最終話 もじもじするな

《『しらゆり刑務所』一階・玄関前通路》



(はっ、はっ、はっ)


 出口を目指して、あたしは走った。

 刑務所の玄関へと続く、冷たくて、薄暗い廊下。


 それはまるで、長くて暗いトンネルを、深夜に一人で走っているかのような感覚だった。


 だけどあたしは一人じゃない。

 あたしの背中には、みんなの想いがある。

 最後までちゃんと、駆け抜ける。


(…………)


 殺風景な一本道。

 あたしは昨日、この道を歩いて牢屋へ入った。

 急かされたとはいえ、「自分の足」で、この道を歩いた。


 だけど、今のあたしは、この道を、抗うように走っている。

 ――「自分の意志」で。

「みんなの想い」を、背負いながら。


(…………)


 取調室のドアの前に差し掛かると、「昨日のあたし」が、ぼんやりとこちらを見ているような気がした。

 戸惑うお顔のあたしの姿が、もじもじしながら、こちらに向かって歩いてきているような気がした。


「…………」

「――――」


「昨日のあたし」と、すれ違うあたし。

 振り向くと、その姿は見えなくなっていた。


 あたしは前を向き、出口を目指していく。

 昨日までの弱かったあたしは、もうどこにもいないのだ。



※※※



(はっ、はっ、はっ)


 足を速めていくにつれ、薄暗かった廊下の先が、次第に鮮明になっていく――


 やがて、廊下の最奥に、玄関の扉。大きな二枚の扉が見えた。



「――!」


 だけどあたしは、足を止める。

 扉の前には、青い制服を着た、一人の女性が立っていた。



「驚いたよ、受刑番号49番」


 サングラスを掛けた、オバチャン。

 恰幅の良いオバチャンが、腕を組んで堂々と待ち構えていた。


「まさか昨日入所したての新人が、こんな前代未聞の大事件を起こすとはな」


 青い帽子に、青い制服。その表情は鉄仮面。

 この人はたしか――いや、その雰囲気だけで、もはや正体は明らかだ。


「誠に遺憾だよ」


 刑務所長〝バビロン〟――『しらゆり刑務所』を統括する、最後の砦。

 最後にあたしを待ち受けていたのは、この刑務所の所長さんだった。



「そこを……どいてください」

 重圧感のあるその身体に、あたしは言った。

 

「ふざけるな」

 オバチャンが両手を広げる。

「貴様は重罪を犯した。貴様がこの刑務所から出ることは、一生許されない」


「……!」


「今から貴様を独房へ連行する。異論は認めない」

 無表情のオバチャンが、ゆっくりとあたしに近寄ってくる。


「さあ来い、私の胸へ。思いっきり抱き締めてやる」


 あの分厚いお胸に抱き締められたら、きっと最期。

 あたしはそのまま、独房へと連れていかれてしまう。


「いやだ……!」

 あたしは言い返した。

 鋭い目付きで、自分の気持ちを、はっきりと口に出す。


「黙れ。貴様の意思など関係ない」

 オバチャンは言った。

「独房の中で永遠に後悔し続けろ。それが貴様の人生だ」


「いやだっ!!」


「黙れ! 貴様の人生は、既に決したのだ!」


 あたしは反論した。

「そんなこと、あなたが決めることじゃない!」


「何?」


「あたしの人生は、あたしが決めること!」

 あたしは言った。

「あたしの人生を、勝手に決めないで!」

 ぷんすかとあたしは迫った。


「何を言っている? 貴様は受刑者だぞ!」

 オバチャンは言った。

「受刑者の運命は、我々刑務官が決めることだ!」

 ずかずかとオバチャンが迫ってくる。

「それが『しらゆり刑務所』の「ルール」だ! 従え!」


「ふざけないで!!」

 あたしは前に飛び出した。


「あたしたちの「ルール」を、勝手に決めつけないで!!!!」


 感情的になったあたしは、オバチャンの重厚な身体に立ち向かって行った。

 ――それが無意味なことであると、頭でわかっていながらも。


「無駄だっ!!」


「きゃあっ!?」


 あたしの身体は、オバチャンの足蹴りを食らって突き飛ばされた。


 ――べちゃっ。


 冷たい床に、尻もちをつくあたし。


 やっぱりあたしは、弱いままだった。

 結局ひとりでは、何もできない。

 オトナの一人も、倒せない。


「――残念だよ、受刑番号49番」

 無表情でオバチャンは言った。

「貴様は、刑務所長であるこの私に歯向かった。この世で一番の重罪だ。もはや貴様に更生の余地はない」

 なんだかよくわからないが、オバチャンは激怒していた。

 座り込むあたしに向かって、がつがつと迫ってくる。


「よって貴様の人生は、ここで終わりだ。只今より、この場所で『死刑』を執行する」


「え……?」


 オバチャンは言いながら、腰から警棒を取り出した――


「!?」


 ――いや、違う。トゲの付いた棍棒。


 ――凶器だ。


「所長権限により、今ここで死刑を執行する」

 目の前に立ったオバチャンが、棍棒を振り上げる。

「死ね、49番」


 呟いたオバチャンが、何のためらいもなく、あたしの顔に棍棒を振り下ろした。


「――!」


 あたしは、声を上げる間もなく、ただ目を瞑ることしかできなかった。


 後ろからは、足音が聞こえる。





 ――ガチンッ!





