【夏至】「嵐電北野線」ー恋して跳ねて

【夏至】、太陽がもっとも高く昇り、昼の時間が一番長くなる日。

 新暦では六月二十一日ころ。梅雨たけなわで、蒸し暑い時期でもある。


「北野白梅町駅」は「嵐電らんでん北野線」の始発駅。古来、「北野」というのは大内裏だいだいりの北側の原野のことで あり、古くから神聖な場所と考えられており、現在の北野天満宮の辺りを指す。この辺りまで来ると、「嵐山」に向かう観光客以外は、人影も少なく長閑な京都を愉しめる。


 立命館大學の「衣笠キャンパス」はこの「嵐電北野線」の「等持院駅」か「龍安寺駅」から近く、この「嵐電らんでん」で通学する学生も多い。


 朝な夕なに、「嵐電」の軌道を走るが枕木の上をゆったり走って行く姿は季節折々、良いになる。特に、春の桜の時期は「宇多野駅」と「鳴滝駅」が線路両脇の桜が満開になって「桜のトンネル」ができ、夜はライトアップされて幽幻な美しさに包まれる。


 川田麻子かわだまこは、「立命館大學文学部」の一回生で、今日の三限の授業を終えて帰るところだった。「嵐電」の「等持院駅」の小さなホームに立って、鬱陶しい梅雨空を見上げていた。


 ほどなくして、麻子の前に雨に濡れた車両が甲高い金属音と共に停車した。

 車両に乗り込むとドア側にもたれかかって漫画本を読んでいる、鈴木一歩すずきかずほと目が合った。一歩は、同じ文学部の三回生で「将棋部」の部長を務めていた。麻子もこの春に「将棋部」の門を叩いた一人だった。


 ——あぁー、三限出てらしたんですか?

 ——いや、今日は、二限で終わりだったけど、学生会館でしてたんだ。


 人懐っこい、ワンコのような笑顔が麻子の胸をキュッと締め付けた。こんなにも甘いマスクだけど、いざ将棋盤を挟むとなんとも凛々しい姿に変わり、勝負どころで見せる獲物を捉らえて離さない鋭い眼光は「」で、一度、練習将棋で教わった時、将棋そっちのけでストーンと恋に落ちてしまった。

 

 立命館大學の「将棋部」は全国大学対抗でも上位に毎年食い込んでくる強豪校で、女流プロ三段の香川愛生かがわまなお棋士も、在籍していた。

 麻子は島根県から京都に出て来て、今は「丸太町」にある叔母の家から通っていた。

 島根県からは、あの「出雲のイナズマ」と呼ばれた、天才女流棋士、里見香奈女流五冠を輩出している。

 麻子は、里見プロに憧れ、将棋を始めた。始めたのは高校一年からで、いまだに腕前は上がらない。


 ——先輩っ、また練習将棋で教わりたいです


 * 教わる——、将棋界ではこの「教わる」とよく使う。先輩や年上の棋士と対局して勝ち負けに関係なく指してもらうことを言う。


 ——うん。川田は始めたのが遅いわりに、筋がいいからな、もっと勉強したら強くなるよ、きっと


 そう言って、またあの笑顔を寄越したものだから、足に力が入らなくなってふわふわしていたら「北野白梅町駅」に着いてしまった。


 ——川田は、下宿だったよな? この近くだっけ?

 ——はい、丸太町です。叔母の家から通ってます。

 ——そっか、じゃ、「丸太町烏丸」まで送ってくれる?


 ——へ?

 一歩は、麻子が手にしている柄の傘を指差している。


 ——あっ!、あー、いいですよー どうぞ


 そう言って、麻子が傘を開くと、一歩がそれを横取りして麻子が濡れないように気遣いながら歩き出した。

 麻子は一歩の歩幅に遅れそうになって慌ててソコに入った。


 ——丸太町か……、 こんな歌、いやわらべ歌かな、知ってる?

 ——どんなですか?


 一歩はちょっと照れ気味に鼻歌っぽく唱いはじめた。


 まる たけ えびす に おし おいけ——♪

 あね さん ろっかく ♪たこ にしき

 し あや ぶっ たか、 まつ まん ごじょう——♫


 ♪——せった ちゃらちゃら うおのたな

 ろくじょう さんてつ とおりすぎ♫

 しちじょう こえれば はち くじょう

 ♪♪じゅうじょう とうじで とどめさす—————。


 ——って感じの。 これ、覚えてたら、役に立つよ?川田、地方の人でしょ?

 ——っていうか、どんな風に役に立つんですか? 将棋強くなれる歌ですか?


 ——あはは、じゃなくて、これってね、京都の東西に走ってる「通り」の名前を取った唄なんだ。

 ——へぇー

 ——京都の街中でもし道に迷ったら、これ口ずさんでみたら、今どこにいるかわかるよ? まっ、ケイタイのGPS見る方が早いかも、だけど


 そう言う一歩の横顔を斜め45度下から見上げて麻子はぼつりと言った。いや意思をもって言ったというより、出てしまった声——、かもしれない。


 ——迷ったら、先輩が来てくれたらいいのに……

 ——ぇ……っ?


 ——あ、ああーいや、なんでも……ああ、何言ってんだろ私っ


 麻子は顔から火が出る——、とはこういうことを言うんだと、真っ赤に頬を染めて傘の中から飛び出した。


 ぴょん、と——、「桂馬けいま」みたいに、斜めに飛んで一歩の視界から一瞬消えた。

 一歩は、立ち止まって、遠くなった麻子の背中に向けて


 いつだって、助けにいってやるよ——。そう、ひとりごちて、


 ——大丈夫っ、オレ、んでくよ?

 ——ぇ?……ェ ほ、ほんとですか?


 一歩は、その答えの代わりに、またあのズルイ笑顔を麻子寄越してコクって頷いた。


 麻子は、嬉しくって、嬉しすぎて、二回も、三回も、ぴょん、ぴょんと「桂馬」みたいに跳ねて、背中が小さくなるまで、一歩の元から、行ってしまった。


 ——濡れちゃうよー?


 ——大丈夫でーす、もうそこですから! 傘、それ使ってくださーい!


 麻子が、古い町屋の木戸の中に消えた後で——、


 こっそり、一歩は「太町通り」にできた大きめの水たまりを「桂馬」飛びしてみた。 


 びっくりするくらい、遠くに飛べた——。



 【夏至】「嵐電北野線」ー恋して跳ねて  了


                    千葉 七星


 *...........................................................*          

 🔹「桂馬けいま」は将棋の駒の一つで、斜め右か左に二つ動かすことのできる駒で、この駒に限って、「動かす」じゃなく「跳ねる」と言われることが多い。



 

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