第7話:迷いなき行動

 船に取り付けた松明の仄かな灯りを頼りに作業を進める。

 風のことを考え、マストの帆を狭める。雨量のことも考えると、バケツは手元に置いておく必要がありそうだ。いざという時は1人で船内に溜まる水を掻き出す作業が必要になるだろう。雨と夜明け前の寒さに手がかじかむことも考えられる。

 上空は今も灰色の雲が覆い、天候が好転することはないだろう。天候と波の荒れ具合にどこまで臨機応変な対応が出来るか。何分不安材料が多いが、決めた以上仕方ない。


 万が一ということも考えて置き手紙もしておいた。これであとは柵と帆船を繋ぐ縄を解けばいい。

 そう思って、彼は帆船から建物へと移ろうと顔を見上げた時だった。


「……何してんだ、お前」

「あ」


 シズリの視線の先に松明を持って怒りを通り越して呆れているイズルがいた。彼もまた家の中で着ていたローブではなく、愛用している私服を着こんでいた。

 兄弟だと互いに何をしていて、何をするかよく分かる。

 だからこそ、シズリはいち早く手を上げてまずは兄のご機嫌を伺った。


「おはよう、兄貴」

「まだ夜も空けてねえし」


 吐き捨てるような台詞。兄の怒った時の典型的な感情表現である。


「いやちょっと朝食用の魚を獲りに行こうと思っててね。ほら、酒宴で兄貴の話を聞いてから興味が出てさ」

「せめて銛を船に積んでからそういう嘘をつけ……」

「えっと。じゃあ星空を観に行こうかなって」

「御託はもういい。自分のために、ミウさんを助けに行くんだろ?」


 言い当てられて罰の悪そうな顔になるシズリにイズルは「あれだけ釘を刺したってのに……」と胃の痛くなる思いを吐露していた。

 イズルはシズリの言葉を待たずに柵を乗り越え、船に飛び乗る。そして松明を手に持ったままシズリの頭にチョップを叩き込んだ。


「いで!」

「勝手にどっか行こうとしやがって……。なんだあの置手紙は、『探しに来ないでください』って、家出か!」

「いやイズル兄貴を巻き込みたくないと思って……」

「この船使う時点で巻き込まれてるだろうが! 俺はどうやって帰れと言うんだよ!」


 数秒間考えた後、シズリはなるほどと手を打った。


「考えてなかった」

「どうしてお前はそこまで考えてないんだよ……。まあそんなことよりも、いまお前がやろうとしていることについてだ」

「止めに来たってこと? 残念だけど、もう決めたことだから」

「そんなことは分かってるよ。そうじゃなくて確認をしたいだけだ」

「確認?」

「本当にいいのか? 俺たちは渡り屋なんだぞ」


 イズルは双峰が弟の眼を捉える。半端な理由であれば、許さない。そんな威圧的な想いが瞳に出していた。

 シズリは少しだけ空を見上げ、そしてもう一度兄の眼を見た。


「もちろん渡り屋だからとか、部外者だからとか色々考えたよ。だけど、やっぱり難しいことをあれこれ考えるのは性に合わないし、悲しんでいる相手に何もせず見過ごすのって自分は無理だからさ」

「相変わらずだな。だがそんなこと言ってると、いずれ厄介ごとに巻き込まれるぞ」

「ははは、だとは思う。でもこういうことが出来る渡り屋になりたい。それが本心なのは変わらないよ」

「……たく。お前はいつも俺を困らせるな」

「そうじゃないと、俺らしくないでしょう?」


 そう言って迷いなく笑われては、イズルから何も言い返すことが出来なかった。

 父のような強い目的を持って行動すること。そして、自分に誇れる渡り屋となること。


 シズリはきっと人との繋がりを大切にしたいと考えているのだろうとイズルはすぐに理解した。昔から見てきたからこそ分かる兄の直感。他人を想い、自分に何か出来ることがあるなら関わろうとする弟の性格であり、長所。それは海を越えた見知らぬ人と場所であっても変わらない。

