第11話:過去の記録

 何度も何度も、ディーパは左右に動いて骸に起床の時間であることを伝えていた。

 俺たちの存在を知らせようと、助かったことを喜ばせようと、もう聞く耳さえ持つことないアルジに、ディーパは壊れたように呼び掛ける。

 それは役割なのか、それとも私情なのか、無感情なディーパから読み取ることは難しい。

 ただ空しく、部屋の中で響き渡るそんな悲しき状況を前に3人は何も出来なかった。


「こんなのあんまりです……」

「何も出来ないまま、衰弱した。か」

「……これが、昔の人の最期なのですね」


 海に飲み込まれ、取り残された人々が孤独な最期を迎えた過去の痕、天の子守唄により起こった悲劇。

 これは何もこの親子に限ったことではないだろう。多くの者が天の子守唄で犠牲になって、多くの悲しみや恐れ、辛い気持ちがあったことだろう。

 今までは、気付けずにいたのかもしれない。いや、考えが甘かったというべきか。


 シズリはもう一度その親子を見る。

 先ほどまで2人の腐敗した姿を恐ろしく感じていた。でも、2つの手が重なり合うように置かれて、支え合おうとする必死な姿に恐怖以上の何かを感じる。

 その気持ちを、シズリは行動へと変えた。


「おい、シズ! やめろ!」


しかしシズリに迷いはない。むせ返る異臭に耐え、上がってきた胃液も飲み込んで彼はディーパの隣に座る。そして恐る恐る手を伸ばし、大きい骸の方に手を置いた。まだ残る髪の毛の物寂しさをその手に感じながら、彼は誰とも知らない人へ追悼を行う。


