13話  笑顔


「ケースとかって、可愛いやつの方がいいのかね」

「いや、僕に訊かれても」


 休日。

 橋本を捕まえて携帯ショップに来ていた。

 俺の名義を使ってもう一台スマートフォンを買い、インターネットなども十分にできるようなプランで契約をした。

 今は、携帯にとりつける『ケース』で悩んでいた。


「キラキラしたやつとか、好きな感じ?」

「いや、そういうものを身に着けてる様子は……というかあいつ服も制服しか持ってなかったしな。趣味がいまいちわからん」


 俺の答えに橋本は苦笑した。


「同居人のこと、あんまり知らないんだね」

「いや、ファッションの趣味とかまでわざわざ訊かねえだろ」

「そういうもの?」


 家にいるときは常に灰色のスウェット姿だしなぁ。

 前に使っていた携帯というのも千葉の海に沈んでいるということで役に立たない。


「というか、そんなに悩むなら最初から聞いてくればよかったじゃん」

「いや、だってあいつ携帯買うとか言ったら絶対遠慮するからなぁ」


 こちらで買ってしまって、突然渡した方が絶対に良いと思った。

 買ってしまったものに対して、遠慮も何もない。

 お金は払ってしまっているのだから、使った方が良いに決まっているのだ。


 橋本は横目で俺を見て、失笑した。


「なんだよ」

「いや、吉田、結構沙優ちゃんのこと気に入ってるんだなって思って」

「はぁ……?」


 俺が顔をしかめると、橋本は壁に吊り下がっている携帯ケースに目をやりながら続ける。


「だって、連絡用に携帯買ってやるだけなら、デザインとかどうでもいいでしょ」

「いやいや、女子高生だぞ。デザインとか気にするんじゃねえの」

「だからさ。それってつまり」


 橋本はふっと笑って、ゆっくりと言った。


「沙優ちゃんのこと、喜ばせたいって気持ちがあるってことでしょ」


 言葉に詰まった。

 いや、そんなつもりは微塵もない。

 ないのだが、なぜかその言葉に対して返す言葉が見当たらなかった。

 心の奥底には、そういうふうに思っている自分がいるのかもしれない。


「まあ、無難なところなら、白とか、黒とかだよね」

「はずれない選択って感じだな」

「はずれないのって大事だと思うよ」


 言われて、白いケースをじっと見る。

 沙優が持っているところを想像すると、確かに白は違和感なく想像がついた。


「白にするか」


 呟いて、俺は白のケースをレジへと持って行った。

 会計を済ませて、レジから少し離れたところで待っていた橋本と目が合う。


「吉田さ」


 俺の目をじっと見て、橋本が口を開いた。


「本当に、沙優ちゃんとの付き合い方、考えたほうがいいと思うよ」


 その口調には、俺に対する気遣いのようなあたたかなものと、釘をさすような冷たさが同居していた。


「懐かれたり、さらに言えば、惚れられたりしたら、困るでしょ」

「……まあ、それは、そうだな」


 俺も頷いて、二人並んで店を出る。


「それに、吉田が沙優ちゃんに惚れちゃう可能性だってあるわけで」

「ねぇな。俺は巨乳のお姉さん以外は無理だ」

「それは性的趣向の話だろ」


 橋本はにこりと笑って言った。


「僕は嫁さんを愛してるけど、嫁さんじゃシコれないよ」

「なんだそれ」


 俺が苦笑すると、橋本はあっけらかんと続けた。


「つまり、惚れるのと自分の好みは別物って話。気を付けたほうがいい」

「いや、マジで俺はお姉さん以外に興味ねえから」

「それならいいんだけどさ」


 橋本はけらけらと笑って、少し歩くペースを早めた。

 俺も隣に並んで、ペースを合わせて歩く。


「付き合わせて悪かったな。なんかメシ奢るよ」

「それならラーメンが食べたいな。家にいると体にいいご飯ばっかり出てくるからさ」

「さりげなく惚気のろけんなよ。オーケー、ラーメンな」


 俺が苦笑しつつ首を縦に振ると、橋本は「愚痴なんだけどなぁ」とつぶやいて、にやりと笑った。








「ほら、やるよ」


 紙袋をぶんと投げて寄越すと、沙優は慌ててそれをキャッチした。


「うわっ……な、なにこれ」

「開けてみ」


 恐る恐る中身をごそごそとやって、出てきた箱を見て沙優は目を丸くした。


「えっ、これ」

「携帯」

「どうしたのこれ!」

「買った」


 沙優は携帯の箱と俺を交互に見て、首を傾げた。


「吉田さんが使うやつ?」

「馬鹿か、お前のに決まってんだろ」

「なんで!?」

「連絡つかないと困るんだよ!」


 沙優はなんとも言えない表情で紙袋を見た。


「……高くなかった?」

「大丈夫だ。俺、結構稼いでるんだぞ」

「……ほんとにもらっていいの?」

「そのために買って来たんだぞ」


 俺が言うと、沙優はこくりと頷いて、少しだけ口角を上げた。


「びっくりした。なんか、吉田さんが休日に『買い物行く』とか言い出すの初めてだったから、意外とそういうとこもあるんだなって思ってたんだけど」


 ぽりぽりと頭を掻いて、沙優は視線を泳がせる。


「そっかぁ、あたしのためだったかぁ……」


 沙優はそう言って、今度はいつもの『にへら』とした笑みを浮かべた。


「もしかして吉田さんって結構あたしのこと好きなのでは」

「調子乗んな。連絡つかないと不便なんだよ」

「まあ、それはそうだよねぇ」


 かりかりと箱の蓋についたシールをはがしながら、沙優は頷いた。

 そして、蓋をあけ、中を取り出す。


