第8話 鬼神丸3

江戸城のお膝元にある田安御門に、

加藤国匡かとうくにただのお屋敷があった。

かつて戦国の世、加藤清正の血統を継ぐ名家である。


時は夕刻。家長である加藤国匡の前に、

次男、加藤祥三郎かとうしょうざぶろうが正座していた。


加藤国匡は齢60を過ぎてもなお、

その剣は衰えを見せず、多くの門下生に

慕われている。

しかし今の加藤国匡は、厳しい面持ちで

わが子息である加藤祥三郎を見つめている。


「父上、なぜに私に家督を譲ってはくださらぬのか?」

加藤祥三郎の両目には、殺気とも言える迫力があった。

加藤国匡はそんな祥三郎に厳格な面持ちで答えた。


「祥三郎、何度も申しておるが、お前には

 家督を継ぐうつわは無い」


「なぜにそのようなことを。

 私は兄上である邦信くにのぶよりも数段上の

 剣術の使い手であります。

 家督を継ぐのは当然だと」


「当然?」

加藤国匡の声に凄みが帯びる。


「たしかに長男、邦信よりお前のほうが剣術は上だ。

 それは認める。だがな、よく聞くがよい。

 お前は己の剣の腕におぼれ、過信しておる。

 お前の剣は、人を死なせる剣だ」


「父上、剣術使いにとって、人を斬るのは必定ひつじょう

 そのどこが間違っているというのですか?」


「戦国の世ならいざ知らず、今は平安な江戸の世じゃ。

 今の時代に求められるのは、人を守る剣じゃ。

 お前の剣術は殺気に満ちておる。門下生の間からも

 不平が出ておる始末じゃ。

 お前は門下の者に、剣術を教えるどころか、

 己が強さを誇示こじするために、門下の者を

 打ち据えておるというではないか。

 それにひきかえ、邦信は思いやりもある。我が剣の上達と

 共に門下生もうまく鍛えておる。

 お前には、人を思いやる心が無い。

 家督を継ぐものは、剣の腕前だけでは務まらぬ。

 人格者でもあらねばならんのじゃ」


「人格者・・・思いやり?」

祥三郎の声音に変化が起きた。

自嘲気味じちょうぎみに笑みを浮かべる。


「わかりもうした。父上、私は家督をあきらめるつもりは

 ありません。我が実力で手に入れて見せましょう」

祥三郎は立ち上がると、加藤国匡の前から辞去しようとした。


「待て!祥三郎、お前にはもうひとつ訊きたいことがある」

加藤国匡の問いかけを無視して、祥三郎は障子戸を開けた。


「父上、その問いの答えは聞かぬほうがいい」

祥三郎は横顔だけを加藤国匡に向け、言い放った。


その横顔を見た加藤国匡の体に悪寒が走った。

祥三郎の横顔は、まさに鬼そのものの形相だった。



日の落ちた夕刻、八丁堀近くの飲み屋<ほうづき屋>で、

明智左門筆頭与力と双伍は酒を酌み交わしていた。


「旦那、そんなに飲んで大丈夫ですかい?」

双伍がおちょこを口に運びながら言う。


「今日は非番だ。気にせず飲めるわ」

明智左門は悪びれた様子も無い。

それもそのはず、明智は非番のときは

三升も開ける酒豪で有名なのだ。


「旦那と付き合うと、こっちが酔い潰れそうでさ」

双伍は肴のあぶった油揚げをかじった。


「ところで双伍。おめえ油揚げが好きなんだな。

 沢村に聞いたが、いつもきつねうどんばかり食ってる

 そうじゃねえか」


「狐に獲りつかれてるでさ」

双伍の返事に明智左門は豪快に笑った。


「明日はお勤めだ。今宵はこれくらいにするか」

明智左門筆頭与力は立ち上がり、店の主人に勘定を払った。


「旦那、いいんで?」


「今夜はオレのおごりだ」

明智はにやりと笑う。


二人は店を出ると、互いに軽く会釈し別れた。

明智は八丁堀の官舎に足を向けた。

しばらく歩くと、通りの柳の下に人影が見える。

その雰囲気に不気味なものを、明智左門は感じた。

殺気―――。明智は身構えた。


「そのほう、明智左門筆頭与力とお見受け申す」

その人影は柳の木から姿を現した。

すでにその人物は右手に刀を携えている。


「おぬしが、件の辻斬りか!」

明智左門も剣を抜いた。


辻斬りは剣を下段に構えた。

明智左門は上段に構える。


先に動いたのは明智左門だった。

先ほどまで一升ほどの酒を飲んでいたとは思えぬ

踏み込みの速さだ。

明智の剣は辻斬りの上段を捉えた。


辻斬りは天を斬るがごとく、刀を振り上げて

明智左門の刀を2尺ほどの所で切り落とした。

その切っ先が宙を舞う。


辻斬りは返す刀で、明智左門を袈裟斬りに斬りつけた―――

かに見えた。

辻斬りの刀が中途で止まっていた。

その剣を止めたのは・・・双伍の十手だった。


「でめぇか、鬼神丸使いは」

双伍の両目が虎のごとく光る。


辻斬りは舌打ちと共に足早にその場から逃げた。

双伍も追おうとしたが、明智左門の左腕から

おびただしい血が流れているのを認めて足を止めた。

双伍の十手は完全に鬼神丸の剣を止めきってはいなかったようだ。


「旦那、しっかりしておくんなせぇ!」

双伍は明智を背負うと、駿馬しゅんばのように走った・・・。

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