「ようやく、見つけることが出来ました」

「……シズリさん」

「安心してください、もう大丈夫です」


 息をする度に胸焼けし、吐くたびに喉の渇きを感じる。声は震え、口元も何かを我慢しているように噛み締め、不安げだ。

 でも、彼はその目を逸らすことはない。その双峰は2つの骸をしっかり見つめていた。


「……ディーパ。この2人を知っていたの?」

「ハイ」

「何か覚えてることはない? 何でもいいんだ」

「過去ノ記録データデアレバサイセイ可能デス。プライバシーニヨリ一部伏セタ内容トナリマス」

「えっと、つまり何か2人について知る手段があるってこと?」

「ハイ」

「なら教えてほしい。この2人のことを、少しでも知っておきたいんだよ」

「了解シマシタ」


 ディーパは少しだけ顔の角度を変えると、壁にそれは映し出されたのであった。

 シズリは目の前に映し出された映像を見つめる。それは部屋の入口に立つ2人も、見ることが出来ていた。


『ママ! このロボット何も喋らないよー!』


 部屋はここと別の場所のようだ。色々な小物と華やかな装飾で彩る部屋。そこに1人の幼き女の子がこちらを見て小首を傾げている様子が映された。

 ぼかし処理が行われているせいか、その顔をはっきり確認することは出来ない。


 少女は何度かこちらに手を伸ばすようにして何かを弄っているように見える。何かを探しているのだろうか。幼女の顔は中々晴れない。

 その時、傍に駆け寄り後ろから膝を曲げて屈む1人の女性が幼女の肩を叩いて、こちらへ手を伸ばす仕草を見せた。


『えーっとね、これは録画ボタンだから。対話するならこうして……』

『オハヨゴザイマス。オハヨウゴザイマス――――』

『わー! 喋ったあ!』

『貴方ノ名前ヲ教エテ下サイ』

『……だよ! よろしくね!!』

『ヨロシクオ願イシマス。私ノ名前ハディーパデス』


 少女はにっこりと笑っていることだけ分かる。明るい声といい、生前は元気な子だったのだろう。シズリは映像から少し視線を下げるといる小さな骸の方を見やる。


 再び顔を上げた時、映像が切り替わった。先ほどと場面が変わり、ぼんやりと小さな炎の灯りが幾つも揺らめく以外は暗く、何も見えない。

 最初は無音だったが、徐々に笑い声が聞こえるようになる。先ほどの親子ともう1人、大人しそうな男性の声の3つの声だ。


『ほら、ふぅーって吹きかけるんだ』

『はぁー!』

『はは! それじゃあ、上手に消すことはできないぞ。それ、ふぅー!』


 息を吹きかけられた炎が左右に大きく揺れ、そして消える。

 本当に何も見えなくなると、拍手が起こった。白い明かりが部屋全体を照らし、ようやく3人の姿を確認することが出来た。


 場所が変わり、机やイスが用意された比較的大きめの部屋となった。机を挟んで座る3人が注目しているのは1つのホール状の白い食べ物である。


『8歳の誕生日おめでとう! ほーら、お前が欲しかった熊さんのぬいぐるみだ』

『わー!! ありがとう、パパ!!』

『よく買えうことが出来ましたね。これ、売り切ればかりの商品だったと思うのに』

『イヴォイドが事前に察知して用意してくれたんだよ。ありがたい話だ』

『そうなの。良かったわね、……。新しいお友達が出来た』

『うん! ディーパ、私たちの新しい友達のクマさんだよ!』

『……登録完了シマシタ。クマサンサンデスネ』

『えー。そうじゃなくて、熊さんだよー!』

『……変更完了シマシタ。今後クマサンサン、トナリマス』

『あれーどこかおかしいのかなあ?』


 少女が叩こうとしたところでまたも映像が切り替わる。今度は桜色に咲く花をつけた木を前に食事をしている家族の姿、そして次は子供同士が懸命に駈けっこをする少女の姿、母親と喧嘩をしてしまったことを反省して相談している少女の姿……。


