第2話

 産まれてこの方女の子と浮いた話がまったくなかった俺であるが、別に女の子に興味がないわけではなく、普通に美女を目の前にするとどぎまぎしてしまう。


「あ、え……」


 暗い……ではなくて、周囲が真っ黒に彩られた空間。しかし、それでいて明るい。そんな不思議な場所に、俺はいた。目の前には美女。神々しく輝く金髪は長く、目の前の美女はそんな髪を手で払って見せる。ふわっと靡くその髪からは表現し難い良い香りが漂ってきた。


「私は神です」


「……」


「あらゆる世界、あらゆる宗教で祀られている神。それらすべてを総べる神なのです。私は神々の上に立つ者。多元宇宙の管理者です」


「……」


 言っている意味がわからない。


「本来、私には性別や形というものがありません。きっとあなたには私が女神のように見えているでしょうが、それはあなたが私のことをそういうふうに認識したいと思っているからです」


「……」


 言っている意味がまったくわからないっ!


「突然のことで混乱しているのですか? まあ、そうでしょう。ここへ来る者は皆、あなたと同じ反応を見せます。何が起こっているのか分からない、とでも言いたげな面白い顔をするのです」


「えーと……」俺は未だに混乱を続けている頭を働かせて言葉を紡ぐ。「ここは、どこっすか?」


「ここは無です。もっと分かりやすく言えば、私の部屋です」


「あなたは……」


「それはさっきも言いました。私は神です」


「どこの?」


「あなたは私の話を聞いていましたか? 私は宗教に属しているわけではありません。多元宇宙の管理者。数多ある世界の、ありとあらゆる概念・存在の頂点に立つ者。そういう意味での神です」


 多元宇宙とか言われてもわからない。まあ、とにかく目の前の美女は女神様ということでいいのだろう。


「で、なんで俺はこんな所に?」


「あなたは死んだのです」


「は? いや、でも、俺、ここにいるんだけど」


「今、ここにいるあなたは魂の状態です。あなたの肉体の生命活動は先ほど終了しました。思い出してください。仕事から帰る途中に起こった出来事を」


 定時で仕事を切り上げた俺は車で家路についた。死にたいなぁと思いながら車で国道を走っていたら、ふと変な気を起こした俺は路側帯を超えて縁石に乗り上げて電柱に激突した。そして、気付いたらここにいた。


「そうです。あなたの運転していた車は電柱に激突。あなたは全身を強く打ち、搬送先の病院で死亡。幸い、そこに歩行者はおらず誰かが事故に巻き込まれるといったことはありませんでした。この事故で死んだのはあなただけです」


 死んだからこんな殺風景な場所に俺はいるのか。この女神は自分の部屋とか言っていたけど、ここはあれか。三途の川かはたまた天国、もしかして地獄?


 ていうか、俺、死んだの? え、死んだの? マジで? なんか実感ないんですけど。


「しかし、人間というのはどうしてこうも不完全なのですかね。敷かれたレールの上を歩いていればいいものを、まったくどうしてレールを外れてしまうのか。まあ、人間を創ったのは私だからあまり文句は言えないけれど」


「何を言って……」


「あなたの寿命は本来、八十九歳でした。二十三歳で死ぬはずではなかったのです」


「……」


「あなたは自殺をしましたね。わざと車を電柱にぶつけた。私の定めた運命に反し、自らの意思で死を選んだ」


 通行帯の左側へ寄っている自覚はあった。戻そうと思えばいくらでもハンドルを戻すこともできた。だけど、俺はそれをしなかった。このまま事故ってやろうと思い、わざとハンドルを左へ切り、縁石に乗り上げて電柱にぶつかった。


 だって、死にたかったから。死ねればいいな、そうでなくても大怪我をして仕事に行かなくてよくなればいいな。そう思った。


「そうか。俺は死んだのか」


 死んで女神に出会った俺。女神といえば異世界転生・転移ものには付き物の存在だ。主人公は女神に導かれて、異世界へ赴き活躍する。


 そうか。とうとう俺にもお鉢が回ってきたわけか。


「そうです。私の意に反してあなたは死にました。運命に従い寿命で死んだ者ならば魂を洗浄したのちに別宇宙の別世界で別人として生まれ変わらせてあげるのですが、あなたのように運命に反し自殺をした者には違う道を用意しています」


「違う道?」


「一度決められた運命は全うしなくてはなりません。そうでなくては魂の洗浄ができない。もし魂を洗浄せずに転生なんてさせれば、いわゆる前世を持った人間が産まれてしまう。前世なんて持っていたって辛いだけですよ。もし前世のあなたがどこかの貧民街で生活していて餓死をした人間だったらどうですか。嫌でしょう。そんな人の記憶を持って毎日を生きるのは。それに一人の人間に二人以上の記憶があると、自分を見失ってしまいます。まあ、そんなわけであなたにはちゃんと八十九歳まで生きていただきますよ」


