変化

                ☆☆☆☆☆


 ついに持ち主がログハウスに来てくれた。嬉しさから口をポカンと開けたまま、憧は剛司が座っていた席を暫く見つめ続けていた。

 ずっと来ないと思っていたからなのかもしれない。その気持ちで固められた二年半以上があったから、憧にとって先程の時間は至福のひとときだった。

 憧は剛司と握手を交わした右手を見つめる。剛司の手はほんのりと温かく、陽だまりに包まれているようだった。それほど自分の手が冷たかったということは、やはり緊張していたのだろう。両手をこすり合わせて摩擦を起こして憧は手を温めた。ほんのりと温かくなった手の温もりは剛司の手と同じ温かさになった。

 人間の温かさに触れたのは、憧にとって初めてのことだった。周りの魔法使いの人達は高等学校に通っている。当たり前のように人間と触れ合って生活をしているはず。しかし、憧はその人達と同じ気持ちを味わうことなく今日まで過ごしてきた。ただひたすら落とし物を集めて、空に憧れ、羨望の眼差しを地上から注ぐだけ。人間と関わることはほぼ皆無。人間界での生活は魔法使いにとって、体験できない生活を味わえる機会なのにも関わらず、憧の場合は他の魔法使いと同じ土俵に立てていなかった。

 でも、今日初めて関わることができた。それに仕事も初めて成し遂げることができた。

 そして何より、剛司の一言に憧の気持ちは動かされた。


 ――なら、変わろうよ。


 ずっと変わりたいと思っていた。

 人間界に来てから同じことの繰り返しばかりで、成長していない自分がとても嫌いだった。その思いが溢れて、剛司に向けて自分の気持ちを叫んでしまった。普通の人なら「何を言っているんだろう」と疑問を抱くところだ。おかしな人と思われて当然の行為。良い顔をしてくれないと思っていた。

 でも剛司はそんな自分を受け入れてくれた。魔法使いの言葉を最後まで信じてくれた。そして変わろうと言ってくれた。だからこそ、憧は剛司を信じようと思えた。少しくらい甘えてもいいかなと思った。


 今日は本当に良いことばかり続いている。


 テーブルの上に置かれた手紙の束から一枚の封書を憧は手に取った。それを開けて文章に目を通す。送り人の名前は書かれていなかった。それでも、内容を見れば、誰からの手紙かは明らかだ。

 これで三通目。全く同じ文面で書かれた手紙は、憧にプレッシャーをかけてくる。本来であれば送り主に返信する必要がある手紙。しかし憧は未だに手紙の返事をしていない。ほんの少しの抵抗だと憧は思っていた。まだ人間界でやり残したことがあるから。絶対に成し遂げなければならない目標があるから。

 もしまだ間に合うなら、限られた時間の中で憧は必死にもがいて、あがいて、最後まで受け入れなければいけない運命から、抵抗して生きていきたい。今日のように幸せな毎日を送れるように、精一杯頑張りたい。ずっと諦めそうになっていた気持ちを、はっきりと言葉にして言うことができたのも、剛司がこのログハウスに来てくれたから。

 手紙の封をして、元の場所へと戻す。憧は先程の会話を思い返す。自分のことをたくさん語った。少しでもわかってほしくて、伝えたくて、変わりたくて、ありのままを伝えた。それに剛司は応えてくれた。本当に嬉しかった。だけど憧は剛司に隠していることがある。全てを話したほうがよかったのかもしれない。でも言わなかった。これを言ってしまえば、手を差し伸べてくれた剛司が離れていってしまう気がしたから。憧に幸運を運んできてくれた人を、今は失いたくない。そんな気持ちが憧の心を支配している。


「大丈夫、大丈夫」


 暗示をかけるように、憧は言葉にして自らを鼓舞する。土曜日にまた剛司に会うことができる。そう思うだけで、今の憧は安心できる気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る