第5話:与えられた役割

 木の棒に布を巻き付けた松明がパチリと音を立てる。他にも、酒が盃に注がれる音、今日取ってきた魚にかぶりつく音、そして人の談笑と笑い声が建物の上で響き渡っていた。

 イズル達の出立の無事を願ってと体裁はあるものの、その実はただの飲み会である。堅苦しい感じはなく、和やかな雰囲気で酒宴は行われていた。


 女性たちは配膳や料理、男たちは各自自由に座ってミズルやシズリの相手をする形で役割が決まっていた。人数が少ないためこじんまりしているが、むしろそれが気兼ねのなさを生み出す要因となっているだろう。

 足元に固い地面をカバーするために幾つかの布を並べていた。そして円を囲うように木製の盆が置かれ、そこに質素ながらも温かみのある料理が配られていく。


 今回の主役であるミズルとシズリはすっかり集落の人たちに気に入られたようだ。色んな人が話に来て、その対応をする。特に今日の出来事の1つであるミズルの銛裁きと、シズリの酔い潰れた当時の話は酒のつまみには持ってこいの内容であった。


「しっかしミズルも良い線いってたぜ。あれなら後2歳を迎えたら立派な銛使いだな!」

「いやしかし、今回は魚1匹しか捕らえられなかったんですが」

「俺なんて初めはゼロだったし、お前は筋が良いって。これから1日100回銛を振ってれば完璧だ」

「ひゃ、100回!? そんなにやっていたら腕が取れますから!」

「腕はそんなやわじゃないって。食うもん食って、鍛えれば立派な男になれるぜ!」


 そう言って力こぶを見せる男に「はあ……」と気の抜けた声しか上げられていない。

 やり取りを横目で見ていたシズリは盃の中身を覗きこんで、首を振っている。いち早く気付いたミズルは躾けるためにも腕をつかんだ。


「シズ、お前は酒を控えろ」

「分かってるよ。水がないか探してるだけだから」

「おいおい、主賓が素面じゃ盛り上がりに欠けるじゃねえかー」

「ごめんなさい。まだ16歳を迎えた人の飲酒は規制の対象なんですよね」

「こっちでは特にそういう制約はないんだし、予行は大事だぜ。それにこいつみたいな果実で出来た酒だと飲みやすいんじゃねーのか。こいつは近くの大陸で取れた果実を元に出来たものだからがぶがぶ飲めるぜ」

「甘さの問題じゃなくて……」


 自分がひどく悪酔いしやすい体質であることが大きな理由であった。何せこれだけ時間が経ったにも関わらず、酒を飲み始めた記憶があいまいではっきりしていないのだ。しかもイズルの話を聞けばすぐに酔いつぶれたとのこと。


 シズリは自身が下戸だとわかっている手前、流石に主賓として勧められたとしても抵抗を感じるのは当然であった。

ただ無下に断ることも出来ず、押し切られそうになったところで、


「こら、主賓を困らせてどうするんだい」

「いっだ!」


 配膳用のお盆を縦にして殴りつける女性がいた。どうやら目に余る行動を諌めに来てくれたのだろう。


「ちょーっと目を離した隙にこれだ。ごめんねえ、うちのバカが無理を言って」

「すいません、ありがとうございます」

「なんだよ。男同士の付き合いに口出すなって」

「一方的な押し付けじゃないかい。それでよく付き合いなんて言えたもんだ、と」

「あ、返せよ! いくらなんでも酒を取ることはねえだろ!」

「この後ミウちゃんの演舞なのだから。その前に潰れないようにするための処置だよ」

「ぐぬぬ……」


 そう言われて彼は肩を落とす。イズルたちが彼を前に弱くなるように、彼もまた妻を前に弱くなっている構図が出来ていた。


「誰にでも苦手とする相手がいるってことか」

「……おいシズ。そこで何で俺の方を見るんだ」

「べつにー。ミズル兄貴にもきっとあるんだろうなって思っただけだよ」


 悪戯な笑みを浮かべてのシズリの一言に悪態を付きながらミズルは盃を傾ける。若干温く、味が落ちた気がした。


どん、どん、どん―――――


 等間隔に叩かれる太鼓の音が周りの音をかき消す。イズルとシズリはその音で空を仰ぐなか、他の者はすぐ隣の海原へと視線を向けていた。

 そこには松明に照らされ、夜の海にぽつんと浮かび上がる手漕ぎの船がある。音の発生源はそこに乗る和太鼓奏者によるもので、他にも奏者として笛を持つ人も待機している。


 そしてその2人に挟まれるようにして真ん中に居座り、静かに佇む1人の少女。


 豪華な衣装と頭に掛かったベールを身に纏い、闇夜の中でも浮かぶ。白き衣装が黒き背景によく映え、松明の灯りによって少し橙色に染められていた。誰もがその存在が誰であるか、疑うものはいない。

