#16

 依頼主の高橋さんの家は、広くてきれいな一軒家だった。

 子供みたいな感想で申し訳ない。

 しかし、長い間平々凡々な一軒家で過ごしてきた南としては、子供みたいな感想しか持つことが出来なかった。


 子供の頃、裕福な友達の家に遊びに行ったときの事を思い出した。

 自分の家は世界の基準であり、余所の文化は奇妙で居辛かった。その頃の感覚を思い出した。


 大人になったとて、大して違いは無い。来賓用の革張りソファーは冷たく張り詰めていて、腰かけると強く反発した。貧相な自分はソファーに受け入れられていないようだった。

 二枚のガラスでレースを挟んだテーブルには、小ぢんまりとした繊細な装飾のティーカップが乗っていて、その中では薄汚れたお湯が揺れていた。紅茶と言うらしい。いや、紅茶のことくらいは知ってるけど……。

 紅茶からは、人工的な花の匂いが強すぎるくらいに香ってきた。南は手を付けられず、ただ只管に、向かいに座る中年女性の話に返事を挟んだ。

 依頼内容は単純で、しかも難題だった。


「黒いおはぎの幽霊を退治して頂きたいのですけれども」


 上品でふざけた顔の中年女は、真面目くさった表情でふざけたことを言い放った。


「おはぎですか」

「ええ。この前、事故がありましてね。運転手さんは亡くなられたのですけど、亡くなる前に、幽霊がどうのと、うわ言のように繰り返し話していたようで。でも、それだけではなくてですね、ここのところ奇妙な事故が相次いでいまして、お子さんが何か幽霊のようなものを見ただとか、畑の作物が不自然に薙ぎ倒されていたとか……。畑は私も見に行ったのですけど、何と言いますか、えぐられたようになっていて……。はい? ええ、そうね。確かに幽霊じゃないかもしれませんけど、正体がわからない以上、先生にお願いするしか方法が無いので……」


 先生だって? 悪い気分じゃなかった。

 彼女は続けた。


「とにかく、幽霊であれば除霊してくださいという話で。あ、そうそう、宿は近くの民宿を取ってありますので、決まっていないのであればそちらにどうぞ。このあたりでは温泉も出ますから、夜は十分に疲れを癒していただけると思いますよ。他にも何かあった場合は、私の方に連絡をください。必要な物だとか。これが携帯電話の番号なので、もしも出られなかった場合は留守番電話に残しておいてくださいませ」


 南は、今しがた聞いた話を頭の中で整理しながら、紅茶を一口すすった。変な味がした。巨大なおはぎのことを考えた。もしもそいつを発見できたとして、塩でそれを退治できるのだろうか。おはぎに塩っ気が乗って美味しくなるだけじゃないのか?

 ともかく、依頼内容を把握した南は、とても場違いで居づらい、変な絵を何枚も飾っている高橋邸を抜け出した。


 宿までは歩いて行くことにした。距離はありそうだけど、知らない町を歩くのは嫌じゃない。

 無計画に配置された隙っ歯な住宅街を抜けると道路は整備されていて、しかし車の気配は無かった。バス停が過去の遺物のように道路脇に立っていた。普段営業しているのかもわからない休業中の商店や、確実に潰れている豆腐屋。どこにでもボコボコ開業しているデイサービス。不動産屋。

 南は歩いた。そう言えばコンビニすら見かけないな。いや、一件、知らない名前のがあったか……。

歩いた。古臭い革のクロスボディーバッグが肩に食い込む。

 延々と道沿いに、永遠の緩やかな坂道を下って行くと、段々とコンクリートよりも空き地が多くなって行く。この空き地が埋まることは無いだろう。本当にこんなとこまでバスが通るのかな? 前を見ても、信号機も見えない。

 異常気象のお陰で小春日和の温かな日だったが、風が吹くとやはり肌に冷たく刺さった。


 ささささ


 どこから飛んできたのか、砂が風に乗って南に襲い掛かった。


「うっぷ……。送って行ってもらえばよかったな」


 囁くように呟くと、山のザワザワに掻き消された。

 自販機が有った。何年前の缶ジュースが入っているか分かったもんじゃない。

 南は冷たい紅茶を買って、先を急いだ。



 スーパーマーケットまで十キロメートルという巨大看板を見て驚いた。その先。

 コンビニを二件、三件と目撃したところで宿が見えた。

 宿に迎え入れられて荷物を置くと、旧式のマッサージチェアーに腰かけて仮眠をとってしまった。

 気づけば夕暮れで、仕事は明日の昼頃から始めようと決めて温泉に入り、上がって夕飯の刺身を平らげた。

 テレビを点けた。地元とはだいぶ番組表が違うようだと、ザッピングしながらお茶を飲んだ。

 きれいに敷かれた布団に入り、目に見えぬ何かに遠慮しながら静々と手慰みをして、漫画を読みながら眠りについた。

 朝九時に目を覚ました。全身の角質をこそぎ落としたような、気持ちの良い目覚めだった。

 こんな旅館に泊まれるのなら、遠出の仕事も悪くない。そう思った。


 南は仕事の準備にかかった。

 そして、塩を忘れてきたことに気付いた。

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