2.「胎内の馬」(サンプル)

 立ち寄った「道の駅」には小さな遊園地があり、メリーゴーラウンドがあった。動物園もあったがうさぎやモルモットなどが主で、おおきなどうぶつはおらず、つまり血のかよった馬はいない。さらにいえばメリーゴーラウンドは土日祝日のみ稼働とのことで、木曜日のほんじつにおいては、ここにいる馬はいっぴきたりとも動かない。

「お花と、ビール買ってけばいいのね? 缶ビールは二本だよね? 発泡酒? ……ええ、いいの?」

 ちはるの電話の声で、だいたいの会話の内容はわかった。たぶん〝第三のビール〟でいいと言われているのだろう。お墓に供えるだけでじっさいに飲むわけではないから一番安いのでいいわよ、ちはるの母親がそう言う姿が見えるようだった。というかこの会話は毎年おこなわれている。リピートだと思った。つまり、まわるメリーゴーラウンドだ。

「いま? かずまのトイレ休憩とおやつ休憩。道の駅寄ってんの」

 日陰のベンチで動かないメリーゴーラウンドを眺め、かき氷を食っている。イチゴのシロップがかずまの舌を赤くしていた。お盆のくせに曇っているからあまり暑くない。人も車もまばらだ。夏ははやくも死につつある。

 道の駅って、いつ見てもヘンなネーミングだ。線路でカバーできないはずの道路の網目にまで入り込む、駅という概念。道も線路も網目であるならちがいが見当たらないといえば、そうかもしれない。駅という字には馬が含まれているが、おれの車は馬ではないだろう。馬ではないから、東京から新潟のこの町まで文句も言わずに走ってきた。新潟県胎内市。ちいさな遊園地と動物園をそなえた駅でない駅。

「かずまをもうちょっと遊ばしたら、向かうね」

 かずまはちはるの前夫とのあいだの子で、おれと血のつながりはない。いや、ちはるとおれは籍をまだ(と言っていいのかわからないが、いちおうそう言いたい、「まだ」)入れていないから、戸籍上のつながりもない。

「あっ、おっぱい!」

 かずまは最近、ふたつならんだまるいものを見るときまっておっぱいとさけぶ。指さしたのはメリーゴーラウンドの横、ピエロのえがかれた看板だった。まるいボールらしきものがふたつならんでいた。

「はいはい、おっぱいおっぱい」

 電話中のちはるに代わってかずまを抱っこし、頬をつついてなだめた。かずまはくすぐったそうに笑った。この世にうまれてまだ四年の皮ふ。おれとかずまの仲はいい。今だってかき氷を半分こしているし、風呂やプールも一緒に入る。おそろいの服だって着る。だから、おれがかずまからまだパパと呼ばれていないことは、たいした問題ではない。

「じゃあ近くなったらまた電話するね。うん、ケンジくんが運転してんの。ねえ、ほんとに〝第三のビール〟でいいのね?」

 お盆はちはるの実家に泊まりに行き、墓参りをする。去年もおととしもそうしたし、来年もそうするだろう。三回目の墓参りだ。最初の年、こっそりスマートフォンで墓参りの作法を調べたことを思い出す。我ながらほほえましい。そういう作法をまるで知らないまま三十を過ぎてしまったから、緊張していたのだ。墓にねむっているのはちはるの祖父母で、おれは面識がない。墓になってから出会った。仏壇の小さな写真を見ただけで、つまり知らない人だ。

「買ってくの〝第三のビール〟でいいって。あれって麦じゃないんでしょ?」

 ちはるが笑った。


 俺の実家は祖父が亡くなって相続でちょっともめたこともあり、親戚づきあいが希薄だ。そのため墓参りというものをしたことがなかった。家に仏壇もない。どこに墓があるのか知らない。祖父の死はうすぼんやりしている。葬式で花を投げてお骨をひろって、それだけだった。

 祖父のことはときおり思い出す。子どもの頃はときどき遊びに行ったのだ。祖父は晩酌をしながらテレビの時代劇をみたが、いつも途中で寝てしまった。上様の正体も桜吹雪も印ろうも、知らんぷりだった。よそのうちだからなんとなくテレビを消すのがためらわれ、あるいは祖父の代わりのようなつもりで、いつもおれが最後まで見た。わるいやつらはかならず成敗された。

 祖父はボンカレーの辛口が好きで、酒を飲んだあとよく食べていた。大食らいなのだ。年寄りというのは戦争を経験しているものだと頭にあったし、時代劇からムカシっぽいものを連想していたためか、祖父がカタカナの食い物を好むのはなんだか不思議に思えた。一度真似をして自分のぶんもあたためてもらったら、辛さにびっくりした。食べきれずに残したら、「くちをつけたものはぜんぶ食うのが道理だ」と言われ、とくに叱られたわけではなかったのだが、ずっと心にのこっている。そのためおれは、いついかなるときも食事を残さない。

 なんとなく祖父の耳が遠くなったのとじぶんの身の回りがせわしなかったのとで、大人になってからはあまり会っていなかった。そのうち亡くなってしまった。会っていなかったから、もういないということがうまく実感できず、葬式はものめずらしさが先立ってきょろきょろしているうちに、済んでしまった。泣いたことは泣いたが、祖父の死が真剣に悲しかったのではなく、周囲が泣いていたのにつられただけのような気もする。どうしたら死や悲しみに誠実でいられるのか、わからない。網膜に明滅したのは、黄色い食べ跡のカレー皿だった。

(つづく)

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