第9話:与えられた使命

 次の瞬間、シズリは兄の場所を奪って扉を開けようとした。ガチャガチャと大きな音を立て、引き戸であるのに何度か押してしまう。それがシズリの焦りを表しているかのようであった。そんな彼の表情に先ほど見せていた余裕は無く、何かを恐れているようにも見える。


 弟の形相、そして焦り方を見たイズルは何に対してか察する。だからこそ黙って下がり、その様子を見守っていた。

 鍵の掛けられていない扉は軋む音を立てながら開かれる。そして隙間から冷たい突風が吹き付け、イズルの身体を震わせた。雨の音、そして風の音が急に大きくなり、外を出ようとする2人を引き留めようとしているようだ。

 シズリは腕を顔の前まで上げ、風や雨から守りながら突き進む。


「ミウ! どこにいるんだ、ミウ!」


 ミウの姿はすぐに確認できた。こちらから背を向いて跪き、どこかへ祈りを捧げているようだった。雨や風に打たれても動じない。いつからそうしていたのだろうか、服は滴るほど吸い込んでいた。

 シズリはもう一度喉を使って彼女の名を叫ぶ。そこでようやく彼女はぴくりと肩を動かし、ゆっくりとこちらを向いたのであった。


「しずり……さ、ん?」


 憔悴しきった彼女の表情は驚きより困惑の方が色濃く表れていた。彼女は慌てて立ち上がろうとして、すぐに地面に手をついてしまう。足に力が入らないのか、膝から下が動いていない。支えようとしている腕も寒さからか目に見えて震えているのだった。

 シズリはすぐに駆け寄って自分の服を重ねてあげる。彼女の真っ青な唇を見て、言いようのない感情が胸の底からこみ上げた。


「ばか! 何やって、こんなになるまで……!」

「なにって……贄になる前に、天にお願いをしてたのです……」


 虚ろ目の彼女はつばを飲み込んで、続きを話す。


「私のせいで、この天候です……ならせめて、この身を贖罪としてリディアのために……」


 喋るのもつらいのか、吐く息さえも震えて辛そうであった。ここに送られ、昨日の夜から続けていたのだ。すでに体力は限界を迎えているだろう。

 イズルはシズリの肩を叩いて「毛布と適当な服を持ってくる。このままだと本当にやばい」と駆け足で自分たちが乗ってきた船へと向かった。


「とにかく中に入ろう。話はそれからでも出来る。さあ、肩を貸すから」

「そう、ですよね……シズリさんたちは、おばあさまたちに黙って……」

「ほら早く」


 肩に手を回してと催促するシズリ。だが彼女は彼の肩まですっと腕を伸ばしたかと思うと、そのまま彼を突き飛ばしたのであった。弱々しくも明確な彼女の意志にシズリも目を丸くする。