「うわ、最新のやつだ」

「そうなのか? なんかすごそうだったから買ってきた」

「なにそれ、ウケる」


 沙優はけらけらと笑ってから、俺をじっと見た。


「吉田さん、ありがと」

「おう」


 俺は少し照れくさくなり、彼女から目を逸らす。

 買ったものを喜んでもらえるのは、素直に嬉しいと思った。


「あ、ケースまで入ってる」


 紙袋の中のもう一つの箱に気付いて、沙優はそれを取り出した。


「白だ!」

「それで良かったか?」


 俺が訊ねると、沙優はぶんぶんと首を縦に振った。


「あたし、白好き」

「そうか、なら良かった」

「吉田さんいいセンスしてんじゃん」


 謎の上から目線でそう言って、沙優はにこにことしながらケースを取り出した。

 そして、新品のスマートフォンにかぽりとはめる。


「じゃん!」

「良かったな」

「ほんとありがとね」


 沙優は無邪気に笑って、携帯の電源ボタンをぽちと押した。


 そうだ。

 子供が大人に遠慮などするものではない。

 与えられるものに対して遠慮などせずに、「ありがとう」と一言返してくれれば、それだけでこちらは満足なのだ。


 そこまで考えて、俺は独りで失笑する。

 まるで保護者だ。

 いや、実際この立場は保護者とまったく変わりないのだろうが、素性の知れない女子高生に対して親のような感情を持ってしまっているのはどうかと思う。


 しかし。

 昼間の橋本の言葉を思い返す。


『それに、吉田が沙優ちゃんに惚れちゃう可能性だってあるわけで』


 思い返して、馬鹿馬鹿しくなった。

 絶対に、そんな感情が芽生えるはずがない。

 俺から見たらこいつは『女』である以前に『子供』だった。


「あ、吉田さん」

「なんだよ」

「連絡先交換しよ」


 つつ、と近寄ってきた沙優が携帯の画面を俺に見せてくる。

 起動してすぐに流行しているメッセージアプリをダウンロードしたようで、すでに見慣れたアプリ画面が表示されていた。


「お前、よくそんなすぐに何がどこにあるのか分かるな」

「へへ、JKですから」


 やはり若者の方が順応力は高いということか。

 俺は携帯を買い替えるたびに、どの機能がどこにあるのか把握できずに四苦八苦してしまうのだが。


 俺も同じメッセージアプリを起動して、自分のIDを沙優に見せた。

 最近は仕事の上司ですらこういったアプリを使って連絡を寄越してくることがある。たびたび、重要なメッセージもこれで送られてくることがあるので、「大事なことはメールで寄越せ」と上司に対して苦言を呈していたりして。

 しかし、確かにこのツールは便利だ。

 リアルタイムでメッセージを確認できるし、通話も、通話料金とは別枠でできてしまうというのだから、流行するのも頷ける。


「はい、登録した!」


 沙優がにこりと笑った。

 自分の画面を見ると、『友だち』の欄に“さゆです”というアカウント名が表示されていた。


「お前、もうちょっとひねれよ」

「吉田さんだって“yoshida-man”じゃん。なに、マンって」

「うるせえな、適当につけたんだよ」


 橋本に『メールで連絡とるのが面倒だから』と無理やり始めさせられて、適当につけた名前がそれだったのだ。

 沙優はけらけらと笑って、すぐに自分の携帯をぎゅっと抱きしめるように胸に当てた。


「へへ」


 沙優はにへらと笑ってこちらを見た。


「なんだよ、気持ち悪ぃ」

「ほら」


 沙優はもう一度画面をこちらにぐいと見せてきた。

『友だち』の欄には、“yoshida-man”とだけ表示されている。


「あたしの友達、吉田さんだけだってさ」

「いや、そりゃアプリの中の話だろ」


 くすくすと笑って、沙優は目を細めるようにして言った。


「吉田さん専用だね」


 その声は俺の鼓膜を粘着質に揺らした。

 彼女の顔に浮かぶ笑顔が、妙に艶やかに見える。

 ぞくりと背筋に鳥肌が立つような感覚に、俺は彼女から慌てて目を逸らした。


「ば、バイトとか始めたら、その時にはもっと増えるだろ……」

「ああ、そうかも」


 沙優は普段のあっけらかんとした様子に戻って、にこりと笑った。


「まあとりあえずこれで連絡はいつでもとれるようになったね」

「そうだな」

「帰り遅くなる時と、ごはんいらないときは言ってね」

「わかった」


 沙優は嬉しそうに鼻歌を歌いながら、居室に戻ってゆく。すとんと床に座り込んで、携帯をぽちぽちといじり始めた。


 俺は小さくため息をついて、洗面所へ向かう。

 手を石鹸で洗って、ついでに顔も洗った。


 なんだったのだろう、さっきのは。


 妙に色っぽく見える笑顔、そして、こちらの思考を鈍らせるようなねっとりとした声色。

 相手は子供だというのに、心臓をぎゅっと掴まれるような、妙な迫力にじとりと汗をかいた。

 沙優の『にへら』とした締まらない笑顔は見慣れたものだった。むしろ、ああいう笑顔が可愛いとさえ、少しだけ思っていたのだ。

 しかし今日の彼女の笑顔は今までに見たこともないような、何かの『意図』を感じるものだった。


 もう一度、ばしゃりと顔を水で濡らして、ふぅと息を吐く。


「やっぱ女子高生分かんねぇわ……」


 そう呟く俺の頭の中では、今でも、先刻彼女が見せた妖艶な笑顔がぐるぐると回想され続けていた。





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