えっ……ちょ……まっ……


「待って下さい! ガトさん、ちょっと聞いてください」


 げっ! お、追いかけてきやがったあの小娘。早足で振り切ろうとしたが、マリアが後ろから抱きついてきた。

 なんて……無駄なガッツ。焚き付けるんじゃなかった。


「は、離してください。俺には仕事が残ってるんです」


「離しません。魔王になると決めた以上、わたしはみなさんを幸せにする責任があります。争いがない平和な世界に――」


 た、助けてぇ!


 その時、螺旋階段の方から素早い足音が木霊した。やがてそれはどんどん近くなり、やがてその音の主が、この廊下に出現した。


 「ガト様! 聞いてくださいよ聞いてくださいよ。レナレナがぁ……俺のレナレナがぁ!」


 コボルト族であるリアルドが泣きながらこちらへ走ってきた。コボルト族は犬の頭を持つ獣人だ。全身は毛で覆われており見た目はほぼ犬なのだが、二本足で歩き、衣服を着て武器を持つ。犬並の嗅覚を持ち探索能力に優れている。


 特にリアルドは一族の中でも随一の嗅覚を持つため部下として引き抜いたが、すこぶる惚れやすい性格で今みたいに仕事もせずに異性を追いかけ回している。


 もちろん、そんな部下の話など聞く耳はないので回し蹴りで壁に叩きつける。


「痛っだい! なにすんですか!? 暴力反対」


「貴様のくだらない要件に関わっている暇はない。またな」


 そう言い捨てて逃げようとすると、なぜかマリアが俺の前で手を広げて立ち塞がっていた。


「お友達が困っていらっしゃるのに。お話を聞いて差し上げればいかがでしょうか?」


 おずおずと意見を言うマリア。


「こいつは友達じゃありません」


 クズです、と言おうとしたがマリアの心証を悪くしたくなかったので心の中にしまっておいた。


「そんないじわるなこと言わずに聞いて差し上げてくださいな」


 とマリアはあくまでもリアルド寄りだ。魔王の言葉を無下にすることは憚られるので、非常に無駄だと思うが一応聞いてみることにした。


「……どうした?」


「レナレナが……毛深い男は嫌いって」


 はい無駄ー。


 レナレナと言うのは、サキュバス族族長の娘であるレーナリーのことである。サキュバス族は蝙蝠の翼を持つ人型種族だ。紫の肌色をしており、エメラルドのように輝く瞳で視線が合った異性の思考を狂わせる脳能力を持つ。男のサキュバスも存在するが、異性に対する耐性において男の方が弱いため人間の間では女のサキュバスが有名である。


 レーナリーは「別にリアルドを誘惑した覚えはない」と証言しているので、単にリアルドが勝手に惚れただけなのだろう。


 リアルドはその抜群の嗅覚を活かして、日夜彼女のことを追いまわしている。そういう彼女の方は心底リアルドが嫌いで、その相談をなぜか俺が受けている形だ。しかし、人の思考を狂わせる能力を持つ彼女が、思考の狂った者の存在自体を嫌うような発言をするとは……本当にリアルドのことが嫌いなのだろうなぁ。


「なら、話は簡単じゃないですか」


 マリアは満面の笑みで答えた。


「ほ、ほんとうですか!? ケットシーの御嬢さん」


 リアルドが気安くマリアの手を握った。後から、次期魔王だと知った時の奴の顔が見ものではある。 


「ええ。ガトさん、鏡のある部屋に、はさみとカミソリ、あとクリーム的なものを貸して頂きたいんですけど」


「えっ……ちょっと……なにすんの?」


 刃物系の貸し出し依頼ににわかに怯えるリアルド。


「大丈夫です! 私に任せてください。得意なんですから」


 と満面の笑みで答えるマリア。


 次期魔王の命令なので、すぐに使い魔のティナシーを呼び出した。


「クリーム的なものってあるか?」


「ク、クリームですか……なにに使うんですか?」


 ティナシーがマリアに尋ねと、「剃るんです。綺麗に」とさも当然のような答えを返していた。


「えっ……剃るってなにを?」


 もはや嫌な予感しかしていないであろうリアルドは狼狽したまま慌てふためいている。


「うーん……粘着性のあるモノですと……これならどうですか?」


 そう言ってティナシーが地面に手をかざして魔法陣を描き始めると、そこに、数体のスライムが出現した。

 スライムは生きるドロドロの粘液の塊である。壁や天井にへばり付いたり滲み出て獲物に襲い掛かり、意思があるかどうかは魔族の間でも議論がわかれている。外側はぬるぬるするだけの液体であるが、内側は消化液でありそこで獲物を溶かして栄養を取る。


 ティナシーは一体のスライムの外側を剥いで、マリアに差し出した。


「い、痛くないですかスライムさん」


「あっ、大丈夫です。私、『意思がない』派ですから」


 堂々とそう答えるティナシー。

 スライム論争は魔族間でも根が深い。『意思を持つ』派は無下にスライムの外側を剥いだりしないのだが、『意思がない』派はスライムを踏み潰してもなんとも思わない。


「それじゃあ……ありがたく頂戴しますね、スライムさん」


 そう深々と頭を下げて、「さっ、行きましょうか」と強引にリアルドの手を引っ張る。


「えっ……どこ? どこにいくの!?」


 そう戸惑いながらリアルドは別室に連れて行かれた。


                ・・・


「ちょ……なんで顔にぬるぬるを? えっ……なんでカミソリを!?」


「動かないでくださいね。傷ついちゃいますから」


「えっ? えっ? なんでカミソリを顔に? えっ? えっ? ええええええええええええええええええええっ」


                ・・・


 三〇分後、マリアと共に、ツルツルになったリアルドが出てきた

 ……き、気持ち悪い。


「どうですかガトさん、ティナシーさん?」


 かなり達成感のある表情をしているマリア。とてもじゃないが、気持ち悪すぎるとは言えなかった。


「……いいんじゃないか?」


 ――どうでも。


 数秒どうするか考えたが、リアルド。貴様の容姿などハッキリ言ってどうでもいい。そう言う結論に達した。


「そ、そうですか!? よかったぁ、これでレナレナに告白してきます」


 意気揚々と走り去っていくリアルド。

 はぁ……心底無駄な時間を過ごしてしまった。


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