とみちゃんと天国のレシピ

黒猫チョビ

一品目 かあちゃんの卵焼き -1-

 電車の音も、車の音も、都会の喧騒などと呼ばれる騒々しさや不快な音はこの店には一切無縁。


 なぜならここは、表通りから裏路地に入り、奥の奥の更にその奥に入っていくとやっと辿り着くことができる、土筆つくしの絵が書かれた暖簾のれんのかかる、敷地面積としては10坪あるくらいの小さなお店。


 お客さんのためのスペースは、L字型をしたカウンターと椅子が6脚あるだけ。そんなちっちゃなちっちゃなお店が私の働く小料理屋「つくし」なのです。


 つくしの大将の裕次郎さんは、政治家先生達なんかが会合に使うほどの超超超高級料亭で料理長をしていたくらいの腕前だったのですが、


「板前ってのはな、自分の作った料理を沢山のお客さんに『旨い旨い』と言ってもらうのが生き甲斐なんだよ!!」


 という、積年の思いそのお店のオーナーに浴びせ、辞表を叩きつけたあと、このお店を作ったそうです。


 そんな大将のお店には、いつも常連さんが入れ替わり立ち替りやってきます。


 少しのおつまみと2本のぬる燗を飲んで帰る魚河岸の岸さん。機械音痴の大将に、何か壊れるたびに「梅んところ電話しろ!」といっては、呼び出される電器屋の梅さん。釣りが大好きで、週末にはクーラーボックスいっぱいのお魚を持ってやってくる辰さん。仕事が忙しくなると、ご飯だけ炊いてうちのお店におかずを買いにくる、5件先にあるちっちゃな紡績ぼうせき工場の経営者の奥さんの優子さん。


 他にも印刷屋さんの山さんとか、クリーニング屋の愛佳ちゃんとか、本当いつもいっぱいのお客さんがやってきてくれます。大将の料理を嬉しそうに食べてくれる姿を見ると、私まですごく嬉しくなってくるのです。


「とみちゃ〜ん。ビールもう一本もってきてぇ〜」


 そして、常連さん達には「とみちゃん」という愛称で呼ばれているのが、富美子こと、わたくしとみちゃんです。


「辰さ〜ん、ペース早いよ。この前の健康診断、肝機能イエローカードだったんでしょ?」


 と、ぶすりと釘を刺しながらも、辰さんの前に瓶ビールを置く。辰さんの奥さんからの伝言で「お酒を飲む場所はつくしさんくらいですから、ビールだったら2-3本くらいは出してあげてください」と言われているからだ。


「俺が釣ってきたキスを大将がこんなに旨い天麩羅にしてくれたんだぞ!?飲まなかったら逆にバチがあたるよ」


 開店と同時にクーラボックスを肩から下げてやってきた辰さん。今日の釣果はイマイチだった。といいながらも、持ってきたクーラーボックスの中にはキスが山のように入っていた。


 それを見た大将は、というと、


「それじゃ、まずは定番通りから行きますか」と言うやいなや、クーラボックスの中から、形の良いものを幾つか選別すると、あっという間にイチョウの葉の形のように捌き終え、手際よく衣をつけ170度くらいの油でさ〜っと揚げていく。


 いつもは”コク”を出すためにと、天麩羅油にはごま油を加えるのですが、


「キスのような白身の繊細な味を楽しむ場合、ごま油の香りは合わないだよ」


 といって、今日は菜種油だけで揚げていく。


 黄金色に次々に揚げられていくキス達の中の一匹を味見と称して頂く。


 熱々の衣に岩塩をちょっとつけて頬張る。歯を入れた瞬間に「サクッ」という音を立てた衣の中からは、旨味成分を大量に含んだ蒸気が朦々と立ち上る。口の中に入っている身を噛みしめると、フワフワとした食感とキスの淡白な味わいが広がっていく。きっと、ご飯を食べて感じる幸せというのはこういうことなのだと思う。


「それじゃ、次はキスの糸づくりだ」


 刺し身でも食べれるほど鮮度の良いキスを縦に細く細く切り、それを、青磁色の小鉢にこんもりと盛り付け、頂きにちょこんと梅肉を添える。


「日本料理というのは、素材に感謝し、素材の味に感謝をする。料理人はそれらに敬意を評し、手を加えすぎないことが大事なんだ」


 シンプル・イズ・ベスト。それを食べる辰さんは「旨い旨い」と休む暇もなく食べ続ける。


「おう、ビールはやめだ。日本酒つけてくれ」


 そういって辰さんは、グラスに残ったビールを注ぎ入れ一気に飲み干した。


「もぉ〜、約束破ると、奥さんに怒られるの私なんだからね」


 そう言って私がお燗の準備にかかる。そうこうしているうちに、次の料理の準備ができたようで、辰さんの前には、一人前用の小さな土鍋が置かれた。土鍋は土鍋を載せる台がついており、その中にある固形燃料からは火がメラメラと上がっている。