 頭上で音が鳴る。


 それだけだった。


 痛くはない。


 どうやらあたしは、また誰かに助けられた。

 だけど、目を開けると、あたしを助けたのは、刑務所の仲間ではなかった。







「もじもじするな!」






 青い帽子。

 棍棒を押さえつけているのは、警棒。


「お、お姉さん……?」


 あたしを助けてくれたのは、看守のお姉さん。

 有亜堂刑務官だった。


「さっさと立ち上がれ……! もじもじするな……!」


 お姉さんが、警棒で、オバチャンの棍棒を押さえつけている。

 激しく立ち位置をずらした二人が、ぶつけ合った棒越しにじりじりと睨み合っている。


「有亜堂、お前……!」

 オバチャンが表情を崩した。

「応援に駆けつけて来たかと思いきや、一体どういうつもりだ?」


 受刑者で、だつごく犯。

 あたしを捕らえるべき立場であるお姉さんが、あたしの身体をかばったのだ。


「私は「貴方のルール」を破っただけです」

 空いた左手で帽子のつばを押さえ、看守のお姉さんは答えた。

「申し訳ありませんが、私は「私のルール」に従います」


「お、お前のルールだと……?」

 オバチャンはあっけにとられたが、力を緩める様子はない。


 お姉さんはそれには答えず、座り込むあたしのほうを見た。

「受刑番号49番! これを使って扉を開けろ!」

 その左手で、お尻のポッケから何かを投げた。


 ――ジャラアッ!


 鍵だ。

 玄関の扉の鍵だろうか。

 あたしは思わず手に取るが、この戸惑いは拭えない。

「お、お姉さん……どうして?」


「聞くな!」


「え……?」


「私がきさまをかばった理由を、いちいち詮索するな!」

 強い口調で、お姉さんがあたしに怒鳴った。


「お、お姉さん……?」

 そのお顔を、あたしはじっーと見つめた。

 お姉さんは棍棒を押さえながらも、なぜだか頬を赤らめている。


「抗うきさまらを見ていたら、私もちょっと、羽目を外してみたくなっただけだ!」

 まるで何か言い訳をするように、結局お姉さんは理由をもらした。


「いいから早く行け、受刑番号49番! もじもじするな!」



「で、でも……!」


 あたしは足を迷わせた。

 あたしがこのまま前に進めば、お姉さんはきっと「職」を失う。

 助けてくれたお姉さんを置き去りに、そんなことをしてもいいのだろうか。


(…………)

 だけど、ここで止まったら、みんなの想いを裏切ることになる。

「だつごく」は失敗に終わる。それだけは絶対にいやだ。


(…………)

 だけど、看守さんのお姉さんを見捨ててしまうのも絶対にいやだ。

 だから、両方とも、いやだ。

 あたしには選べない。



「――外の世界は厳しいぞ」


「え?」

 もじもじするあたしを見兼ねてか、お姉さんが説教を始めた。


「刑務所など、所詮は社会の縮図だ」

「厳しいルールが存在するのは、外でも中でも同じこと」

「それでも行くと言うのなら、私は止めない」

「きさまに更生の余地などないが、今のきさまなら、立派に社会と戦っていける」


(お姉さん……?)


 棍棒を押さえながら、お姉さんはこちらを向いた。


「だから、私も戦ってみるよ。きさまらみたいに、「自分のルール」に従いながらな――」


(お姉さん……!)




「早く行け!!!! 受刑番号49番!!!! もじもじするな!!!!」




「は、はいっ!!」


 あたしは立ち上がり、扉へ向かって駆け出した。


 お姉さんは最後に、あたしに大切なことを教えてくれた。

 世の中には、いろんなルールや、いろんな想いが、複雑に絡み合っている。

 はっきりとした「ひとつの答え」は、存在しない。

 だから、自分で「答え」を、決めていくしかないんだ!



 ――ガチャガチャガチャッ!


 お姉さんから貰った鍵で、出口の扉をこじ開ける。



「や、やめろ……!!」


 振り向いたオバチャンがあたしを止めようとしたが、背後のお姉さんが、その身体を抱き締めて押さえつけている。

「早く行け!!!! 受刑番号49番!!!!」


「お世話になりましたあっ!」

 二人に挨拶を告げ、あたしは玄関の扉を開いた。


 ――ギイイイイイ……。







 ――――外。


 陽は沈み、辺りは暗い。


 見渡す限り、看守さんはいない。


 正門のシャッターは――――開いている!


(みんなが、やってくれたんだ……!)


 ――目の先に歩道が見える。


 あたしを遮るものは、もうなにもない――。


「――――」


 正門を潜り抜け、お外へと一歩を踏み出す。


 ――ただいま。


 その刹那――



「グワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッーーーー!!!!」



 刑務所長による断末魔の叫び声が、ご近所に鳴り響いた。

 悔しそうなその声はきっと、あたしたちが「だつごく」に成功した証である。


(やった……)


 耳には入ってこないけれど、みんなが喜ぶ「うおおお」って雄叫びも、あたしの心に響いた気がした。



「ありがとう……」


 施設のお外で、あたしは泣いた。

『しらゆり刑務所』は、あたしに出会いをくれた。

 あたしに、「生きるためのルール」を教えてくれた。

 弱かったあたしを、強くしてくれた。

 だから最後に、感謝が残った。



 あたしはそのまま、走り続けた。

 ありきたりな歩道が、ヴァージンロードのように見える。

 刺すように冷たい夜の風が、あたしの受刑服を引き裂いてくれるようだった。






《『だつごく!!』成功》

(※次回、エピローグで完結となります)

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