 その一行はこちらへ近づいてくる。そして船は横に着けられ、彼女たちは慌てることなく建物に上がった。

 誰もが、その美しさに「おぉ……」と感嘆の声を上げていた。ベールの下には軽めに粉でおしろいを施した肌に紅を入れた口元。以前まで真っ直ぐであった髪を三つ編みで結い、派手すぎない髪飾りで整えていた。


 全ては自身の舞いを天へ届けるため。1人の舞姫として威厳と精錬な姿を見せるため。そこに彼女のあどけなさは無くなっているように皆は見えた。

 彼女たちは音も立てず歩き、そして後ろに月を従える形でシズリと対峙する。


 そこでシズリは気づいた。彼女の胸元に松明によって爛々と輝く青き首飾り、それは昼に渡したあの首飾りであった。


「まさか、彼女が舞姫だったとはな……」


 ミズルは彼女の衣装や立ち振る舞いから理解したようだ。口元に手を当てて驚きを隠せないでいる。


「先祖代々続いてるらしいね。彼女のお母さんもおばあさんもやってたらしい」

「なんだ、シズ知ってたのか?」

「聞いただけだけどね」

「先祖代々から続いてるのか。なるほどな」


 静かに語るミズルは何か思うところがあるのか、閉口してミウではなく彼女の脇に鎮座するリーハであった。


 白い小袖に身を包んだ控えめな正装で待機していた長であったが、娘が定位置まで立つと、真っ直ぐ見据えたまま始める前の挨拶を述べた。


「ただいまより、イズリとミズル、そして我らリディアの民の会遇を祝福する演舞を行います。私はリディアの長であり、舞姫として天に仕えていたリーハで御座います」


 そこで一度お辞儀をする。

 彼女は続けてこの演舞には天へ更なる繁栄を願うものであることやミウが今後とも舞姫として精進する覚悟などを口上として述べていく。


 その間イズル達を含めた観衆は食事や盃に手を出すことはあれ、言葉を発することはない。リーハのために用意された1分間であった。

 口上が終わると、リーハからミウへ。長の最後の言葉から少し待ち、ミウは一礼によって皆の注目を集めさせた。


 彼女の踊りから演舞は始まった。肩から先だけで穏やかな動きを切り口に徐々に上半身、身体全体へと大きく表現される。その流麗な舞は海を彷彿とさせ、時に抑揚から激しく、時に静かな世界を描きつづけた。

 舞台を広く使いながら、彼女は舞い続ける。抑えた表現であっても、小さな動き1つ1つに意識を向けられていて無駄がない。彼女はたった一瞬の動きでもそこに意味を込め、海の想いと共に物語を表現していく。


「天の子守唄、か」

「え?」

「いや彼女の舞を見ていたら、全てを飲み込むような感じがしただけだよ」

「そう、なのかな。俺は時に人を叱り、時に優しくする海を表現したいように見えるけど」


 シズリとミズルで視方が違うのは、海をどう捉えているかによるのかもしれない。

 海は過去を隠した経緯がある。そして今でも広大な海は人の脅威となり、恵みとなりえる存在。だからこそ海に対してどのような感情を抱いているかは人によって変わることだろう。そしてそれは彼女の舞でも小さな齟齬を生み出しているようだ。


 彼女はどうなのか。


 シズリは気になって彼女の表情を見やる。だがベールで包まれた彼女の表情をそこから全てを読み取ることは出来そうにない。ただ垣間見える口元は微笑ましくみえることだけが彼が分かったことだった。


