第4話

 広いリビングを覗いてみると、隅の方で、父さんがアンドロイドの充電器を兼ねた椅子形通信端末の前に屈んでいた。

 どうやらトリンティの製造元であるコアテック社に連絡を取ろうと躍起になっているらしい。

 それにしても、と僕は一抹の寂しさを感じた。この人の背中はこんなにも小さかっただろうか。

 昔はあんなにも偉大な存在に感じられていたのに、今は見る影もない。どこにでもいる固陋ころうな老人だ。

 トリンティ姿の僕は黙って部屋に入り、ソファに腰掛けた。

 古きを尊ぶ父さんの趣味、インテリアの一種であるところの科学雑誌を取って広げてみた。

 小さい頃にも一度開いたことがあるのを覚えている。三十年以上も前に出版されたらしい一冊だ。

 拡張現実オルタナの表示機能は今も健在だった。僕がページの一部に視線で触れると、紙上に学者然とした老紳士が立ち現れて穏やかに語り始めた。


 ――二十一世紀末に起きたあの大災害、急激かつ深刻な海面上昇の直接的原因は未だ解明されておりません。

 しかし私たちは、致命的とは言わないまでも、遠因の一つとして、行き過ぎた人類活動による地球規模の気候変動があったことを認めなければならないでしょう。

 私たちは移動し過ぎました。物を動かし過ぎ、そのためにエネルギーを費やし過ぎました。海水の加速度的な熱膨張を招いたのは私たち。南極やグリーンランドの氷床を融解させたのも私たちです。

 居住可能な地域は短い期間で極端に狭まりました。環境難民が溢れ、世界各地で頻々と国家の統廃合が起きました。人類の多様な文化と百万種近い動植物が、たった数年で永久に失われてしまったのです。

 そんな滅亡の途上、にわかに注目を集め始めたのが『人類総海底移住計画』でした。国際海底移住支援機関の主導の下、ありとあらゆる人類活動を海底都市で再出発させようというこの史上例を見ない一大計画は――


 奉職する大学で人類史の教鞭をっている僕は、海底移住計画のその後の紆余曲折についても一通りのことを知っている。

 移住を始めて間もない頃、人類は地表での生活を海底でも同じレベルで続けようとして失敗した。

 近隣の海洋資源をあれよと言う間に採り尽くしたからだ。そのままでは持続可能な社会など望むべくもなかった。

 計画は抜本的かつ徹底的に見直されなければならなかった。

 狭苦しさは否めない海底施設内で、可能な限り移動せず、また物を動かすこともなく生きていく術が切実に必要とされた。

 難題解決の鍵は僕たちの脳にあった。

 突然、ふざけるな! と父さんがモニターに向かって声を荒げた。

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