえてきた声に対し、心の中でそう呟く。 

首筋に取り付けてある端末・ヴィンクラには人口知能であるサペンティアム…通称サティアが内包されている。AIに性別はあまりないのだろうが、一人称が”あたし”か”私”なので、女の子であると考えられる。

 そんなサティアが言うとおり、私と彼女はこの2010年の人間ではない。ジュリアランさんが言うようにれっきとした日本人だが、私の故郷はこの時代より遥か未来――――――――――――――西暦2608年の日本である。 クリスさんが持っているあの端末…この時代辺り日本で言われていた”柄ケー”なる携帯電話なのかな?私は昔の通信端末である”柄ケー”なる物を使って会話をするクリスさんを見て、そんな事を考えていた。 そんな遥か未来から来ているため、私が生まれた2500年~2600年辺りの日本は、度重なる戦争や天災の被害に遭いつつも科学の進歩を遂げて、ついには時間を遡る―――――いわゆる、タイムスリップができる機械が発明されるほど科学が進んでいた。

ただし、私が身につけている腕時計型の”時空探索超越機”は、まともに買うと一般人が買えないようなとんでもない額なので、まだ市場には流通していない。そんな高額な端末を持つ私は、国家機関である”考古学研究所 日本支部”という施設の人間であるが故に、この機械を持つ事が許されているのだ。

『柄ケーは歴史に残ったようなモノではないけど…とりあえず、保存はされたからね?』

サティアの言葉に、私は首を軽く縦に頷いた。

「それにしても…沙智さん。貴女はまだ18と若いのに、いろいろ知っているのね?故国である日本に限らず、世界各国の事も…どこで勉強していたの?」

「へ…?いや、えっと…」

金髪碧眼であるクリスさんの鋭い目線が、私に向けられる。

 この女性(ひと)には本当の事話していないから、何て答えればいいか迷うよな~…私はどう返すべきかわからず、少し戸惑っていた。

「まぁまぁ、クリス君。それよりも…ほら!次の場所に到達しそうじゃぞ?」「!」

すると、ジュリアランさんの声が響く。 

まさかここで彼の助け舟が入るとは思ってもいなかったので、驚きと共に私は嬉しさを感じた。

 その後、私たちは大きな噴水があり特徴的な地面が広がるセナド広場に到達していた。この広場を含む全体が文化遺産であり、周囲にはポルトガルの名残も見せる洋風の建物が目立つ。

『昼はもちろん、夜のセナド広場もとても綺麗らしいわよ?』

「へぇー…」

サティアの呟きに、私は思わず相槌を打つ。

しかしその直後、それが不自然な行為だという事にすぐ気がつく。

「どうしたんだい?沙智君??」

「いえ…何でも…!!!」

私が突突如として相槌を打ち始めたので、二人とも驚いていたのであろう。

首をかしげながそう尋ねられた私は、必死に首を横に振るっていた。 


 セナド広場をゆっくりと散策した私たちは、目の前に広がる横断歩道を渡り、歴史地区の次なる場所・媽閣廟へと足を進めていたその時であった。

「っ!!?」

何かを感じ取った私は、全身に鳥肌がたち始める。

「沙智さん…?」

険しい表情をしながら車椅子を押す私に、クリスさんは何があったのかと尋ねようとしていた。

 このかんじは…日本の”戦国時代”で感じたのと同じような…殺気…だね…!!

私は注意深く周囲を見渡しながら、鳥肌ができた理由を悟る。

「…クリスさん。旦那様と共に、先に媽閣廟へ向かっていてください!私も、後から追いつくので…」

「!!まさか…」

私は、クリスさんにこっそりと耳打ちをする。

主人を自分に託し、深刻な表情をしている私の言葉に対し、クリスさんは何が迫っているのかを悟ったようだ。私が車椅子のもち手を放すと、彼女が代わりにそれを握り締めた。

「…夕刻にホテルにて。遅刻は厳禁ですよ?」

「もちろんですっ!」

そうクリスさんに告げた私は彼らと別れ、一人来た道へと引き返す。


  通ってきたセナド広場の前には大通りがあり、向かいにはお土産屋といったお店がいくつも並んでいる。私はその通りの一角を曲がり、人気のない住宅地へと足を踏み入れていく。それと同時に、感じていた殺気も私を追ってきている。そうして完全に人がいないと思われる場所まで走ってきた私はその場で立ち止まり、閉じていた口を開く。

