Ⅾ-2

 俺は先輩の言葉に思わず口元を緩め、それからここまでの情報を踏まえた推理を披露し始めた。


「俺が考えた仮説は三つです。一つ目は本来の相談内容の通り大友町が誘拐され、今もその行方がわからないということ。二つ目は俺が得た証言通り、彼女がすでに亡くなっているということ。そして三つ目が何にもなかったってことです」


「どういうこと?」


 先輩はにこやかだった。その表情からは楽しんでいるようにも思える。有り余る興味の全てが俺に向けられていた。


「それでは順に、責任もって説明します。一つ目の仮説が正しければ榊原の言うことが事実であり、事態は急を要するということになります。大友さんが身体的に拘束されている可能性は非常に高く、最悪の場合は命を奪われている可能性も考えられます。ただ、大友さんが誘拐された証拠はないと考えています。あの写真と〝たすけて〟と書かれた紙だけでは自作自演、単なる家出、または痴情の縺れによる分かれ話を受け入れられずにいることから発展した自暴自棄の可能性を否定できません。あの二枚だけでは大友さんが誘拐若しくは何らかの事件に巻き込まれた可能性を完全に否定することはできませんが、同時に立証することもできません」


「そうだね」


「次に二つ目のすでに亡くなっているという仮説ですが、これは聞き込みによって得られた情報に基づいたものです。この事実を知っていたのは大友さんを知るバンドのメンバーであるダイスケという男性です。また、同じバンドのメンバーで交際関係にあるミズキという女性がサキという名前で活躍していた同年代の女性アーティストの安否を心配していたことも同時にこの時に証言を得ています。俺の差し出した写真を見てサキだと答えたので、大友さんはサキという名前で音楽活動していたことになります。大友さんイコールサキという情報は確実ですが、ここでもすでに亡くなっているという情報の裏がまだ取れていないので、まだ仮説状態です」


「三つ目は?」


「三つ目の仮説ですが……」


 実のところ、前者二つは可能性が消えていないというだけで残している。俺は完全に最後の仮説が正解ではないかと思っているのだが、しかしこれを正解だとしてしまうと、それはそれでなんだか小説とか映画を鑑賞しているようであった。どこかかけ離れた物語を夢想しているだけで、とても現実的な考えであるとは考えられなかったが、他に考えようもないというのもまた事実。俺は乾いた唇をごまかしてから最後の仮説を提唱した。


「特に根拠はありません。根拠がないということが証拠かもしれません。この誘拐疑惑に関しては不確実なことばかりで、起点の存在さえも疑ってしまうようなことばかりです。そもそも何も起きてなかったんじゃないかって」


 俺は榊原は嘘をついているのではないかと考えたのだ。音楽スタジオで出会った彼らもまた、何か嘘をついている。しかし、これらには信じるに値するような辻褄の合い方をしているために易々と二重線を引くような、無碍な扱いもできなかった。

 

 俺の推理を先輩は何も言わずに聞いていた。何か思うところがあるのかもしれないと思うことにして、俺は続ける。


「この場合、榊原の件はただの妄言だった、の一言で片付けられますが、一方で死亡説が唱えられた意味が見いだせなくなります。大友町が死んだことが事実でないのならば、ダイスケは嘘をついていることになります。いったいなぜ嘘をつかなければいけなかったのか。それは誰に対する嘘だったのか。一つ謎はなくなりますが、また一つ謎が生まれます」


 奇妙な謎をあたかも現実であるかのように言ったのはなぜか。これが解明されてこそ、この仮説は初めて成り立つ。


 すると先輩はくいっと顔をあげて立ち上がり、一歩一歩考えを進めるように歩みだした。


 >それじゃあ、足りない。


 先輩は俺にそう言わんばかりに推理をリレーする。


「それと、彼が持ってきた二枚の紙の理由もつけないといけないね。あの二枚が戯言で妄言だっていう証拠、若しくはそれを裏付ける理由を推測しないといけない。消えた謎の理由と新たな謎を推測しないといけなくなる」


 先輩は俺が三つ目の仮説を披露したあとすぐに俺の推理を正した。先輩も最後の一つに対しては考えがあるらしい。きっと、先輩は俺には考えの及ばないところにいるのだろう。どちらにしても榊原の発言にはけりをつける必要がある。どうにかしてこの三つの可能性を一つに絞り込み、結論を早急に出したい。事件発覚からもうすでに二日も経過している。意外にも進展しない状況に俺が苛立ちつつあると、先輩は荷物を肩に掛けて俺に向かって言った。


「恒、今日は帰ろ。もう下校時間だ」


 気が付けば時計の針が円形の掛け時計を真っ二つにした直後だった。良い感じに放課後を醸し出す夕日は、切れ切れの雲に隠れて僅かに零れ出るだけだった。俺も鞄を手に取るために、重くて鈍間のろまな体を持ち上げた。手品のトリックを知っているはずなのに、思い出せない気分は控えめに言って最悪だった。


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