「火が消えたら数分蒸らして蓋をとってください。キスの炊き込み御飯になっています」


 そう言って土鍋の蓋の上に、三つ葉と山葵わさびと刻み海苔を乗せた小鉢、傍らにはしゃもじとお茶碗を大将が置いた。


 なるほど。先程からキスの骨と昆布で何やら丁寧に出汁を取っているな。とは、横目でみていたものの、その出汁を使って炊き込み御飯を作るところまでは想像できなかった。


 そんな上機嫌な辰さんとは対照的に、実はもう一組、一番端の壁に面した席に、歳の頃だと5−60代の夫婦のお客さんがお食事をされている。


「お味の方はいかがでしょう。お口に合いましたかな?」


 料理の提供が一段落したのもあり、大将がその夫婦に声をかける。少し小太りな奥さんはキスの天麩羅を口にした瞬間に、目を丸くし旦那さんをバシバシ叩いて喜んでくれているのを私は横目でちらりとみていた。


「長く生きてきましたが、こんなに美味しい天麩羅を食べたのは生まれて初めてかもしれません」


 と、持っていた箸を箸置きに置き、白髪混じりの体のラインがピシッと出ているジャケットがとてもお似合いな旦那さんが口を開いた。


「あったりめぇだ。俺の釣ってきたキスを大将が料理したんだから、不味いわけがないんだよ」


 完全にアルコールが回って、上手に酔っ払いと化した辰さんを宥めるように「いつもありがとね」と言って、辰さんの好きなぬる燗をお酌してあげる。


「このお造りもすごく美味しいです。お刺身って山葵醤油だとばかりおもっていたんですが、梅肉だけでも美味しいんですね」


「キス本来の味を味わっていただきたかったので、今日はさっぱりとした梅肉を添えてみました。ご家庭で鮮度の良い白身の切り身が手に入ったら、昆布で挟んでやって、冷蔵庫で一日おいて置くと旨味が移って、そのまま食べるよりも美味しくなりますよ。」


 「わぁ〜美味しそう、今度やってみます」と言って、今言われたことを忘れないようにと、カバンからメモ帳を取り出し奥さんは紙面の記録を取り始めた。


 そんな和やかなやり取りをしていると、入り口の扉がガラガラと開いた。


「こんばんわ〜。辰さんの声が聞こえたから来ちゃった♪」


 と、仕事帰りのまま来たと思われる、作業姿の愛佳ちゃんがお店に入ってきた。


「おぉ、愛佳。いいところにきたじゃねぇか。今日は日本で一番旨い天麩羅が腹いっぱい食えんぞ」


「ほんとぉ〜♪うれしぃ〜♪」


 などと、親と子くらいの歳の差がある二人が手を取り合って、キャッキャとはしゃいでいる。はたから見たら、若い女の子に絡む酔っ払いにも見えなくもないが…


「大将の料理の腕がとても素晴らしいということが大変よくわかりました。実は、今日このお店にお邪魔したのには、ある噂を聞いてきたからなんです」


 先程までの穏やかな顔つきから一変、神妙な顔つきでジャケットの男性が大将の目を見て話し始めた。


「ほう、噂ですか。それはまたどんな?」


 ジャケットの男性の声のトーンと真剣な顔つきを見て、さっきまでキャッキャしていた二人も静まり、男性の方へと視線を向ける。


「このお店の大将は、日本中で、右に出るものはいないと言わしめるほどの腕の持ち主で、なんでも、亡くなった故人の思い出の一品の味さえも、完璧に再現できるほどの腕を持つと。お願いです!どうか、力を貸してください!」


 男性は声を荒げ、椅子から立ち上がり、大将に向かって深々と頭を下げた。


 それを聞いた大将と常連の二人。双方に顔を見合わせると、同時に声を揃えてこういった。


「「「それだったら、そっちのほう」」」


 と、みんなが一斉に、お通しの準備をしている私を指差して答えた。


 ビクッっとして、目線をその男性の方に向けると、


「え?この子が?」という顔で、私の顔を見ていた。


「あははは…その噂の人がこんな小娘ですいません」


 私はそう答えるのが精一杯だった。


 ――― 故人の思い出の味の再現 ―――


 故人の料理というものは、お店の味とは違ってまったく同じものを作るということはとても難しい。


 材料の下ごしらえの仕方や、調味料の分量、火加減、タイミング。その全てが故人があの世に一緒に持っていってしまう。親兄弟ですら、再現することは至難の業なのである。


 しかし、私にはそれができるである。


 なぜなら私は、「口寄せ」で有名なイタコ一族の血筋の一人。料理で食べる人を幸せにしたいと大将に弟子入りし、「故人の思い出の味」を再現してくれるという噂を作った張本人だからである。

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