「なんッ……!?」

「帰って、ください。言ったはずです。私はリディアの舞姫です」


 奥歯を噛み締めながら立ち上がった彼女は左右に揺れながら進んでいく。

その先は建物の淵、そして海の底へ続くと道だ。

シズリは慌てて彼女の腕をつかみ、あと数歩で海へ身を投げ出してしまう彼女を必死に引き止める。


「放してください……!!」

「このまま黙って見過ごせるわけがないだろ!?」

「私は舞姫なのです。そのために出来うることは何でもしたい。私のせいで集落にこのまま災いが訪れるなんて私自身が許せない!」

「他の皆がそれで幸せになれるって本気で思ってるの!?」

「幸せの話じゃない! 舞姫として役目を全うするだけの話です!」

「ダイクさんは、そんなこと望んでなかった!! 君を大事な一人娘だって、そう言った!! それがみんなの想いだって!」

「ダイク、さんが……」


 彼女は思わずそう呟いて、若干抵抗していた力を弱めてしまう。しかし頭を何度も振って彼女自身にある何かを追い払おうとしていた。


「嘘です。そんなはずはありません!」

「嘘じゃないよ。ダイクさんがどんな人か、俺よりもあなたが分かってるはずだよ」

「も、もし本当だとしても、掟があるはずです。そんなこと想っていても、口に出すことはありません!」

「本当にいまも掟があるなら、きっと俺たちはここへ辿り着けられてないよ」

「……ッ!」


 ミウは下向いていた顔をさらに俯かせた。


「だからって、どうして……」

「……」

「どう、して……!! これは私の問題。シズリさんには分からないし、関係ないはずです!」

「かもしれない。確かに1日や2日であなたのこととか、舞姫のあるべき姿とか、全て分かったなんて思えない」

「なら――――」

「でも関係ないなんて言わせない。ミウは俺を介抱してくれた。次も会う約束をしてくれた、大事な人だよ」


 ミウは彼の言葉に顔を上げ、迷いのない彼の目を見て、困ったように視線を逸らした。

 彼女はもう暴れていない。今まで振り解こうと動かした腕は力なく下がり、表情にも冷静さが戻る。海の方へ向けていたつま先も、少しだけシズリの方へ傾けていた。


 しかし気を緩めてしまったためか、限界を迎えた彼女はそのまま倒れそうになる。

 何とか駆け寄ったシズリによって支えられるも、朦朧とした意識の中で立ち上がることは出来そうになかった。


「大丈夫!?」

「……ぁ……はあ……」

「こんな雨風に当たっていたら身体に悪い。ほら、行こう」


 重くなったミウの身体を支えながら中へ移動した彼は扉を閉める。へたり込む彼女の状態を確認し、シズリはすぐに鞄からタオルを取り出して彼女の髪や手を丁寧に拭いた。

 どうしようも出来ないところは彼女が少しだけ落ち着いて見えた時に手渡し、ゆっくりでいいから拭くようにお願いをする。とにかく少しでも体温を奪うことがあってはならないと思っての行動であった。


 そうしている間にイズルは毛布と衣服を準備したと息を少しだけ荒くしてやってきた。

 ここだと扉からの隙間風が考えられる可能性を示唆し、下の階の部屋で毛布や火を準備しておいたという兄の提案のもと、シズリたちはそこを目指す。

 2人は辛い表情をしているミウに声を掛けながらゆっくりと階段を降りていく。一歩、また一歩と亀よりも遅いスピードだが、慌てず彼女のペースで進んでいった。


 そうやって兄の先導のもとたどり着いた場所は船から上がって入ってきた部屋よりもかなり狭い小部屋であった。構造としては5,6人用の大きさで、椅子や作業台が端に寄せられていて、壁には真っ白い光沢のある板が取り付けられている。反対側には透明な壁が付けられていて、その一部は欠損し、小さな穴が開いていた。

 また真ん中には既に熱が籠った携帯型の火鉢が置かれていて、その隣は毛布と衣服がある。これらはイズルが用意してくれたものであり、船から用意した品でもあった。


「……あたたかい……」


 シズリは彼女を毛布の上に座らせてあげる。2人は彼女に着替えをお願いして外で待っていることを伝えた。衣服については自分たちに合わせたために若干大き目のローブであったが、この際文句は言っていられない。

 部屋の外で待つシズリはその場で座り込み、大きな吐息をついたのであった。そんな弟の様子を見て、兄が声を掛ける。


「とりあえず安心ってところか」

「さっきまで色々ありすぎて、安心できるのかさえ分からない……」

「ここまで来てくれたんだ。まだ戸惑ってるかもしれないが、大事にはならないはずだ」

「兄貴がそういうなら、そう、なのかな……?」


 シズリが扉に頭を持たれると、扉越しから衣擦れの音が聞こえてくる。その音が彼女によるものだと考えてしまった彼は少しだけ顔を赤らめ、項垂れた。


「やっぱり、年頃の男の子じゃねえか」

「んな!?」

「この程度でどぎまぎしてたら一緒に女の子と旅なんて出来ないぞ。もっと堂々としてくれ」

「ち、ちげえよ! 彼女に悪いと思っただけだから!」

「顔を赤くさせた奴が言う台詞じゃ説得力ないぞ」

「ちくしょう……」


 口に出されると嫌でも先ほどまであったやり取りが思い返される。彼女と密着させていたことや芳しい彼女の香りを思い出し、そんな自分が恥ずかしくなって悶えたくなる。

 先ほどまで必死だったからこそ、何も考えずやってきたことがここに来て羞恥心となって顔に表れていた。


「まあ確かにミウさんは可愛いからな。シズが惚れるのも無理ないか」

「……本当に、そうじゃなくて。ただ自分が犠牲になるだけで救われるなんて、考えてほしくないからさ」

「親父みたいにか?」

「……」

「まあ? そうやって気に掛けられるってことは好意的に見てる証拠でもありそうだな」

「だから――――」

「良かったな。今度は、何とか出来そうで」

「……まだ、助かったと決まったわけじゃないよ」


 そう言いながらも、シズリの目じりは少し下がっていた。

 その時、向こう側からこんこんと遠慮がちに2回扉を叩いてくる。2人とも振り返って同じように扉を軽く叩いた。


「着替え終わりましたか?」

『もう、大丈夫です……』


 くぐもっても遠慮がちに聞こえる彼女の声を聞いたイズルは部屋に入ることに。

 2人が見たのは座りつつも、何度か自分の恰好を気にする彼女の姿であった。下にシャツ、裾にゆとりを持たせた薄地の浴衣を重ねてその上に羽織と肩掛けマフラー。かなり掛け合わせた感があったが、自分たちが用意できたもので彼女がこれらを選んだのだ。それで寒さをしのげるのであれば大丈夫であろう。


