第8話 「でた」

・8・「でた」


 朱音を伴って例の男子トイレまで来た賢太は、その前で鉢合わせになった人物から慌てて視線を逸らした。

「どうしたの?」

 傍らに立つ朱音は尋ねる。

「ケンケン久しぶり。元気してた?」

 賢太と相対するのは、腰まで届きそうな程の長い黒髪の少女。


 日本人形のような、といえば聞こえがいい。しかし、実際のところは、肌が病的なほど色白で、どこか近寄りがたい雰囲気を持つ少女なのだ。


「どちらさん?」

「ハナコです」

 彼女はそう名乗った。


「は、花子? もしかして、男子トイレの……」

「違います」

 その少女はきっぱりと否定する。


「ですよねぇ」

「冗談よ」

 少女はくすりと笑う。


「防人です。名前は静と申します」

 静は丁寧に頭を下げた。


「あたしは荒上朱音。よろしくね」

 対照的に朱音は気さくな態度で名乗る。

「朱音さん。この人、僕らの先輩です」

「おりょ?」

 朱音は頭一つ分小さい上級生を見る。

「いいのよ。元気のいい子は大歓迎」

「……あんまり気を許さない方がいいですよ、この人には」

 賢太は朱音の耳元で囁く。

「聞こえてますよ、ケンケン」

「聞こえるように言ったんです」

 二人は表情を崩さずに互いを見合う。


「あの、二人ともどんな間柄なの?」

 おそるおそる、朱音が尋ねる。

「この子の母です」

 と、静。

「嘘です、従姉弟です」

 と、賢太がすぐさま訂正する。どうやら二人は親戚の間柄らしい。


「静先輩はやたら詳しいんですよ、こういったオカルトとかって類の話が。だから前もって、声を掛けたんです」

「複数人で調べるんでしょ? 何人ぐらい犠牲になるのかしら?」

 微笑みながら彼女はそう言った。

「死人出る前提か。あなたの事ですから、もう僕をカウントしてますね、きっと」

 と、賢太。

「うふふ……」

 聴くものを凍らせるような、冷たい笑い声。さすがの朱音も、これには顔を引きつらせる。

「正直なとこ、声掛けるのに抵抗があったんです」

「あら、また聞こえるように言ってるわねぇ」


「あ、さっきの?」

 先に気付いた朱音が声をあげた。


 迫田が意気消沈する和馬を引きつれてやって来た。

 和馬は完全にあの一言で轟沈してしまったようだ。あれが誤解だとも知らずに。

「もう駄目だぁ、おしまいだぁ……」

 和馬はこんな調子でブツブツと呟いている。

 迫田は頭を振る。重症だ、と伝えたいらしい。


「これ、無理にフォローしたらもっと悪化しちゃいそうだ」

 と、賢太は言う。

「そもそも和馬は何で暗くなってんのさ?」

 朱音は小首を傾げる。

「自覚なしですか……」


「ねぇ、君ぃ?」

 静は和馬の耳元に顔を近づける。

「そんなにあの子が欲しいのぉ?」

 和馬はその問いに対し、僅かに首を縦に振る。

「だったら……奪いなさい。山樫賢太より自分が優れていると、見せつけてやるの。さあ、奪いなさい……親友から」

 静は悪魔のような微笑みを浮かべながら囁く。

「変な事を吹き込まないで下さい」

 賢太は慌てて止めに入ろうとするも、既に遅かった。


「……賢太。お前は今までも、これからも親友だと思ってるよ。でもな、俺はお前に負けねぇ! この事件を解決して、俺がお前より能力的に優位だと、知らしめる! そして、お前からっ! ……朱音ちゃん、をっ!」

 和馬は喚き散らしながら一目散に男子トイレに駆け込む。


「奪う!」


 男子トイレのドアが音を立てて閉じた。


「あぁ……。何ていい響きなのかしらぁ! 略奪愛ッ!!」

 静は一人でに恍惚な表情を浮かべながら悦に浸り出した。

「この人を呼んだのは……」

 朱音は賢太に顔を向ける。賢太は両手で顔を覆い隠していた。

「失敗です」

 そんなやり取りをしている間にも和馬が悲鳴を上げながらトイレから出てきた。


「出た?」

 賢太は尋ねる。

「出た!」

 和馬はそう叫び、ドアを指さす。


「よし行こう」

 朱音がドアに歩み寄ろうとすると、

「あっ、ちょっと待って。ねえ……朱音さん」

 と、賢太が制した。

「どうしたの?」

 朱音は怪訝な表情で賢太を見た。

 

「……朱音さんも入るの、男子トイレに?」


 あっ。


 慌てふためく和馬を除いて、皆は顔を見合わせる。

「入らないと確かめられないよ?」

 と、朱音は入るつもりでいる。

「そうなんだけどね。でも、朱音さんと先輩を男子トイレに入れるのも……」

 賢太はそう言いながら唸る。しかし、ここで朱音が、

「静先輩なら、もう入ったけど?」

 というものだから、賢太はひん剥いた目を男子トイレへ向けた。


 ――たしかに、静が全開にした入口をくぐっていた。


「ここの掃除、もう少し徹底しないといけないわね」

 小汚いトイレの中を見回しながら静は呟く。男子トイレに入った事を、全く意に介していないらしい。


 迫田はしきりに頷きつつ、トイレに足を運ぶ。感心しているのだろう。

「失礼しまーす」

 朱音もその後に続いた。

「……みんな、すごいなぁ」

 次に賢太。

「お、置いて行かないで!」

 最後に残った和馬も青い顔で後を追った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る