第25話 演技力

『ライバルを探せ!』で舞子が与えられた風子という役どころは、言って見れば「敵役」であった。舞子にとって、ここまでの嫌われ役をやるのは初めての体験だ。敵役は嫌な女を演じつつも、可愛らしさを出さなければいけないという、演技力の多寡を問われる難しいものである。風子は主人公の雪乃(黒上純子)と、快晴(中島飛翔)を巡って激しいライバル関係になるのだ。そこがドラマの見所でもある。最終的には、雪乃と快晴が結ばれるのは自明の理だが、そこにたどり着くまでに、視聴者をハラハラドキドキさせてドラマを盛り上げていかなくてはならない。舞子の演技次第では、画一的な、単純なドラマになってしまう。ありきたりな場面の展開では、飽きをきさせてしまい、視聴者が激減してしまう可能性もある。その点では舞子の役柄は主人公よりも重要なポジションであった。

 

 毎日、楽屋に入ると舞子は瞑想する。そして、その儀式が終わると舞子は風子になり切っていた。舞子、いや風子は恋のライバルである雪乃、すなわち純子のことが嫌いである。だから風子になった舞子は、純子とは一定の距離を保ち、仲良く談笑などしない。一方、快晴である中島のことが大好きだから、楽屋に入り浸って、ああでもない、こうでもないと無駄口を叩いた。舞子が風子になり切っていると気づかない中島は、

「舞子ちゃん、俺のことが好きになったのかな?」

と大いに勘違いをしていた。


 主役の純子は内心、焦っていた。舞子の演技にである。まさか、楽屋に入るなり役柄になりきるとは思いもよらなかった。最初のうちはよくわからなかった。なんで、自分に冷たく接するのだろう? 何か気に触ることでもしたのだろうかと考えたりもした。でも、それは違った。純子は気づいてしまったのだ。舞子が風子になりきってしまっていることに。自分はそこまでできない。雪乃になるのは本番が始まった瞬間からだし、あくまでも雪乃を演じているだけで、心の中は純子のままだ。しかし、舞子は百パーセント、風子だ。舞子という存在はこの世から消えて無くなっている。舞子のことを考えると寒気がする。恐ろしさすら感じた。自分はそこまで役柄に没頭できない。あんな女優、他にいるのだろうか?

「天才って舞子ちゃんみたいなことを言うの?」

 純子は一人思う。あの子役だった頃、一緒に出演した『お兄ちゃんをとらないで』での時はどうだったんだろう。確かに演技は上手だったけれど、一緒に楽屋で、お菓子を食べたり、おしゃべりをしたりした。普通の女の子だったと思う。でもあの時は仲良し姉妹の役だった。あれも演技だったの? 聞いてみたい気もするが、舞子は純子を無視している。そうだ、クランクアップすれば舞子は素の舞子に戻るだろう。その時聞いてみよう。純子はそう思った。


 世間では舞子の怪演が話題になっていた。SNS上では様々な意見が飛び交う。

「水沢舞子、怖い」

「すごい演技だ」

「主役を完全に食ってる」

「飛翔くん、風子に騙されないで!」

「水沢舞子は本当に中島飛翔に惚れているんじゃないのか?」

「舞子ちゃん、うますぎる」

「水沢、芸風が変わったのか」

 などなど。

 舞子の演技に注目が集まる。それにつられるように視聴率がアップした。初めのうちは、舞台が高校なので、いわゆるF1層の視聴率は良くなかった。中島目当ての女子高生や、黒上純子のファンである若い男性が主な視聴者だった。それが、舞子の評判が上がるにつれて、幅広い層にドラマが見られるようになった。プロデューサーの臼杵は、

「もっと風子、いや水沢舞子の出番を多くしろ」

と脚本家に命じた。脚本家は最初、三人が高校を卒業するまでで、お話を閉じようと考えていたが、風子の異様な快晴への執着を描くために、大学生編、社会人編まで話を膨らませた。舞子や純子は初めて、大人の恋愛模様を演じることになる。純子は、新しく刷られた台本を読み、一瞬たじろいだ。実生活では恋愛の“れ”の字も知らないのにかなり踏み込んだところまで描かれている。自分にこの役ができるのであろうか? 今まで築いて来たイメージが崩れ去るのではないかと恐れを感じたのだ。純子は母親である、緑川蘭子にアドバイスを求めた。役者になって初めてのことである。

