3. 執権プリンチェプス

 形而上界の最奥部に位置するタカマガハラは星降る夜空の下にあった。そこには巨大な周柱式の神殿が広がっていた。昼間ならば一面の緑の中広がる白を基調とした石造りの神殿がその威容を誇っているだろう。その神殿に通じる長い柱廊の石段を上級天衆メナスが歩いていた。


 天つ神ザインとゾレンを除く超越者たちは天衆てんしゅと呼び慣わされている。天衆とはいうが、人と同じ外見である。古風な短衣――チュニカ――をまとってはいたが、まだ若い男の姿だ。長身で引き締まった体躯、深い藍色の髪と瞳で、顔だちは精悍さと穏やかさが同居している。勾玉をあしらった首飾りが白い短衣に映えた。彼は荒ぶる魂を持つとされ、ゆえにメナス――脅威――と呼ばれていた。だが、実際に彼の魂に触れた者は誰もいなかった。


「こんな時刻に呼び出しか。何があるんだ?」


 メナスは神殿の奥に至る階段を歩いていき、やがて拝殿に至った。そこには広大な空間が広がっていたが、神の気配はない。気配を探りつつメナスは辺りをうかがった。


「天衆メナスここにあり!」


 いらだったメナスは思わず叫んだが応えはない。


 そのとき背後でズン、と音がした。振り返ると巨大な足があった。メナスは足の主を見上げた。彼の五倍の丈はあろうかという巨人が見下ろしていた。


「プリンチェプス!」


 執権プリンチェプス、それはこの千年紀を司る当為とうい神ゾレン配下の大天衆である。長髪で豊かな髭をたくわえ、長衣――トーガ――を身にまといを手にしたプリンチェプスは威厳に満ちた姿かたちだ。


 そのプリンチェプスはまるで父であるかの様に語りかけた。


「よく来た。メナス」

「は、はい」


 上級天衆メナスも緊張の色は隠せない。


「ジンリンの調略は見事であった。お前の働きでヒルコの軍勢が壊滅した」


 ヒルコは決して一枚岩ではない。ドゥームセイヤーというヒルコの長の望みは宇宙そのものを滅亡させることだが、そこまでは望まないヒルコもいた。そこを突けば結束はたやすく崩れた。


「それ程のものでは」

「謙遜せずともよい」


 と、プリンチェプスの声音が低くなった。


「ジンリンは抹殺させる」

「何と!」


 思いがけない言葉にメナスは驚きの声をあげた。


「一度裏切ったものが我らに忠誠を誓う? 裏切りが一度だけで済むかどうかくらい容易に分かるであろう」

「しかし、それでは――」


 プリンチェプスはメナスの問いには答えない。


「プリンチェプス、それでは私の立場がありません」

「お前の立場?」


 彼はじろり、とメナスを見た。彼の瞳は黒眼勝ちなのか、はっきりとしない。


「私はジンリンに神のしもべとしての安寧を保証しました。その盟約が破られれば以後私に信を置くものはいなくなるでしょう」


 プリンチェプスはふむ、とうなずいた。


「なるほど……まあよい、ならばジンリンについては沙汰なしとしよう」

「ありがとうございます」


 メナスは一礼をした。


「さて、お前に新たな任務を命じたい」

「新たな任務。それは?」


 メナスは背筋を伸ばした。


「メナスよ。お前もゾレン神の配下。だが我らの千年紀は終わりが近い」

「ザインの女神の新たな千年紀が近づいているのですね」

「それだけなら何の問題もない。我らは千年の間眠りにつくだけだからな。だが、千年紀の終わりが近づき、主神ゾレン神の力が弱まっておる。結果、中つ国に封印したヒルコどもが蘇りつつある」

「封印されたヒルコ……それを再び封じればよいのですね」

「うむ。ゾレン神、ザインの女神、いずれの世でも活動できるお前なら、さほど手間取ることもないであろう」

「かしこまりました」

「それともう一つ要件がある。ヒルコのおさドゥームセイヤーを捕り逃したと報告が入った」

「ドゥームセイヤー、永らく我らを苦しめているヒルコですか」

「暗黒星雲には姿がないとの由。他に逃げ込める場所は――」


 メナスは考えた。ドゥームセイヤーはヨモツヒラサカで姿を消したという。ヨモツヒラサカは宇宙に張り巡らされた亜空間ネットワークで、光速を超えた移動をも可能とした。だが<質量問題>と呼ばれる物理的制約があり、一度に送りこむことのできる質量には限りがある。逃げ込むなら大軍を送ることのできないルートだろう。そのルートとはどこだ? そうだ、天の川銀河、アシハラの中つ国へ至るルートは細く不安定だ。おそらく船を数艘も送ることはできまい。


「アシハラの中つ国ですね」

「うむ。やつの後を追い、確実に始末せよ」


 プリンチェプスは虚空を指差した。そこにアシハラの中つ国――地球が映し出された。地球は宝石の様に青く輝いている。が、どこか生気に欠けていた。


「向かえ、メナス。中つ国へ」


 その言葉にうなずいたメナスはふわりと宙に舞った。彼の体を透明な光の泡が覆い、とてつもない速度で形而上界を離れていった。プリンチェプスはというと、冷ややかにその後姿を見上げていた。

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