さっきから言っているのに……


 魔族と人間の関係はその時代の力関係によって変化する。前魔王時代には当時の大勇者ゼノバースが魔族を圧倒していたが、魔王レジストリアが奴を討った時に形勢は逆転した。勢力図は塗り替えられ人間が魔族を恐れるようになり攻め込まれにくくなった。そして、逆に魔族は人間の地に入りやすくなった。人間が支配する領地に入る時に変装の必要がなくなったのも魔王レジストリア様の時代からだ。


 今、目の前にあるリアルイン修道院は、かつて魔族を滅亡の手前まで追いやった大賢者レイダースが育った修道院とされている。建物はお世辞にも綺麗とは言えなかったが、よく手入れが施されている。


 遠くから建物の周りを見渡すと、一人のシスターが子どもたちに囲まれながら賛歌を教えていた。


「いいですか? 慈愛と友情を育み、平和を謳い、争いを哀しむ心を持つのです。そうすれば、いつか戦いのない世界に――」


 すべてを聞く前に膝から崩れ落ちた。いや、聞いていられなかったと言う方が正しいか。人間の中で、俺の最も嫌いな人種。それが教会の神父、シスターである。


 平和だなんだと大層に吐くが、平和なのは奴らの周りのことだけであって、歴史上大陸全体が平和だったときなど一度としてない。人間との境では常に壮絶な争いがあり、戦が行われている。それでも平和万歳と高らかに謳いあげる奴らの神経を思わず疑ってしまう。


 そんな者が魔王……改めて目の当たりにすると、えげつないほどの苦難が想定されるこの現実に、思わず頭が痛くなる。

 しかし、挫けるわけにはいかない。

 思い出せ、魔王レジストリア様と誓ったあの野望を。全ての魔族に畏れられるような立派な魔王にすると誓ったじゃないか。そう何度も言い聞かせて、己を奮い立たせた。


 その時、


「うわあああああああああああっ! 魔族だぁ」


 修道院を抜け出して遊んでいた子どもだろうか。かなり離れた場所から様子をうかがっていたので気づかれることはないと思っていたが。だが、知られてしまったのならもう時間はない。

 子供の首を片腕で掴み、傷つけぬように持ち上げる。交渉前に人質を傷つけないのは基本だ。こんな餌で釣られるとは思わないが、交渉道具はいくつあってもいい。


 リアルイン修道院の中に入ろうとすると、衛兵の二人がこちら目がけて襲い掛かって来た。持ち上げていた子どもを放り投げ、攻撃を捌いて衛兵たちを手套で気絶させた。そして、落下してきた子供を再び腕で掴む。

 中に入ると、恐怖で動けなくなったのだろうか、シスターと数人の子どもが震えながら身をすくめていた。

 ふむ……人質としてはこの子どもたちでいいか。

 いい加減、持ち上げているのも煩わしくなってきた。子どもを地面に降ろしてやったが、恐怖で動けないようだ。

 その時、シスターが必死に這いつくばりながら地面に降ろした子どもの前に移動し、強く抱き寄せこちらを睨んだ。

 透き通るような白い肌。くっきりとした二重に大きな目はライトグリーンに輝く瞳を優しく包み込む。そして、少し丸みを帯びた形の良い輪郭が、彼女の発展途上の幼さを示していた。……なにより普通の人間には見ないピンクのミディアムヘア。恐らく魔王レジストリアの紅に染まった髪の影響を受けているのであろうことを感じさせた。

 マリア=ゼルーガ。この少女こそが、魔王レジストリアの血をひく者か……いざ、目の当たりにしてみるとその可憐な少女ぶりに思わず頭を抱えたくなってくる。


「怖がらないで……大丈夫。大丈夫だから」


 自分が一番震えているにも関わらず、子どもを覆ってかばっている。そんな偽善者ぶりも報告書通り。使い魔ティナシーの完璧なまでの仕事ぶりに思わずため息が漏れてしまう。


「お迎えにあがりました、マリア様」


 震える彼女にひざまずいた。同時に、こんなひ弱な小娘に敬意を払わなければいけない仕事を呪った。


「……大丈夫……大丈夫だから」


 き……聞いてない。


「お迎えにあがりました! マリア様!」


 大声で聞こえるように叫んだ。


「ひっ……だ、だだだだ大丈夫……私がついてるから……」


 き……聞いてくれない。


「あの、なにもしません。なにもしませんから、話だけでも聞いてもらえませんか?」


 極力優しく彼女の肩を叩く。


「や――――っ! 耳を貸しちゃ駄目よ。教えたでしょ、なにもしないって近づいてくる大人についてっちゃ駄目だって」


 頑な! なに、この子!?

 その時、マリアの脇から子どもの顔が出てきた。意外と冷静なその子どもに自分に戦闘の意志がないことを必須に身振りで伝えた。


「マ、マリア姉ちゃん、この魔族攻撃する気ないみたいだけど」


 その辺の状況察知はかばわれている子どもの方が上だったらしい。と言うかこんな小さな子どもより怖がりってどんだけ軟弱だと期待感がまた薄れる。


 そして、子どもの言葉に、やっと耳を傾けるマリア。


「お、お金ですか!? わたし実は神父様から頂いたお小遣いをコツコツ貯金してましてそれならそのリアルイン修道院の中のわたしの部屋の箪笥の引き出しの二番目の聖書の裏にありますけどそれを取ったら他の人に危害を加えずに出ていっていただければ凄く助かりますごめんなさいどうかよろしくおねがいします」


 めちゃめちゃ意味不明な命乞いしだしたー!


「ちょ……落ち着いてください。お金も命も取りません。もちろん、傷もつけません」


 怖がらせないように、極力優しく語りかける。


「なっ、なら、要求はなんですか!?」


 さっきから何回も言っているのに。この小娘の脳みそは腐っているんじゃないだろうか。


「お迎えにあがりました、マリア様」


 もう、この台詞は三回目だ。


「や、やっぱり誘拐ですね!? なら連れて行くなら、わたしだけ。どうか……どうかこの子たちはのことは許してください」


 そう言って再び話が振り出しに戻った。

 ――あ、頭痛いっ!


「だからあなただけ連れて行くと言っています。さっきから言ってます。ずっと言ってます。三回言ってます」


「えっ……わたし……だけ?」 


 あまりの出来事にキョトン顔が止まらないマリア。

 わかりやすく伝わるように大きく深く頷いた。


「……本当に?」


「はい」


「わ、わぁ。やったぁ」


 凄く複雑そうな声を出しながらひきつった笑いを浮かべるマリア。

 無理して。訳も聞かされずに強制的に連れて行かれるのだ。『やったぁ』ではないだろうが。

 

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