【第十六話】ガンコ汚れにはサイドハイターです!

「こ、ここまで来れば、大丈夫だろう」


 魔王城からなんとか脱出した俺たちは、近くにあった馬車に乗り込んだ。

 魔王エリアルたちから逃げるべく、俺たちはとにかく馬を走らせ、気づけば夜となっていた。どれだけの距離を走ったのだろうか。未だ森の中ではあるが、あれだけ大きい魔王城が見えなくなるまでになっていた。


 魔王の手下が追ってくる様子もなかったので、俺は一旦、馬車を止める。


「せ、セレフ。大丈夫か」

「は、はい。なんとか」


 荷台に乗り込んでいたセレフの、無事を確認する。

 馬なんて乗ったことがない俺が、手綱を握ったものだから、馬は大暴れ。

 俺たちの乗った馬車は、ちょっとした絶叫マシンと化していたのだ。

 今だって、止まれたのが奇跡といっていいだろう。


「で、でもアストレア様が……」

 

 荷台からセレフの悲痛な声が聞こえてくる。

 俺は馬から降りて、荷台の方へと向かった。


 そして、荷台の惨状を見た、俺もまたセレフ同様に悲痛な声を漏らしてしまう。


「あ、アストレア……お前……」


 魔王城から逃げ出すことについて、強い抵抗を見せたアストレア。

 俺はそんな彼女を、投げナイフの毒を使うことによって、静かにさせた。

 そして、馬車で逃げ出す際に、荷台へと放り投げた。


 その時は、それが最善の策であると考えて、なんの躊躇いもなく実行した。

 だが、今の彼女の様子を見ると、それが大きな間違いであったと気がつかされる。


 気絶したままのアストレアが、口元から赤の液体を零していた。


「あ、アストレア。しっかりしろ!」


 俺は慌てて、アストレアに駆け寄る。彼女の身体を何度か揺するが反応が返ってこない。


「に、ニヒト様! 解毒草です! まだ息はあるようです!」

「あ、ああ」

 

 セレフの言う通り、アストレアにはまだ息があるようだった。

 俺は解毒草を超特急で取り出し、躊躇いなく使う。


「アストレア様! しっかりしてください!」


 セレフの問いかけも意味はなく、アストレアからの返答はない。


「に、ニヒト様。アストレア様の呼吸が……」

「お、俺の投げナイフのせいでアストレアが……」


 それどころか、事態はさらに悪化の一途をたどってしまっていた。

 アストレアの、呼吸が止まってしまっていた。


「おいアストレア! お前はこんなところで死んでいい奴じゃないだろ! 帰ってこい!」


 確かにお前とは馬が合わなかった。たくさん喧嘩もした。

 けれど、俺はお前のことが嫌いじゃなかった。女神のくせにどこか人間味のあるところ。嫌いじゃなかった。どこか俺と似ているような気がして、お前に対して、勝手に親近感が湧いている自分がいた。お前が女神を追放されても、お前となら仲良くニートができる、そう思っていたんだ。


 だから頼む。アストレア、帰ってきてくれ!


「げはっ!」


 俺の願いが届いたのか、届いてないのか。

 アストレアがさらに赤い液体を口から吐いてしまった。

 どうやら息は吹き返してくれたみたいだった。

 

「アストレア!」


 赤い液体が、彼女を抱きかかえていた俺にかかってしまうが、そんなのは関係ない。

 俺は彼女を揺すって、必死に彼女の名を呼んだ。


「……?」


 しかし、俺はふと俺の手にかかった赤い液体が気になった。

 ずっと俺はそれが血だと思っていたのだが、どこか違う気がしたのだ。

 血ならば鉄のような、どこか錆臭いがするのだが、アストレアの口から出ていた赤い液体は違う臭いを放っていた。

 それはチーズのような臭いというか、酸っぱい臭いというか、具体的に言うならば、胃酸の臭いというか……って、これって!


「ゲロの臭いじゃねーか!」


 ゲロ。反吐。嘔吐。

 アストレアが口から吐き出していたものは血でもなく、ただの赤いゲロだった。

 血だと思って、心配した俺が馬鹿だった!

 

 そういえば、セレフが手作り弁当のデザートとして、赤スライムのゼリーを用意してくれていたけど、アストレアがそれをたらふく食べていたな。この赤いゲロはその色だろうな。そして、この馬車のひどい揺れによって、食べ過ぎてしまっていた赤スライムのゼリーを吐き出してしまったんだろう。気絶しながらゲロをするとは器用なやつだ。


「って、冷静にそんな分析をしている場合じゃなかった!」


 これがゲロだとするならば、これは非常に大変なことになっている。

 馬車の荷台の中には、アストレアが吐き散らしたゲロが散乱しているし、アストレアの高そうな女神衣装も、真っ赤に染まってしまっている。

 何より、俺の手とか服に、めちゃくちゃかかったんだけど!?


「おいアストレア! 起きろ! 寝ゲロしている場合じゃないぞ!」


 俺は、アストレアのゲロの臭いに耐えながら、彼女を起こすべく必死に揺する。しかし、やはり返答はない。

 よく見るとアストレアは幸せそうな顔をしてやがった。こっちがゲロで困っているというのに、コイツは!

 俺はアストレアのゲロがついた手で、容赦なく彼女を引っ叩く。


「――痛っ! 何すんのよ! クソニート!」


 そこまでして、ようやくアストレアは目を覚ました。

 彼女は毒を打たれた影響など、まったくなくいつも通りのアストレアだった。

 やはり俺の目論見は正しかったようで、この元気具合からするに、血ではなくゲロ。これで間違いないようだった。


 じゃあさっきの一連の流れはなんだったんだよ! 呼吸が止まったのとかはなんだったんだよ。もしかしてお前は無呼吸症候群とかじゃないだろうな!?