「うーん」

 蘭子は頬杖をしながら純子の話を聞いた。そして、

「思い切って、やりなさいよ。世間の評判は、あの水沢舞子に奪われて、あなたのことなんか、お構いなしよ。悔しくないの? 主役はあなたでしょ。ここで躊躇していたら、この先、役者として成長できないわよ。水沢舞子に負けることになる。そんなことは、母としても事務所の先輩女優としても許せないわ」

と純子の背中を押した。

 一方、舞子サイドでは、其田が険しい顔をしていた。

「このままだと、舞子には怪女優のイメージが定着してしまう。こんなことになるなんて思いもしなかった。舞子には清純派女優であって欲しかった。こんなドラマになんか出演させなければ良かった」

 とため息をつく。しかし、そばにいた舞子は、

「私は女優です。どんな仕事でも引き受けた以上は、しっかり演技します。必要とあれば濡場も拒否しません」

と宣言した。

「馬鹿を言うんじゃない。高校生に濡場なんてやらせるわけないだろ」

 其田は怒る。

「あたしは高校生でも、風子はもう社会人です」

 舞子は強く言った。


 ドラマの収録も佳境になった。演出の桜井の指導にも熱が入る。だが、桜井は舞子には何の注文もつけなかった。舞子は桜井に、

「あの時のように、おかしなところがあったら教えてください」

と頼んだが、桜井は、

「ああ」

と言ったきり、口を結んだままである。

 一方、純子や中島には容赦なく罵声を浴びせる。

「おい、学芸会じゃないんだぞ。もっと自然に演技しろ!」

 二人への注文が厳しくなる。実際、舞子の演技と二人の演技には差がつきすぎていた。舞子がうますぎるのである。だから画面がいびつになってしまう。できることならば、舞子にもう少し抑えた演技をしてもらいたかった。けれど、そう言うと舞子が萎縮してしまう可能性がある。舞子は完璧主義者だと桜井は見ていた。ストイックになりすぎるきらいがある。だが、それはそれでいい。舞子は“月9”なんていう言ってみれば、アイドルの顔見せみたいなドラマに出るような器ではない。大器だ。もっと重厚なドラマや、豪華な映画、舞台こそ舞子にはふさわしい。このキャスティングは間違いだ。純子と舞子を入れ替えたほうが良かった。しかし、現実には純子は大手のポリプロ、舞子は弱小の其田事務所だ。力関係から言って、逆転はありえないのである。だから、純子と中島に厳しく指導して、舞子の高みに少しでも近づけなければならない。そのために、桜井は非情に徹して純子と中島に罵声を浴びせ続けた。

 その結果、ポリプロとジャリーズ事務所からクレームがついて、桜井は更迭された。代わりに演出の地位についた二宮達也にのみや・たつなりは温和な性格だった。桜井の頃にあったピリピリした緊張感はスタジオから消えた。ダメ出しのNGもほとんどなく、スムースに行程が進行した。ただし、画面の質は格段に落ちた。しかし、収録も最終段落に入っていたので、ほとんどの視聴者には気がつかれなかった。


 ドラマの最終回。様々な風子の策略をはねのけて、雪乃と快晴は結ばれることとなった。全てが徒労に終わった風子は、ビルから飛び降りて自殺する。舞子は、

「実際にビルから飛び降りたい」

と言って、周りの人々を驚愕させた。演出の二宮が半日かけて説得して、何とかCG合成で済ますことができた。

 その話を聞いた純子は、

「今のままでは舞子ちゃんに勝てない」

という思いを強くした。舞子に勝つにはどうしたらいいのだろう。葛藤が生じる。純子の苦悩の日々が始まるのはこれからである。

 クランクアップとなって、舞子の心から風子は消え去った。

「純子ちゃん、お疲れ様」

 舞子は屈託のない笑顔で純子と接し、何事もなかったかのようにじゃれあった。純子は複雑な思いを抱いた。

 

 

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