「あそこで旦那様を襲わなかったのは…隠れる場所がなく、人通りが多いから?」大きな声で、私は話を切り出す。一見すると私が独り言を言っているように見えるが、感じる殺気は複数ある。

『沙智…。来るわよ』

「…うん」

私以上に敏感なサティアは、その複数の気配を感じ取っていたと思われる。

「…やれ」

「はいっ!」

その後、上下黒いスーツを着た男達が3・4人程現れる。

彼らのリーダー格と思われる男は、顎でこちらを指し部下をけしかけたのだ。現役時代のジュリアラン氏は、知る人ぞ知る有名人だ。やはり彼を恨み、暗殺しようとしているのが多いのは事実だ。現役を退いた今だからこそ、始末できると踏んだのか。

暗殺者の一人が、私に殴り掛かってくる。銃を使わない所を見ると、人目につくのをやはり避けているようだ。

「っ…!!」

手刀のように早い腕が迫り、私は右腕の甲でそれを受け止める。

彼らとは立場が違うが、私も上下黒いスーツを身に着けている。そのため、両腕の甲には手甲を身に着けていた。

「はっ…!!」

「ぐっ…!!」

力のみだと負ける可能性があるので、私は相手の右足にある踵骨腱しょうこつけんに左足で蹴りを入れた。

ここは“弁慶の泣き所”という日本の言葉があるように、叩かれるととても痛い。そのため、敵を怯ませるのに良いとされた場所である。 相手を怯ませた後は腹部に当て身を食らわせ、その場で気絶させた。次に襲ってくる相手は、パイプのような鉄の棒を振り回しながら襲い掛かってくる。

しかし、得物が重いせいか動きは先ほどの暗殺者よりも遅い。俊足を“記憶”している私は、身を低くして走り出す。

「わっ!!?」

すると突然、私の頬に何かがかする。

その反射で足を止めると、頬からうっすらとした痛みと血が出てきていた。

「忍じゃないのに暗器持っているって事は…中国マフィア絡みかな?」

私はフッと哂いながら、彼らには通じないであろう日本語で呟いていた。

 その後、多少の苦戦はしつつも、ジュリアランさんを殺そうとしていた暗殺者達を退けた。時には羽交い絞めにされて関節技を食らわされそうになったが、指輪の形に似せた角指かくしで敵の動きを封じ、逃れたり等と4人全員を地面に倒れ伏せる事に成功したのであった。

 “ログアウト”すると一時的に使えなくなるから…暗殺者かれらが現れたのが今で良かった…

地面に倒れ気絶する彼らを見下ろしながら、私はそんな事を考えていた。

 こんな現実離れしたような体術を持つ私だったが、始めから使えるわけではない。それは、私がタイムスリップを繰り返す事とちょっとした関わりを持つのであった。



「時間通りの到着で、大変結構です。しかし…」

夕方の17時頃、ジュリアラン氏が止まるホテルにあるクリスさんの部屋に到達した私は、事の次第を彼女に報告していた。

しかし彼女は、呆れた表情で私の全身を見る。

「旦那様に危害が及ぶ事なく、護衛官の役割を果たしたのは大変結構ですが…そのままの姿でお目にかかる訳にはいきませんね」

「あ…」

そう言われて初めて、私は自分の服装が乱れている事に気が付く。

スーツの裾が所々破れ、穴があいた所からは隠しているはずの手甲の一部が見え隠れしている。建物の壁をこすったりもしたので、ズボンの裾が今にも糸が解れて破れそうな勢いであった。