「お前、どうしてくれるんだよコレ!」


 俺はアストレアに、彼女の赤いゲロを見せつける。

 他にも、俺の心配とか涙とか。色々とどうしてくれるものはあったのだが、ここではゲロだけで勘弁しておいてやる。け、決してアストレアが無事で安心したとかそんなんじゃないんだからね!


「うわ! なんか私の大事な女神衣装が大変なことになってるんですけど!?」


 俺の指摘を受けて、ようやくアストレアは事態に気がついたらしい。

 彼女は、いかにも高そうな女神衣装とやらの汚れを気にしている様子だった。


「そうだよ。この俺の手を見ろ。これは全部お前のゲロ。清く正しく皆の憧れであるべき女神様が、自分の欲に溺れて食べ過ぎた結果がこれだよ!」


 俺が言ってやるが、アストレアは俺の話しなんて聞いた様子などなかった。


「は、早くこの汚れを落とさないと……セレフなんとかなれないの!?」


 おいおい。セレフは俺のメイド。お前がそうやって使っていいものじゃないぞ。

 と、言おうと思っていたのだが、当のセレフがアストレアの言葉を受けて、なんとかしようとしている様子だった。自業自得の女神に対しても、慈悲をかけてあげるとか。セレフたん、マジ女神。アストレアなんかよりもセレフたんが女神をやるべきだと思うな俺。


「そ、そうですね……あ、これがあれば!」


 そんなマジ女神なセレフがこの荷台の中から、この悲惨な現状を打開できる何かを見つけたみたいだった。


「これです。『サイドハイター』!」


 セレフが見つけ出したのは『サイドハイター』と呼ばれるアイテム。

 このアイテムを使うと、対象となったものは綺麗さっぱり汚れひとつなくなるという、異世界が誇る便利アイテム。現実世界でいうところの漂白剤に当たるのだが、効果はそれよりもずっと上。なんといったって宿屋でバイトをしていた時に頻発していたウンコ事件。それもこれさえ使えば、シーツがまるで新品のようになるのだから、効果は絶大と言っていいだろう。


 そんな『サイドハイター』がこの馬車にあることが不思議だったが、これさえ使えば、この酷いゲロ地獄からも脱することができるだろう。こんなものを見つけだすなんて、流石はうちの有能メイドだ。


 セレフが『サイドハイター』を使うと、荷台中に飛び散っていた赤いゲロが、臭いひとつなくなってしまった。


「へー。流石は『サイドハイター』。うちのメイドと同じくらい有能だね!」


 そんな、まるで『サイドハイター』の実演販売かのごとく、『サイドハイター』を凄さを披露したところで、


「お、おぉ?」

「ち、ちょっと何よこれ!」

「きゃっ!」


 俺たち三人が乗っていた荷台が大きく揺らいだ。


「ひひーん!」


 外から馬の鳴き声が聞こえると、俺たちは荷台から投げ出される。

 荷台を引いていた馬が、急に走り出したせいだった。


「痛ぇー」

「なんなのよ一体……」

「お二人とも大丈夫ですか……?」


 俺たちを乗せていた馬車は、俺たちのことを放り出したままで、何処かに去ってしまう。

 突然の出来事すぎて、俺は馬が逃げ出した原因がわからないでいたが、


「なんで急に馬が走り出した……んだ、よっ!?」


 しかし、その原因をすぐに思い知らされることになる。


「シャァァァァァァ……ッ」


 俺たちのことを『リザードマン』の群れが囲んでいた。

 アストレアのことがあったので、すぐには気がつかなかったが見渡してみれば、ここはちょうどアレッタたちと、リザードマンたちが交戦していた辺りだった。


「に、ニヒト様……これは……」

「ああ。逃げ出すことはできないだろうな」


 ぐるりと辺りを見回すが、リザードマンの包囲網は完璧で、何処にも抜け目がなかった。

 

「と、いうことはやるしかないのね」

「……そう、なるな」


 アストレアの問いかけに、俺は頷くしかなかった。

 先程、馬車を早くも失った俺たちは、逃げ出すにも自らの足しかない。

 アレッタたちの時に見た、リザードマンのスピードを考慮すると【クイック】を使ったとしても、走って逃げ出すのは至難の技となるだろう。


 戦わずして、なんとかする方法を考えたが、何も思いつかなかった。


「シャァァァァァァ……ッ」


 リザードマンたちが臨戦態勢となっていた。

 俺たちも、それぞれの武器を取り出して、戦闘に備える。


 くそ! 魔王城からなんとか逃げ出したと思えば、ゲロ事件が発生。そしてこの始末。

 リザードマンたちと戦っていたアレッタたちはどうしたんだよ! 騎士団ちゃんと働けよ!

 おそらくリザードクイーンに撤退を強いられたのであろう、剣聖アレッタの一団に俺は文句を垂れながらも、内心ではヒヤヒヤとしていた。


 相手はあの剣聖アレッタでも、手こずったリザードマンたち。リザードクイーンの姿こそ見えないが、それでもS級モンスターであることには変わりない。

 魔王エリアルと聖剣エクスカリバーの脅威から逃げ出した、俺たちにこの脅威は排除することができるのか。


「シャァァァァァァ……ッ!!!!!」


 それは分からなかった。

 しかしそれでも、俺たちは向かってきたリザードマンたちに刃を突き立てる。


 死んでいたと思ったアストレアが、ただゲロっただけだったように。

 そのゲロが『サイドハイター』のおかげで、綺麗サッパリしたように。

 そして、日本での生活。これまでの異世界での生活がそうだったように。


 。すべてはそう思っていたから――。

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