「いや、俺、死んだんだよね?」


「そうです。地球でのあなたの人生は終わりましたよ。日本という国でサブカルチャーに触れていたあなたなら想像できるでしょう。私が言わんとしていることが」


 わかる。もちろんわかる。これは俺が望んでいた展開だ。


「つまり、異世界で残りの人生を全うしろということか」


「そうです」


「でも、肉体とかはどうなるんだ?」


 今ここにいる俺は魂の状態。そして、肉体は日本にあってそれはとっくに生命活動を終えている。


「私は神ですよ。肉体くらい用意します。もちろん日本であなたという存在を象っていた肉体そのままの肉体を」


 待ち望んだ異世界生活。これで仕事のストレスに悩まされなくて済む。それを考えただけでも俺の心はウキウキしていた。このまま飛び跳ねてこの喜びを表したい。まあ、しないんだけど。


「そういえば」一つ疑問があった。「異世界ってことは文明とか文化とかいろいろと地球と違うんだろ。まあ、文明文化の違いはともかくとして、一番の心配は言語だ。俺は日本語しか喋れない。というか、異世界は何語なんだ?」


「異世界の言語体系は地球のそれとは全くの別物です。しかし、心配はいりません。異世界転移を果たす者にはもれなく私から《順応》の力を与えます。異世界へ行けば勝手にその世界に順応し、あなたは自然とその世界の言語を理解するでしょう」


 なるほど。神様の超パワーで何とかしてくれると。まんまライトノベル的だな。だが、それがいい。こういう話をしているなんて何だか俺は主人公みたいだ。


 せっかく主人公的立場にいるのだから、ここはもう一つお約束を果たしておこう。


「それで、いったいどんなチート能力を俺に授けてくれるんだ?」


「はい?」目の前の女神は笑顔のまま首を傾げた。「何を言っているのですか?」


「え、俺、今から異世界へ行くんだよね? なら、何かしらのチート能力を授けてくれるんじゃないの。だいたい異世界転生とか異世界転移の主人公ってそうじゃん。主人公はチート能力を授かって異世界で無双する。これが日本の異世界を題材にした物語の定説」


「まあ、確かにそうですね。社会的に地位の低い人間が異世界へ行ってチート能力で無双して、すごいだ何だと言われてちやほやされる。あまつさえ、英雄様、勇者様、ご主人様、そうやって美少女に慕われてリア充生活。でも、それは結局、虚構の話。所詮は創作された物語に過ぎません。残念ながら私は異世界転移者にチートを授けるような神ではありません」


「それは困る」


「困りません」


「いや、困る。チート能力なしでどうやって異世界生活すればいい」


「普通に生活すればいいじゃないですか。私は別にあなたに魔王を倒せとか言っているわけではありません。しっかりと運命を全うしてくださいと言っているのです。いいですか。私は異世界でおとなしく平凡な生活をしなさいと言っているのです。農家でもやってゆっくりした生活を送れば、何事もなく運命を全うできます」


「せっかく異世界へ行くんだ。楽しく生きたい。何せ、今までがつまらなかったんだ。美少女にちやほやされたい。英雄とか言われてみたい。優越感に浸ってみたい」


「ここまで食い下がってくる人は初めてです。だいたいみんな私の言う通りにしてくれるのに」


「マジで。俺みたいな考えの奴は結構いると思うんだけど」


「たとえ自殺でも死とはそれなりにショックなのです。人生が辛くて自殺をしたとしても、振り返ってみたら意外と楽しい思い出とかもあって、後悔する。そうして失意のうちに異世界転移。だいたい皆そんな感じです。あなたも人生を振り返ってみてはどうですか? 自殺がどれほど愚かか、死がどれほど悲しいものなのか、理解をするでしょう」


「いや、別に悲しいとか思ってないし。自殺したことにも後悔はない」


「両親にはもう会えないのですよ。友達にも。私の言っている意味、わかりますか?」


「わかるよ。でも、別に今後一生会えなくなっても特にそれで悲しいとか寂しいとか思わないから」


「強がらなくてもいいんですよ」


「強がってないんですけど。強がっているように見えるか? というか、あんた、神様なんだから俺の本心ぐらい見抜けるだろ」


「ええ、わかりますよ。あなたは非常に冷たい人だ。そして、自己中心的でナルシスト」


「何か問題でも?」


「先ほども言いましたが人間を創造したのは私です。なので、人間の個性について私がとやかく言うことはありません」


「じゃあ、早くチート能力をくれ。そして、俺を異世界へ連れてって」


「はあ」と目の前の女神はどこか諦観したような溜息を吐き「まあ、何かしらの力を授けるのもそれはそれで面白いのかもしれませんね」


 お? なんか貰える流れかな。


「特別ですよ」と女神は微笑。「あなたには魔法が存在する世界へ行ってもらいます。文明レベルはいわゆる中世ヨーロッパ並み。なので、チートと言えるほどのものではありませんが、あなたには剣と魔法の才能を授けましょう。これをどのように引き出し、どのように使うかはあなた次第ですけどね」


「え、そんな程度の――」


「それでは!」


 俺の言葉を遮って女神は言う。俺の不満は一切受け付けるつもりはないらしい。


高峰たかみね飛鴻あすとさん。異世界での新生活、頑張ってください。そして、次こそはしっかりと己が運命を全うしてくださいね」

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