 こいつが渡り屋になりたいと言い出したときも、そんな理由だったか。

 イズルは昔から全くぶれない弟に対して呆れながらも、手に持っていた松明を帆船に取り付ける。


「分かった。そこまで言い切るなら止めはしない」

「え、兄貴も来るの?」

「当たり前だろ。この船は折半で買ったんだ。知らぬところで海の底へ沈んでますで済ませる訳にはいかないだろうが」


 目をしばたたかせ、シズリは「ちっさいなあ……」と突っ込む。


「そんな理由なの?」

「うるせーよ! 俺はお前と違って現実的なだけだ。それに」

「それに?」

「お前に万が一のことがあってみろ。それこそ俺たち渡り屋の終わりってことだ」

「なるほど、人件費払える余裕ないって言ってたしね」

「いやそうじゃないんだが……」


 弟の無垢な瞳を見て、これ以上説明するのも馬鹿馬鹿しいと咳払いをしておいた。


「まあそんなことよりだ。お前彼女がいる場所に心当たりでもあるのか?」

「そりゃあもちろん。彼女が前言っていた天壇、そこにいると確信してる」


 少し離れた位置に天へ貢ぐための場所がある。それを覚えていたシズリは自信満々にそう答えたのだった。


「で、その天壇がどこにあるかはわかっているのか?」

「ミウ達を載せたあの船の方向的にはあっちで、ずぅっと行けばたどり着く」

「なんとふわっとした説明だ……もう少し判断材料はなかったのか?」

「なら兄貴はどこか分かってるの?」

「方角だけな。ここから南南西の場所に行けばとだけ聞いた」


 船を扱う際には正確な場所と方角を持っていかなければ遭難してしまう。

 今回のような彼女が送られた場所まで追うとなっても、少しでもずれた方向であると、目的地にたどり着くことは出来ない。この場合必要なのは彼女がいるとされる場所と、正確な方向だ。


 それなのに弟が返してきた内容があまりに勢い任せ。イズルは自分が知らなかったら本当に船を無くしていたかもしれないと安堵と恐怖が入り混じった複雑な心情を表情に見せていた。


「本当に分かってたんだ。でもそんなこと、いつ聞いたの?」

「漁師たちの話でそんなこと言ってたんだよ。特別な場所と言っていたが、ほぼ間違いなく天壇と呼ばれる場所だろう」

「じゃあ距離は? どれくらいかとか聞いてる?」

「いや、聞いていないな。あるとだけ聞いただけから」

「半時だよ。あんたらの船なら、もう少し早いかもな」


 誰かが話に割ってきた。2人は振り返って、その正体に驚かされた。


「ダイクさん!? どうしてここにいるのですか!」

「よっ、お二人さん。この時間から出航とは聞いてないぞ」

「ダイクさんこそ、こんな夜更けに起きるなんて早起きだね」

「漁師の朝は早いんだよ。何なら元気よく散歩してた途中だ」


 警戒の色を見せた2人に対して、ダイクは建物に付けられた柵から乗り越えることはない。柵から身を乗り出すだけで、彼は笑顔で対応していた。


「別に止めようなんて思ってないから。もしその気なら場所なんて教えねえよ」

「じゃあ俺たちを見送りに来たってこと?」

「ああ。お前らは少しだけ早くここを発つだけ。それを確認しに来たんだ」

「……ありがとうございます。今までお世話になったことは忘れないとだけ、リーハさんへ言伝をよろしくお願いします」

「あ、なるほど。嘘を付くってことか」


 シズリがようやく理解出来た様子を一瞥だけしてイズルは続けてダイクに問う。


「でも良いのですか?」

「2人の話を少しだけ聞いていたよ。お前さんのいう通りで、誰もこんな結末で終わりたいと本心から望んでいない。あいつはリーハさんにとって……いや、リディアにとって大事な一人娘なんだ。ただの舞姫じゃない」

