#7


 事故が起こった。凄惨な事故だった。


 人間が死んだ。三人か、四人死んだ。

 たった今しがた出会ったばかりの二台の車は、正面から命がけのハグでお互いを分かち合った。両方の車はガラス片を撒き散らしながら、一台は歩道に乗り上げて車止めに突っ込み、一台は郵便局に突っ込んだ。郵便局には職員と三人ばかり客がいたが、怪我人は高齢の客が一人、逃げる際に転倒して骨折しただけだった。


 事故の瞬間はたまたま人通りが少なかった。地元警察の交通課が全力を挙げて調査に乗り出したが、赤色の乗用車が対向車線に侵入した為に起こったということ以外には、詳しい事故原因を掴めなかった。結局、わき見か居眠り運転だろうということになった。


 事故から二日目の晩、ある巡査が食卓で「不運な事故だった」と漏らした。

 すると、一週間後には、あの事故は誰にも責任の無い不運な事故だったと皆が語るようになった。田舎町の不思議な連絡網がフルに機能した。


 追突されたほうの車には若い夫婦と赤ちゃんが乗っていて、不幸なことに一人も助からなかった。遺族は、身内の死が不運で片付けられていることに強い不快感を覚えた。が、感情の制御が利かず、冷静な考えが働かず、そのストレスの出所に気が付かなかった。己の、行き場の無い怒りの源に気付くことも出来なかった。



 しかし実際、それは不運だった。その日、学校を抜け出して、一人カラオケボックスに向かっていたジャージ姿の少女が、事故の瞬間を目撃していた。不運の瞬間を見ていた。他には誰も目撃していなかった。その少女だけが見ていたのだ。


 まず、その少女が見たのは、おどろおどろしい塊が道路を横断する様子だった。少女はそれが何なのかを把握できず、ただ恐ろしさに身を竦ませていた。

 すると次の瞬間、その塊を避けるように、時速六十キロで走る赤い乗用車が対向車線にはみ出した。耳を塞ぐ暇もなく、鼓膜に、受け止めきれない量の轟音が飛び込んできた。乗用車二台は頭から衝突した。おどろおどろしい塊は、そんな大事故も意に介さず、そのまま道路を横断して、林の中に消えていった。


 少女は唖然として、しばらくの間、塊が消えていったほうを見つめていた。ふと、急に怖くなって、事故現場から逃げるようにして家に帰った。



 就寝時少女は、今にも闇からあの塊が現れるのではないかと思い、恐怖で寝付くことが出来なかった。

 あれは何だったのだろう。あれが、あの事故を起こしたのだろうか?

 少女は、その姿を思い出す度に身震いした。

 夢に出てくるかもしれない。夢に出て来て、私を襲うかもしれない。あるいは、実際に目撃者である私を襲いに来るかもしれない……。ところで私は、何を目撃したのだろうか?


 しかし結局、睡魔に勝てず少女は眠りに付いた。


 時刻は午前二時。


 家の前の道路を、奇妙などす黒い塊が通り過ぎた。

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