2. 五十猛、一夜を明かす
家主兼管理人の
「……」
四畳半。ちょいと狭いけれど、今は何もないがらんとした一間で、荷物が到着するのを静かに待っている。
とりあえず、バッグを適当な場所に置いて、コートを脱ぐ。
と、ドアをこんこんとノックして多伎さんが顔を覗かせる。
「タケ、市内を案内しようか?」
「ううん、これから荷物が届くはずだから、待ってるんだ」
「そうか。じゃ、何かあったら声をかけてくれ」
そう言って多伎さんは顔を引っ込めた。ちょっとした気遣いがうれしい。
もう一人の下宿生はどんな人なのだろう? 既に部屋に入っていることは窺えるが、部屋から特に気配がしない。
そんなことを考えつつ、僕はスマートホンを取り出して時間を確認した。もう夕方なのに、荷物が届く気配がない。
やむなく実家に電話する。
「……えっ、明日到着?」
確認すると、僕の荷物が届くのは手違いで明日になったらしい。つまり、今夜は着の身着のままで過ごさなければならない。
急に手がかじかんできた。
その夜、僕が新加入した食卓では小さいながらもノドグロの煮つけが振るまわれた。ノドグロは赤ムツとも呼ばれる魚で、日本海側では鯛より美味しいとされている。
もう一人の隣人、
多伎さんと久手さんは仲がよく、二人そろって石見亀山高校の補習科に通学すべく、下宿住まいを延長したらしい。
「じゃあ、五十猛君は多伎君と同郷なのね」
管理人の菊代さんがそう言ってご飯をよそった。
「はい。小学生のときは一緒に通学してました」
「じゃあ去年の水害、大変だったでしょう?」
「うちは被害がなかったんですけど、街中は未だに泥で汚れてますよ」
聞くところによると、床上浸水した家では畳がプカプカ浮いたらしい。水が引いた後の消毒も大変だ。
「鉄橋が落ちてなかったら、自宅通学できたのか?」
久手さんが尋ねる。
「できなくはなかったですけど、何せ汽車の本数が少ないですから。寮にするか下宿にするかで迷いました」
「まあ、下宿は一人部屋だから気楽ではあるな」
多伎さんと久手さんが補習科に通うことにしたのは、都会の予備校だと遊んでしまうかもしれないから、ということだそうだ。
そう説明する久手さんは堅物らしい。案外、孤独を好むタイプなのかもしれない。
多伎さんはどう見てもそういうタイプではない。部屋にノートパソコンを持ち込んでいる様だし、ネットに時間と人生を大量に吸い取られているかもしれない。
夕食が済んでお開きとなると、僕は何もない部屋に戻った。四月に入ったとはいえまだ肌寒く、これから暖房の無い部屋で一晩過ごさなければならない。
コートを羽織ると、何も敷かれていない畳に寝転んだ。ズボン越しにひんやりとした冷たさがじわじわと伝わってくる。
何かで気を紛らわせないと、そう思ってスマートホンを手に取る。通信はできる。
これから一晩、布団の無い部屋で実況中継でもしようか、そんな考えが頭をよぎったが、馬鹿馬鹿しくてすぐ止めにする。
「…………」
吐く息が白い。身体が芯まで冷えてくる。このまま横になって寝てしまおうと思っていたが、畳から底冷えがしてとてもじゃないが眠れない。
「…………寒い」
時間が経つのが遅く感じられる。ポケットに入れていたスマートホンで時刻を確認する。午前二時二十分。夜が明けるまで四時間近くある。
トイレで階下に降りた僕はそのまま居間に入った。居間は共用スペースだと聞かされていたからだ。
コタツに入って暖をとる。テレビを着けると見慣れない番組だった。
「……」
ため息をついて背中を曲げ、あごをコタツの盤面につける。
そうしていてしばらくすると、トントンと階上から降りてくる足音が聞こえてきた。
戸を開けたのは多伎さんだった。
「タケ、コートなんか着込んでどうした?」
「実は手違いで、荷物が届くのが今日なんだ」
「じゃあ、その恰好で一晩過ごすつもりだったのかよ」
「そういうことで……」
「ま、初めての下宿生活だ。ときにはそういう失敗やらかすもんだよな」
そういって多伎さんが笑う。
多伎さんは部屋のエアコンを入れ、それからポットの湯でインスタントコーヒーを淹れてくれた。
「とりあえず、この部屋のものは下宿生の共用だから、好きに使っていいことになってる」
改めて部屋を見回すと、書棚には古びた本がずらりと並んでいる。歴代の下宿生が寄贈という名目で置いていったものだ。
「ありがとう……」
そういって僕はコーヒーに手をつけた。暖かい飲み物で少しは身体が温まったような気がする。
「じゃ、俺は上に戻るから」
徹夜で勉強中だったのだろうか。多伎さんはそういうって居間から出ていった。
「…………」
初日からこれでは先が思いやられる。それとも、よくある話なのだろうか。
いつしか僕は眠りに落ちていた。コタツに突っ伏したままの浅い眠り。起きたのは管理人の菊代さんが入ってきてからだった。結局、菊代さんにも僕の失敗談を笑われてしまったのだが。
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