第6話 ラッキーバケット IPA(渡り鳥の味と香り)

 夕陽は左手の丘のほうに沈みかけ、海岸の工場群と倉庫群をビール色に染めている。駅から少し歩くと大きな歩道橋があって、その下の大きな道ではたくさんのトラックが荷物を運んでいる。今はもう日本の企業が製造するものは、目に見えないものだったり小さすぎるものだったりして、電子の数字や飛行機で運ばれるため、多くのトラックはかさばる割に単価がたいしたことない海の向こうの製造物を日本国内でさばくためにあっちこっちへ行ったり来たりしている。

 トラックの排気ガスと海からの、ほんの少し湿り気を感じる風を感じていると、ラッキーバケットIPAさんが息を切らしてやってきた。昼間、十分に暖められた陸の空気は軽くなって、海からの空気を風として集め、海風の強さと長さは季節によって変動する。

「はぁ…はぁ…お待たせしました…」

 病弱設定かと思ったけどそうでもないらしい。

 ラッキーバケットIPAさんは少し前はぽっちゃりタイプで、体重がトンで測れるぐらいになってからダイエットしたらしい。緑のジャンパースカートで体型が目立たないようにしているのはそのせいかな。今は普通の体型で、仕事は港湾の荷降ろしの現場サポートをしている。少し長めの、麦色の髪をツインテールにしていて、どたばたと走り回ったりこけたりしても影響がないエンジニアブーツをはいている。だいたい男と同じような仕事をしている女子は、おしゃれな靴なんて履いてないのだ。

「冷蔵庫にビールが2本あったら、つい2本とも飲んでしまうってことありませんか?」

 あるなあ。

 ラッキーバケットIPAさんは、ビールをバケツ(バケット)で買っていた、というのは嘘ですが、グロス(144本)で買うと半ダースおまけしてくれて、値段も卸売価格なのでけっこう安いらしい。

 そう言えばIPA(インディア・ペールエール)系って、はじめてだよね。

「IPAと名のつくものは多いのですが、だいたいラーメンで言えば濃い味系ってんですかね。名前の由来はインドに輸出するビールという意味なんですが、今はまあ、国際的に展開している個性的なペールエールというか。ウェストコースト系IPAはだいたいどれもうまいです。ビール女子仲間と交換しあって、飲みすぎないように飲むのです」

 飲みすぎないように、とラッキーバケットIPAさんは強調して言った。他のビール女子? ビール娘? のものも飲むんだ。

 ビール娘ってのはどうもおかしいな。ビ少女? みんな人間の世界では二十歳以上という設定だし、ビが少ない女ってのもどうもね。ビールガールだとビリギャルみたいだし、ビ女子だと腐女子とちょっと似てるんで、これはあとで考えよう。暫定的にビール女子(略してビ女)でいいか。

 そう言えば、世界中のほとんどのビール、小瓶は330ミリリットルなのに、アメリカのは355ミリリットルなんだよね。

「アメリカは12オンスで計算してますからねー。その25の違いが大きいんですよ」

 ところで、ラッキーバケットIPAさんの能力は何でしょう。

「ビア・マジック、要するにビアま、ですか。ものの重さを変えられます。やってみますよ? ビアま、重力の虹(グラビティズ・レインボウ)!」

 何だよビアま、って。おまけにその中二病的な術の名前は。

 手に持った、空のビール瓶がいきなり岩か鋼鉄か鉛のような重さになって、思わず手を離すと歩道橋に薄くくぼみができて、その真ん中にビール瓶があった。持ち上げようと思っても全然無理である。

 その…ラッキーパケットIPAさんは自分の体を重くしたり軽くしたりもできるの?

「できるんだけど、それは自粛してます」

 業務では、ときどきズルをして、貨物を適当な重さにしちゃったりしているらしい。ビール女子というかビアま女子、能力をみんな仕事に活かしてたりするんだな。

 ビールの色は濃い茶色。注いだとたんに甘い、夏草の香りがする。ひと口目は少し甘すぎるかな、と感じても、甘さと苦さがお互いに、自分をもっと感じて、と口の中で自己主張をはじめる。ビール樽の底に溜まった悪魔崇拝的なものが感じられる。冒涜的なまでに苦くて甘い。


味     ★★★☆☆

コク    ★★★★☆

個性    ★★★★☆

おすすめ度 ★★★★☆(これはその日の天気・体調に左右されそう)

お値段   540円

素朴な感想 少し香りと甘みが強いので、おつまみは何がいいかと考えるけど、まあある意味つまみなんかいらない。昆布だしっぽい味。果実というより海産物かな。

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