 彼女たちが生きていた日々をディーパは全て映してくれた。自分と共に長き時を過ごしてきた日々がそこに詰められていた。

 そう、憂いや恐れなど微塵も感じさせない、ただ平穏に生き続けていた光景ばかり。


「俺たちと、何も変わらなかったんだな」


 シズリはいつの間にか隣にいたイズルに気付く。そしてその後ろで涙ぐむミウの姿も。


「どんな場所であっても、人が人である限り、笑って、怒って、悲しむことは変わらないってことだね」

「そう、ですね。この人たちも、私たちと変わらないのですね……」


 映像と骸を交互に見ながら、彼女は深いため息を漏らす。小さな迷いを残し、彼女は目の前の事実をつばと共に飲み込む。

 耳をつんざくような雑音が響く。と思った次の瞬間、またも違う場面を映し出していた。


 しかし今度は違う。


 場所は初めに見た小さな部屋である。そして母親と娘の2人きりである。

 シズリが見て変わったと思えた点は、2人の表情、雰囲気だ。まるで何かを恐れ、鬼気迫る顔にただならぬ事態であることだけ分かる。

 それに音も今までのような笑い声もない。くぐもった大人数の声や話し声が聞こえ、囃し立てられているのか、母親は窓を見ながら少女の方を気にかけていた。


『ほら、早く! ここから離れるから!』

『パパ、パパは!?』


 熊の人形を抱える少女は母親の手を強く握る。


『パパは先にシェルターの場所を取ってもらってるの。だからすぐに会えるわ』

『ディーパ! ディーパも連れていきたい!!』

『ハイ。ディーパデス』

『さすがに無理よ! この子は連れていけない!』

『やだやだ!! ディーパも連れて行くの!』

『この子ならまた会えるわ。だから、ね。お母さんの言うこと聞いて!』

『嘘だもん! イヴォイドがこれからどうなるか言ってたもん!!』

『だからこそ、まずは私たちが生き残るの! この子はそのあとにするの!』

『ずっと一緒がいいの、一緒がいいのぉ!』

『……。泣イテイマス。悩ミ事ナラ相談ニノリマス』

『ああ泣かないで、お願いだから』


 泣きじゃくる少女に焦れながらも背中を擦る母親。

 どうやら何かから逃げ出そうとして、そのために荷造りをしていた。でもディーパを連れて行きたくて、言い合いが起こってしまった。

 大事に想っているからこそ連れて行きたかったのだろう。シズリは今も映像を出すそいつを見ながら思う。こいつは、2人と共にずっと暮らしていたのだ。


 騒動の場面が切り替わると、今度は薄暗い場所へと移動した。そしてその場所は今まさにシズリたちが立っている場所。彼らにとって最期の場所だった。

 父親はいない。少女と母親だけで、どちらも今まで見てきた彼女たちとは明らかにやせ細っていた。眼にも力が入っていない。

 これからどうなるか、なんとなく察したシズリはミウの方へ向く。


「ミウ。お前は部屋の外へ……」

「……」


 首を横に振る。それでもここに居ては彼女の弱った身体に響くと心配し、再度忠告しても、ミウは頑なに動くことはなかった。


 少女の声で呼び戻される。

 少女はお腹を擦り、何度も散らばっている丸い銀の容器の中を覗いていた。だが、それらは全て開けられていて、中身がない。

 何を探しているのか、シズリたちでもそれとなく理解できた。


『ほら最後の食事よ。大切にしなさい』


 泣きそうになっていた少女の頭を母親は撫で、ポケットから丸い銀の容器を手渡していた。それだけは、まだ開けられていない。

 少女はそれを見て一瞬顔を輝かせるも、すぐに顔を上げた。


『でも、これママの分……』

『私はもうお腹一杯だからいいの。それにね、……が元気に食べている姿を見るのが私にとって一番幸せなことなの』

『……もママの笑っている顔が好き』

『ふふ、ありがと。それと缶の中身はしっかり噛んで食べること。水は我慢出来なくなったときに飲むこと、出来る?』

『うん。缶の中身はしっかり噛んで食べるのと、水は我慢出来ないときに飲む』

『そうすれば、次はきっとお腹一杯食べられる。お母さんを信じなさい』

『うん。ママの言うこと信じる』


 娘が何度も頷いているのを見て、母親はこちらを見た。


『私たちはここにいます。突然津波に襲われ、海に覆われたいまは逃げ場もないのです。もし誰かがこの動画を見たら、何が起きたのかを確かめてほしいです』

『ママ?』

『ディーパ、録画してるわね』

『ハイ。10分前ノ出来事ヲ録画シマシタ』

『それと、お願い。定期的に貴方は起動して呼びかけて。それと誰かを感知したら、私たちの元へ。設定どおりお願い』

『ハイ。セッテイ登録、完了シマシタ』

『これで、誰かは……』

『ママ? ねえ何をしてるの?』