「あの……これが、正しいのでしょうか? よく分かってなくて……」


 不安そうに目配せする彼女が特に気にしていたのは帯であった。彼女が扱うローブに使う腰ひもとは太さも違うから結び方もよく分かっていない様子である。

 何とかしようとした結果、団子結びのようになっている。別に止められたらそれでもいいのだが、彼女が気にしているようなのでシズリが一歩前に出た。


「巻き方は大丈夫ですけど、締め方がきついかも。ちょっとその団子を後ろに回してもらっていいですか?」


 彼女は言われた通り結び目を後ろに回して、間違いがないように身体を抱くようにして待機した。シズリは彼女の後ろへと回り込み、団子結びを解いて蝶結びへと変えてあげると、「これで大丈夫です」と彼女を安心させた。


「きつくないですか? きつかったらここを引っ張ってもらうと調整できるので」

「今のところは、大丈夫です。その……ありがとうございます。えっと……」

「まだ何かありますか?」

「いえ…………何でもない、です」


 どこか余所余所しい反応の彼女はそそくさと毛布を敷いてそこで横になる。そして彼に背を向けるようにして寝返りを打った。

 首を傾げ、どういうことかよく分かっていないシズリはイズルのところまで戻って耳打ちをする。


「俺、何か悪いことしたのかな?」

「まあ大方の察しはつくが、こればっかりは彼女の問題だな」

「つまり?」

「お前はいつも通り接しろってことだ」


 イズルは丁寧に折り畳まれた彼女の衣服を手に取ると、それを近くの椅子に掛けていく。そしてシズリが羽織っていたコートを手にすると、シズリに向けて放り投げた。


「渡しておくが着るなよ。まずは俺たちも身体を拭いて乾かしておこう」

「分かってるよ。そんなこと」


 その時、小さな寝息が聞こえた2人は一緒に彼女の方を見た。


「……よっぽど疲れてたんだね」

「そうだな。昨日の夜からずっとあそこで祈ってたんだろうな」

「本当に、ずっと1人で。責任を感じてたんだもんね」


 言いながらシズリは自分用に敷くはずの毛布を取り出して、彼女にそっと掛けてあげる。


「いいのか? お前の分もうないぞ」

「いいよ、俺は最悪寝なくても大丈夫だし。それにこの方が安心できるでしょ?」

「安心ねえ。まあお前はそういうやつだからな……」


 シズリは含みのある言い方をする兄に不満を述べようとしたが、その前に投げつけられたものがあって慌てて受け取る羽目に。受け取ったものは兄の毛布であった。


「兄として命令だ。お前はちゃんと毛布を使って寝ろ」

「いや、でも流石に俺の勝手でやったことだから」

「お前も夜明け前から船の準備をしててまともに寝てないだろ。それに航海や探索で疲れてるはずだ。で、結果彼女と同じようにお前まで倒れてみろ。俺だけが後処理に追われるだろうが」

「まだ倒れると決まった訳じゃないけど」

「倒れられてからだと困るんだよ。さっさと使え」

「……ありがと。じゃあお言葉に甘えて」


 シズリは兄の厚意に甘えることにして毛布の上で横になる。


「今後のことだが、とりあえず色々と落ち着いたら彼女をリディアまで送るぞ」

「うん。でもこれまであった出来事、みんなに話してみるの?」

「話すしかないだろ。最悪俺たちが無理やり連れてきたと説明しないといけないだろうな」

「え? それ俺たち悪者にならない?」

「なっても仕方ないだろうな。勝手に来た放浪者が、挨拶なく出て行って、リディアの掟を無視して、大事な役割の邪魔をしたんだからな」

「その説明しないといけないのかなあ」

「いざという時は、だ。そうすれば少なくとも彼女に非難の目は避けられる」

「……」

「言いたいことは分かるが、最悪の事態も考えとかないといけないんだって」


 イズルは溜息1つ付いたのち、扉をゆっくりと開けようとした。


「兄貴は寝ないの?」

「俺は寝た方だからな。お前たちが仮眠をとってる間にこっちは船の後始末とか、今後の天候とか見ておくだけだ」

「わかった。何かあったら起こしてよ」

「少しだけ扉を開けておくぞ。換気はしとかないといけないからな」


 そこまで言ってから兄はいなくなった。どうすることもないシズリは兄の言葉通りそのまま寝る体勢に入ろうとする。

 そこで向かい側にいるミウの姿を捉えた。


「すー、すー……」


 穏やかな寝息を立て、血色も少しだけ良くなった気がする。後は身体を休めてもらえば、ある程度体調は回復することだろう。シズリにとってそれが束の間の喜びであった。

 落ち着いたら、今後のことについて話をする。納得した彼女が素直に皆のもとに帰ってもらって大手を振って別れる。そんな姿を頭の中で描く。

 父親に教わった勇気の出るおまじないをしつつ、彼はゆっくりと瞼を閉じたのであった。

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