第四章 誘拐

 今日は珍しく父が朝から仕事に行くと出掛けていった。

 それで安心した徹は、いつもよりも早く廃屋に帰ってきたら、どういう訳か父の慎一はもう帰っていた。驚いた徹だったが、それよりさらに驚いたのは、見知らぬ女の子が口にガムテープ、手をヒモのようなもので縛られ部屋に横たわっていたのだ。

「父ちゃん! その子は……?」

「死んじゃあいないさー、怖くて気を失っているだけだ」

 女の子を足でつつきながら父が言った。

「父ちゃん……父ちゃん……」

 ……徹には、この事態が飲み込めない。

「徹、その子は俺らにとっちゃあ大事な金ズルだから……」

 そこまで聞いて、少しづつ徹にも状況が分かってきた。“誘拐”その二文字が頭の中をグルグル回り始めた、まさか父ちゃんが……?

「徹、おまえが手紙書け、子供の筆跡だとバレない」

 なんて親だ! 子供に犯罪の片棒かたぼうを担がせようとしている。徹は訳も分からぬまま、父の命令を聞くより仕方がなかった。


 どうやら父は、かなり以前から誘拐の計画を練っていたようなのである。

 病院の工事現場から偶然見かけた院長先生の娘、両親の愛情たっぷりに育てられた、この娘を誘拐のターゲットにしようと絞り込んでいたのだ。

 それから幾度となく、佐伯家の様子を窺っていたようで、私立小学校に通う少女の送り迎えには、いつも母親が車を運転しているようだが、週に一度、水曜日だけは母親に用事があり、少女はひとりで駅まで歩いて電車で通学している。

 その日をつきとめて、自宅からひとりで出てきた少女を無理やり車に押し込み連れ去ったのである。誘拐に使った軽のミニバンは知り合いの工務店から、こっそり拝借してきたもので、もちろん父は車の免許証など持ってはいない。


「なぁー徹、身代金はいくらがいい?」

「金持ちからガッポリ巻き上げてやろうぜ!」

「一千万……いや、あの家なら三千万くらいは出せるだろう」

 酒を飲んで上機嫌でひとりでしゃべる父だったが、自分がやっている怖ろしい犯罪を何とも思っていないのだろうか?

 父がマトモではないと徹にも分かっていたが……結局、父に命じられるままに徹は身代金要求の脅迫状を書かされた。大学ノートを破り、鉛筆書きのその脅迫状は誰が見ても、子供のイタズラ書きにしか見えない、ちゃっちいモノだった。

 父が女の子の持ち物を付ければ、ホンモノに見えると言うので、徹は気を失って横たわる少女のポケットから持ち物を探った。


 間近で見た少女は色が白くて、まつ毛の長い愛らしい顔だった。

 いかにも育ちが良さそうで、ひと目で《俺らとは全然違うなぁー》と徹にも分かった。

 ポケットから真っ白なハンカチが出てきた、それを手紙に付けることにする。ハンカチには桃色の糸で「kanako」と刺繍がしてあった。“かなこ”それが、この少女の名前だろうか?

 こんな犯罪に巻き込まれた少女が気の毒で仕方なかったが……暴力で言うことをきかす父が怖くて、とても逆らえない徹だった。


 徹は父に命じられ手紙を直接、佐伯家のポストに投函しにきた。

 病院も立派だが、院長先生の自宅も大きな屋敷だった、父に言われた通りに病院のポストではなく、自宅の方のポストに入れる。

 広い庭にはラブラドールが二匹放し飼いにされていて、徹を見て勢いよく吠えた。ビビリながらも何とか投函できたが、この家では帰って来ない娘を家族は心配しているんだろうなぁ? そして自分が書いた手紙を見て、さらに酷いショックを受けるんだろう。

 小学生の徹にだって罪の意識はある、悪いことと知りながら、父が犯した罪の片棒を担いでいる自分も犯罪者なのだろうか? 

 そんなことを考えながら、佐伯家のポストから逃げるように遠ざかった。

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