第二章 貧困

 十年前、小学校五年生の徹は父とふたり暮らしだった。

 父の平川慎一ひらかわ しんいちは土木作業員で貧しい、その日暮らしの生活を送っていた。親子は住む所にも追われ、町外れの廃屋はいおくに勝手に住まい雨露あめつゆをしのぐ生活であった。

 ガス・水道・電気は無く、水は近所の公園の水道から汲んできて、やかんや鍋に溜めて置き、カセットボンベでお湯を沸かし煮炊きをしていた。夜になると明かりはロウソクだけだった。


 その半年前、父の慎一は工事現場の足場から転落した。

 脚を複雑骨折し、後遺症で歩行が少し不自由になり、そのせいで脚が痛いと仕事をサボるようになった。

 そして朝から酒を飲んではくだを巻いていた。

 母の芳恵よしえは働かない夫と、二人の子供を養うために水商売に出ていた。仕事で酔って深夜に帰宅する芳恵に、父は何が気に入らないのか……。

「このアバズレ!」

「淫売!」

 汚い言葉でののしっては暴力を振るっていた。

 元はと言えば、飲んだくれて働かない自分が悪いのに……仕事で男性客相手にお酒を飲んで帰る妻に嫉妬して暴力を振る、父はそんな男だった。毎夜、徹は母の悲鳴と父の怒号どごうを子守唄に眠った。


 徹の両親は共に天涯孤独てんがいこどくな境遇同士だった。

 父の慎一は幼い頃に両親が別れて、親戚中をたらい回しにされ養い親に虐待されて育った。

 子供の頃、かん師走しわすに養父に家から閉め出され、軒下で凍死寸前だったのを近所の人に発見され助けられたと父は徹に話したことがあった。

 悲惨な子供時代を送った父はイビツな人間に育ってしまった。義務教育終了を待たず、家を飛び出し、放浪しながら大人になった。


 母の郁恵は生まれたときから、両親の顔も知らず養護施設で育った娘である。

 そんな寂しい境遇のふたりが、家族欄団に憧れ家庭を持ったはずなのに……。生活苦から憎み合うことしかできず、そして子供の頃に虐待を受けた父は妻や子供を殴ることで、うさを晴らそうとする。

 弱いものが、弱いものを虐める『負』の連鎖は止まらない――。


「銭湯に行ってくる」

 ある日、母は五歳の妹の亜矢を連れてと家を出たまま帰って来なかった。

 夜になっても帰って来ないふたりを心配して徹は銭湯まで迎えにいった、暖簾を片付けに出てきた銭湯の主人に母と妹は来てないかと訊ねたら、今日は来てないと言われた。

 慌てて家に帰って箪笥たんすの中を調べたら、母と妹の身の回り物がごっそりなくなっていた。母は妹を連れて家出したのだと、その時になって徹にも分かった。

 そして自分は母に捨てられたのだと――徹は悟った。

 その日から父の酒の量が前にもまして増えた、酔っ払って徹にも暴力を振るった。母がいなくなってアパートの家賃が払えず滞納して、ついに大家から追い出され親子で町外れの廃屋に住まうことになったのである。

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