 太鼓の刻む音が早くなり、それが演舞の終局を告げるものだと2人は気づく。心なしか、彼女の動きも大きなものに変化していた。

 そろそろ終わることを察して、ミズルは盃を置いて、拍手のための準備をする。皆も同じように、両手を空けだした。しかし、


――――ゴゴゴゴ……


 地の底を何かが這いずる音が鳴り響き。だがそれは音だけではなく、身体全体を横に揺さぶる大きな衝撃がやってきた。


「なッ! 地面が……!!」

「なによ、これ!!」

「どうなってる!!」


 食器が割れる音や人々の悲鳴。

 ただならぬ事態に皆が混乱し、目線を泳がせて誰かに説明を求めようとする。

 だが誰も答えられるものはいない。それは渡り屋であるシズリたちも、舞姫であるミウも例外ではなかった。


 シズリたちは立ち上がる事も出来ずに不安な表情で地面を見つめるしか出来なかった。

 誰もが何事もないことを願っていた。しかし、事はそう上手くいかない。


「ねえ、あれ!!」


 配膳をしていた1人の女性がそう叫んで皆にある場所を震えながら指す。

 轟音と先ほどの揺れとは違う小刻みな振動と共に、何かが波しぶきを上げて海に沈んでいく。


「嘘でしょ。建物が崩れる……」


 誰かがその光景に茫然自失としながらも、何とか声を絞り出して皆の代わりに状況を伝えていた。

 集落の一番隅にあった建物。それがゆっくりと傾き、形状を保ったまま海の底へと沈んでいった。暗闇の中では建物の上にある家々は視認できないものの、どうなっているかなんて想像に難くない。沈んだ先に残るのは少しだけ広げられた海面だけだ。


 そしてその結末が分かっていても、誰も動くことは出来ない。救いと言えば、そこには誰もいないという事実だけであり、あっという間の出来事に彼らは見届けることしかできないのだ。


 建物が消えると同時に静寂が訪れる。


 静寂による不安を拭うことが出来ない民は一斉に騒ぎ、喚く。誰もがこの事態の理解が出来ず、「なぜ」と状況を知ろうと我さきに質問や確認を取り合おうとしていた。


 シズリとイズルは顔を見合わせ、そしてミウの方を見やる。

 彼女はおもむろに立ち上がり、皆の様子を伺っている。心なしか何かを恐れているようで、不安げなその手は胸の前で組まれていた。


「静まれ!!」


 誰もがその声に耳を傾け、口を噤む。しかしその表情は強張ったもので誰一人安心している様子はなく、長であるリーハの言葉によっては更に混乱を招くことだってあり得るだろう。

 暫し間をあけて皆の頭を冷やした上で、リーハはまず皆の眼を1つ1つ見つめていき、そして次にミウの方へ身体を向けた。


「ミウよ。まずはその服飾を外しなさい。こうなってしまった以上、演舞は中止です」

「……」

「まずはこの事態の把握から行います。アルイアは船の被害、リリルは家の被害を――――」


 彼女は冷静に他の者へ役割を与える。その場から動かず、堂々としている姿勢に皆も感化され、それぞれが松明を手に取って動き出していく。その間リーハの口が止まることはなかった。


 そして残ったのはシズリとイズル、そして集会にいた者たちとミウであった。

 特にミウについては先ほどからずっと押し黙っている。その表情は悲壮感が漂い、落ち着きがなかった。


「さて、今回の件について検討すべきことがあります」

「リーハさん。何もいま話さなくてもよいのでは? シズリさんとイズルさんがいらっしゃる目の前で……」

「何の話を――――」

「黙ってろ、シズ」


 つい口を挟もうとしたシズリだが、イズルに腕を掴まれ、そのあとの言葉を失った。


「彼らもここに居る限りは今回の話を聞いてもらい、理解してもらう必要があるのです」

「つまりリーハさんは、天の仕業と、お考えなのですね」

「……今回の事態で説明できることは地を揺るがす災いという一点だけです。他に要因が考えられない以上、これは天からのお告げであり、天の想いが災いと考えるが当然。それ故に今までと同じく集落の掟に従う他ない」


 残念そうに告げるリーハの横でミウの表情は青ざめ、口元を震わせた。

 皆が一様に黙って、その言葉を飲み込む。恐らくこの決断に自分が口を出すべきではないと判断してのことだろう。しかしシズリの近くに居たダイクだけは「ちょっと待てよ!」と立ち上がっていた。


「リーハさん、その決断はあんまりじゃねえか!」

「個人に流されて集落は成り立たぬ。長である者として天の導きに従い、この地を守る者でなければならない」

「だがよ、これじゃあミウちゃんの両親に顔向けできないだろうが……!」


 嗚咽を抑えるような声で呻くダイク。彼の表情はシズリの胸中をざわつかせていた。

 リーハは娘の方へ身体を向ける。視線を落として、祖母の表情をゆっくりと見たミウは下唇を噛んでいた。


「よいな、ミウよ」

「……はい」


 はっきりと言わず、有無を言わせぬ流れにシズリはついていけていない。だが、次にリーハが告げた判決により、ようやく彼らが考えていることに気付いた。


「天の怒りを鎮めるため、舞姫であるわが娘、ミウを捧げる。これは舞姫として役目を持つ者の宿命である」

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