「ですが、俺たちがここから出て行くとなると、あなた方はもう……」

「あいつが元気に過ごせる以上を望めばそれこそ天に怒られるって。それに、あいつはいつか帰ってきてくれる。何せこの集落随一のお人よしだからな」

「……ありがとう。ダイクさん」

「おう。こっちのことは任せろ」


 ダイクは縄を解いてくれた。ゆっくりと建物から離れていく船に2人は何もしなかったが、波と風に乗り、徐々に船の勢いをつけると彼らは目的地に向けて動き出した。

 ダイクは彼らの旅路を見守る。そこに居続け、2人の最後となる瞬間を見届けていた。


 空はその間に夜明けへと向け、白み始めていく。最初は松明の灯りを頼りにしていた彼も、いつしか太陽によって仄かに映る彼らの姿を追っていた。

 そして彼らの姿が確認できなくなるほど遠くに行ってしまったとき、彼はようやく柵から手を放すのであった。


「初めての友達が出来た、か」


 酒宴が始まる少し前、ミウが小躍りしながら喜んでいたのをダイクはよく覚えていた。

 何も知らず、色々なことに憧れ、そして新たなことに胸を躍らせる。それはまるで、幼い頃のミウの姿。子供の頃、たった1つの果物で大喜びしていたあの頃のミウにそっくりだとダイクは感じていた。

 そして彼は同時に気付かされる。いつからか、ミウはそんな笑顔を無くしていたことに。


 変わらない出来事を繰り返し、先を視ずに済む生活に、彼女はいつしか楽しむことを忘れてしまっていた。見渡す限りの海が彼女の視野を徐々に狭めさせて楽しみを奪っていたのかもしれない。

 だがそれは他の者も同じで、変わらない毎日になれていた。だからそんな些細な彼女の変化にも気づけなかったのかもしれない。


 そこに彼らがやってきた。

 歳の近い少年2人は世界や外を伝え、ここだけではないことを改めて教えてあげてくれた。彼女に笑顔を取り戻してくれた。そして今度は彼女を救い出したいと言ってくれる。


 ならミウにとってどちらが幸せか、分からない者はいない。

 これからは彼らが導いてくれるとダイクは確信している。この世界できっと、ミウは多くの者と出会い、また多くのことを知り、そして大きく成長してくれるはず。


「良かったな、ミンクとウリルアさん。あんたらの娘さんはようやく外へ出られそうだ。しっかし2人の命日にこの出来事とは、天も憎いことをしやがる」


 どこか遠くへ行ってしまった者へ言葉を掛け、そして笑っていた。

 そんな背中にガウンの雨はけ用の上着が掛けられる。明けの曇天、それに横に殴りつける雨ということを考慮してのことだろう。既に濡れた服にこの温もりは有難くもあり、もう少し早く手渡してほしいと彼は心の内で苦笑していた。

 そんな優しきお節介者へ、ダイクは背中を見せながら言葉を掛ける。


「今までちょっと大人になったミウちゃんだったと思ってたが。あの子もまだまだ子供らしいところがあるじゃねえか」

「……」

「覚えてるか? あんたの前に現れた両親が言い放った言葉。今なら少しだけ分かる気がするな」

「掟とは、縛るためにあるわけではないと?」

「周りの環境ってのは少しずつ変わる。それに合わせて自分たちも変えていくものもあるってことだ」


 ダイクは困ったように空を仰ぐ。


「それにしても、これは本当に天候が荒れそうだな」

「天の怒りなのか、それとも嘆きか」

「どっちであっても関係ないさ。夜通し頑張って事態の収拾をした後のこれだ。また何かある前に俺たちで何とかするしかないな」

「そうであろうな」

「で? 落とし前はつけた方がいいのか? やるならさっさとした方がお互いにいいだろ」

「……まずはここを守る必要があります。故郷が無くなったとあれば、あの子も後ろ髪を引かれる思いとなります」

「それはそうだな。優しいあいつならどこにいても戻ってきちまいそうだ」

「そういう理由も踏まえ、罰則の説法はそのあとにしましょう。ダイク、こんな私のために手伝ってくれますか?」

「もちろんだよ。リーハさん」


 杖をつく長に手を貸しながら共に船まで向かうダイクは途中で足を止め、後ろを振り返る。

 既に彼らの松明の灯りはない。どこか遠くへ行ってしまったが、きっと導かれるまま、迷いなく進み続けていることだろう。

 彼らにしか出来ないことがきっとある。それを信じてダイクは再び彼女の背中を支えた。


「渡り屋として、ミウちゃんの友達として、2人とも頼んだぜ」

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