第3話

 学生の頃、世界史の教科書で見たことがあるけれど、実際にそれを目の当たりにするのは当然初めてである。


 マーケット。日本のさびれた商店街ではなく、露店が建ち並ぶ活気あふれたマーケット。


 よってらしゃい見てらっしゃい、といった具合に道の両側に並ぶ露店の人たちが声を張って客を誘っている。客たちは露店の前に立ち、商品を品定めしている。


 日本の――俺のいた地元の商店街ではまず見られない風景。ここまで人が密集しているのは都会でも見たこと/体験したことがない。


「とりあえず、服でも見に行こうか」とエレナが言った。


 土地勘のない俺はひたすらにエレナの後をついていくばかりだ。


 しばらく歩いていくと正面に大きな屋敷が見える。しかし、四方を塀で囲まれており、見えるのは屋根の部分。領主の屋敷であるらしいが、結局、近くまで来てもその全貌を見ることはできなかった。


 不意にエレナが歩みを止める。


「ここ、服屋さん」


 食品を売る店は露店になっていたが、服を売るこの店は露店状態になっておらず、店舗の状態である。店の中に入ると、メンズ・レディース性別を問わず様々な衣服が置いてあった。しかし、それらすべて俺の知る衣服ではない。どこか伝統的な装束を思わせるゲームとかで見る中世ヨーロッパ風の衣服ばかりである。


 メンズと思われる衣服を一つ手に取り、身体に合わせてみる。ボタンや襟があり、言ってしまえばシャツだった。袖口にフリルがついているけど。


「これはいいな」


 布の肌触りに若干不満があるが、見慣れた形状をしているので買うのならこれがいい。


「フリルのついているのは高いからダメ。こういうのは富裕層が着るの。高いから。庶民は装飾のないシャツで充分」


 だからこっち、とエレナが渡してきたのは簡素なシャツであった。さっきのシャツよりも布目が粗い、とても安いシャツだった。庶民とはいえこんなのをよく着られるなと俺は思ってしまう。


「試着してみたら」とエレナが言うので俺は試着してみる。異世界でも試着室はある。


 いざ着てみるとやはり肌触りが悪い。慣れればいい話なんだろうけど、違和感が拭えない。とはいえ、エレナの家でお世話になる俺がわがままを言えるわけもない。だけども一応、言ってみる。


「肌触りが悪いけど、こんなもんなの?」


「それよりいいものってなると、さっきアストが手に持っていたシャツになるけど。でも、あれは高いからダメ。あれが欲しいなら自分でお金を貯めて、それで買って」


 あのフリルが付いているシャツか。でも、あれも肌触りが若干悪かったような。


 まあ、仕方ない。俺が我慢すればそれで済むわけだし。


 とりあえず、色違いでシャツを数着買うことにする。


 その後、ズボンなどを購入し、衣服を一式揃える。


 買うものを買って、俺たちは衣料品店を後にする。服以外に必要なものは何があるだろうか。考えても特に思い浮かばない。


「ほかに何か買うものは?」とエレナが訊くが、逆に訊きたい。


「ほかに何を買えばいい?」


「知らないわよ」


「テレビとかないんだろう?」


「て、れ……? あなたは何を言っているの?」


「なんでもない」


 わかっている。この世界の科学技術は現代日本みたく発達していない。


「あ、」とエレナが何か思い出したように声を出し「そういえば、あなた、魔法は使えるの?」


「魔法?」


「うん、魔法。わかるよね、魔法?」


 いや、わかるけど。魔法が何かはわかる。確かに女神は魔法のある世界へ俺を送ると言っていたけど。


「え? やっぱり存在するの、魔法?」


「逆に訊くけど、存在しないと思う?」


「そう思ったから困惑してるんだけど」


「あなたのいた国には魔法がなかったの?」


「うん。虚構の中だけのものと思われている」


「あなたの国は、あれなの? とても原始的な生活をしているの?」


「原始的とは?」


「石器とか土器とか使ってる感じ?」


「そんなわけないだろ」


 俺から言わせればこの世界の文明もそれなりに原始的だと思う。


「この大陸の人はほぼみんな初級魔法は使えるの。正直、魔法が使えないとこの大陸で生きていくのは難しいわよ。火を熾すのに魔法を使うし、その火を大きくするための送風も魔法でする。そして、火を消すための水も魔法で生み出す。私たちの生活と魔法は切っても切り離せないの」


 火と水が魔法で生み出せるのなら、それで蒸気を発生させて蒸気機関を動かすことができるのではないだろうか。


「蒸気機関ってあるの?」


「?」


 エレナが首を傾げた。


 その反応を見て察する。蒸気機関なんてものはこの世界にはないのだ。蒸気機関がないってことは内燃機関も電気動力の概念もない。そもそも魔法で火が熾せるのだ。石炭とか石油とかの存在を知っているかどうかも怪しい。この世界の技術は魔法に寄る所が大きい。そんな世界ってこと。


「なんでもない。忘れてくれ。……この大陸での主な移動手段って言ったら馬車とかになるのか?」


「そうだね」


 やっていけるのか、俺。こんな世界で。


 異世界転移する主人公たちはどうしてこんな世界で楽しくよろしくやっていけるのだ。


 慣れるしかないのか。適応するしかないのか。住めば都と言うし、俺も住み続ければこの世界に不便を感じなくなるのだろうか。……って、いやいや悲観してはいけない。せっかくの異世界。誰も俺のことを知らない世界でのリスタート。希望を持とう。俺はこの世界で主人公になるのだ。


 テレビもゲームもパソコンも車も電車も飛行機もない世界だけど、人々の活気だけはあるこの世界。


 科学技術が発達した現代日本からやって来た俺はこの異世界で数多のライトノベル主人公みたいに成り上がることができるのか。


 ――と、自分を鼓舞するナレーションを付けてみたけど、ほんと大丈夫かな……この先。

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