『……お母さんね。ちょっとお休みしたいの、少しだけ寂しい思いをさせるけど、我慢してね』

『ママ?』


 目を閉じ、娘に向かって笑いかけると、そのまま重い瞼を閉じたのだった。笑顔も徐々に失っていく。深い眠りにつく母親は、力なくその手を落としたのだった。

 先ほどまで母を呼んでいた少女は、何もわからず力を込めて母の身体を揺する。が、母の瞼が再び開くことはない。

 次に少女は、手に持っていた缶詰を母親のもとへ差し出した。


『ママ、半分こ。半分ママにあげる。……もママが元気に食べてるところ見たい』


 缶詰を開けようとして、彼女は上手く開けることができないのか悩まし気に唸った。


『開かないよ、ママ。ねえ開けて』


 母親に缶詰を手渡そうとする。しかし母親の手は缶詰を掴み切れず、缶詰は転がってしまった。それでも娘は缶詰を開けてもらおうと、何度も手渡し、転がっていく。


『ママ、開けてよ。ママ、お願い。……じゃ上手く開けられない。ねえママ、ママ』


 そこで壁から映像が消えた。シズリはこの後2人がどうなったかをディーパに尋ねようとして、口を噤む。親子を想い、悲しむミウの涙を見てしまったからだ。


 シズリは小さい方の骸をもう一度確認する。そしてすぐに手元に置かれ、何も弄られていない缶詰が衣服に隠れるように置かれていたことに気付いた。屈んでそれを手にする。

 まだ開けられていないそれは、蓋には何度も引っ搔いた傷が残っていた。


「なあディーパ」

「何デスカ?」

「さっきの映像は一体いつの出来事なんだ?」

「……563ネン前ノ話デス」


 数字だけでも途方もないと感じつつ、シズリはディーパに再び尋ねる。


「じゃあ、一体何が原因で、ここは沈んだの?」

「……ワカリマセン。突如脚が浮イテシマウ程ノ地ガ揺レ、人々ハ海ガ襲イ掛カルト逃ゲ惑イマシタ。ソシテ大キナ津波ト共ニ襲ワレタ。ソレガ記録ニアル全テデス」


 ディーパは答えを持ち合わせていなかった。あるのは結果だけで原因について語ることは出来ず、大きな自然の力がこうさせたとシズリたちに説明していた。

 津波、地の揺れ。聞いていたミウは想像しようとするも、地球崩壊規模の災いが如何ほどの大きさなのか測りかねていた。特に地の揺れはまだ記憶に新しく、あれ以上だと思うと身がすくむ。彼女には今も昔も変わらない災いに表情を曇らせていた。


 シズリは口に手を当てて、考え込んだのち、被害がどれほどだったのか尋ねてみた。これはディーパも答えられないのか、黙秘で通していた。

 仕方ないと彼は質問を変えて、どうしてここまで被害が広がったかを尋ねてみた。

 それはディーパにも心当たりがあるようだ。ある単語を口にして、腕を大きく上に上げた。


「イヴォイド、故障ダト記録ニアリマス」

「イヴォイド……確か親子も何度か口にしていたな」

「ねえディーパ。そのイヴォイドは一体、何なの?」

「……人々ノ導キ手。全テノ先ヲ見ユル頭脳ト呼バレタエキスパートシステムデス」


 そう言われてもシズリは首を傾げて、困り果てる。他の2人に心当たりがないか伺うも、彼らもシズリと似たような困り顔であった。

 ディーパは次にこう語る。「イヴォイド」とは全人類の幸せを叶える目的を基に作られた物であり、先導者。それは地球の先を見据え、そして人の今後を推測する。常に人にとって良い結果となるように皆を導く存在であると。

 シズリが漠然と理解出来た内容が以上である。物とは人が利用するためにあると考えていた彼にとって、少し違和感があった。物によって人が制御される過去。そこにはどんな理屈や常識があったのだろうか。

 ディーパは他にも細かい内容を伝えていたが、異なる世界となった溝は大きく、シズリには理解出来なかった。


「ディーパ。イヴォイドが壊れたというけど、そいつはもう動いてないってこと?」

「ワカリマセン。リセットト告ゲタ以降、ネットワーク接続ガ出来マセン」

「……じゃあイヴォイドはどこにあるの?」

「表示デキマセン。ネットワーク接続ガ必要デス」

「上手くいかない、か」


 ネットワーク接続がないと、ディーパからイヴォイドのことについては何も聞き出せないようだ。思いつく質問はしたシズリは次の質問者は誰かと2人に向き直る。

 ミウは数秒悩んで首を振り、イズルは親子を一瞬見た後に軽く手を上げた。


「お前はずっと、俺たちみたいなやつを待っていたのか?」

「……ハイ。親子ノコトヲ伝エルタメニ、ズット待ッテイマシタ」

「そうか。なら、この親子も少しは報われただろうな」


 優しく語り掛けるイズルの眼はミウに向けられていた。



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