 そして、敵に投げつけられたナイフみたいな暗器によって負わされた切傷が頬にある。

「申し訳ありませんっ!」

私は怒られるだろうと考え、思わず深く頭を下げる。

ジュリアランさんの第一秘書であるクリスさんは、とても優秀な方である一方、怒るとかなり怖い。どんなお仕置きが来るのかと思うと、恐くてたまらなかった。


「失礼いたします」

その後、「まだマトモだろう」という事で私服に着替えた私は、大富豪が泊まるVIPルームの中に入る。

「おお…沙智君。私服に着替えたのだね?」

「は…はい…」

彼の前で私服姿になる事は滅多にないため、少し恥ずかしい気分であった。

一方、車椅子ではなくソファーの上に座っていた大富豪の手にはワインの入ったグラスがある。どうやら一人酒を満喫しているようだ。

「さぁさぁ、こっちに来て…。わたしの向かいに座っておくれ」

酒のせいか、頬がほんのり赤くなっていたジュリアランさんは、私に近くへ来るよう促す。

 何も訊かれないけど…おそらく、私が何故昼間にいなくなった理由を大体察しているのかもな…

私はゆっくりと歩きながらそんな事を考えていた。

「失礼致します」

「うむ」

私は相手にお辞儀をした後、彼の向かいにあるソファに腰かける。

最も、私はまだ“仕事中”なので背筋を真っ直ぐ伸ばしながら深く腰掛ける状態となっていた。

「さて…。これまで君を連れて10か国ほどの世界遺産を巡る事ができたが…ついに、明日の夜に“出発”してしまうのだな?」

「…っ…!!」

“出発”という遠回しな言葉に対し、私は息を呑む。

同時に、首を縦に頷くしかなかった。その反応を見たジュリアラン氏は大きなため息をつく。

「あの…以前、申し上げた通り…最後に“あの言葉”をお願いしますね…?」

私は恐る恐る相手を見つめながら進言する。

「名残惜しいねぇ…」

そう呟く彼は、少し寂しそうな表情(かお)をしている。

胸が少しだけ痛くなったが、その直後サティアの台詞が自分を我に返らせる。

『そう…。今回は割と長く滞在していた。…いくら時の流れ方が違うとはいえ、あんたの使命を果たすためにも、早くここを去らなくては…』

「わかってるよ!!」

私は思わず声を張り上げたかったが、自分の成すべき事を考えると、そういう訳にもいかなかった。

「まぁ、仕方ないか。君にも君の人生がある。…ただ、後先長くないこの老いぼれのために、一つだけお願いがあるのだが…よいかね?」

いつの間にかワインの入ったグラスを置いていたジュリアラン氏は、真剣そうなでこちらを見据える。まるで逆らう事を許さない王者のような瞳を―――――――――――

「わ…私にできる事であれば、何でも…」

答えを伝えた私を見て、彼は安堵したような表情を見せる。

「わたしが君にお願いしたい事。それは、君が何故“時空を超える旅”をしているのか…それを語れる範囲で、語ってほしいのだよ」

「旅の…理由…?」

その台詞を聞いて、私は目を複数回瞬きさせる。

数秒間だけ双方の間に沈黙が続き、その間私は彼に自分の事を話すべきか迷う。『…このおっさん、言葉通り本当に先が永くないみたいね…。だから、別に話しちゃってもいいんじゃない?』

「!!」

サティアの言葉が頭に響いた途端、私は目を見開いて驚く。

ジュリアラン氏は、70を超える高齢者。寿命が近い…という可能性もあるが、サティアの言い回しからすると、何か病気を患っているのかもしれない。

今の仮説が正しいとはいえないが、それによって返答が決まった私は、俯いていた顔を上げて口を開く。

「…わかりました。お話しできる範囲でならば、いくらでも…」

「おお…!」

そう口にした途端、彼の表情が明るくなったのを感じた。

まるで、良い事があった子供のように無邪気な笑顔を見せている。

 “話せる範囲”…だから、自分の身体の事は言わないでおこう…

自分の右腕を見つめながらそう強く想った私は、その後自分が何故“時を溯る”事をするようになったのか、目の前にいる大富豪の老人に語る事になるのであった。

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