第08話

  重たい空気というのは、正直、面倒くさい。その空気を醸した当事者でないなら、なおさらである。

 何か打開のきっかけになりそうなことでも起こらないだろうか、と、ひかりが考えた始めたそのとき。

 足の下、ごく微細な振動のような何かを感じた気がした。

 ん? と、首を傾げつつ蝦名を見れば、やはり同じように何かを感じたらしい。怪訝に顔をしかめながら、コツコツと落ち着きなく地面を踏みつけている。

 一方、シンもまた、眉根をやや強く寄せ、空を仰ぎ見るように視線を馳せていた。表情自体はさっきの困り顔と変わりないように見えるが、今のそれは、もっと重たげな、険しさのようなものを帯びている。

 一番顕著な反応を見せたのは、新人組だった。

 ノーティが、隙なく周囲に視線を巡らせ、警戒の色を強めている。

 フィニットは、機敏に片膝を落とし、振動の元を探すように、手のひらをひたりと地面に付けている。

 ふたりの顔には、それまで見ていた彼等とは全く違う緊張感がみなぎっていた。

「地中に、何かがすごい勢いでこっちに近付いてくる反応がある……!」

 やがてフィニットの口から、呟きほどの小声が洩れた。この場の誰も、その声を聞き逃さなかった。

 動揺をあおるように、その振動が少しずつ大きくなる。

 フィニットが、表情を強ばらせてノーティを見上げた。

 ノーティが、確認するようにフィニットを見た。

 ふたりの視線がかち合った瞬間、ノーティが、バッと身を躍らせて宙へ跳ぶ。

 その速さは、まるで弾丸のようだった。

 跳んだ直後、周囲の空気が、移動の速度でたわみ、そして瞬時に揺り戻される。

 揺り戻しの空圧は、ノーティがいた場所に、結晶質の砂塵をぶわりと巻き上げた。

「え、ノーティ何処行ったの?!」

「さっき僕たちが来た方角から、何か大きなものがこっちに向かってるんだ。ひとまずノーティに行ってもらったけど、かなりの速度で近付いてくるから、僕もすぐ……っ?!」

 切迫した様子でひかりに説明し、立ち上がろうとしたフィニットが、唐突にがくんと崩折れ──

 違う。フィニットだけではない。その場の全員の足場と視界が、一気に揺れ、一気に落ちた。

 ばっくりと、地面に亀裂がはしる。三半規管が、瞬間の浮遊感を伝える。揺れた視界が再び像を結んだとき、既に己の身体はその亀裂を位置にあった。

 ゴォ、と風鳴りの音が耳をかすめる。立っていた場所が崩れて放り出されたことによる、落下の空気音。

 露骨にイヤな予感が、いや、もう予感もへったくれもない。ひかりは今、間違いなく、地中に向かって落ちていた。

 視界に見える亀裂の壁面がぐんぐん高くなる。空の明るさをさえぎるそれのせいで、視界がどんどん暗さに占領されていく。

 えっ、なにこれ、何処まで落ちるの?!

 唖然が愕然に、そして唐突な恐怖に変わった、その瞬間。

 ぽよん。

 ただただ、「ぽよん」としか形容しようがない感触が身体を包んだ。

 え、

 落下しかかった自分の周囲を取り巻いて、淡い光を発する、まぁるい形のそれ。視覚と感触から連想したものを、そのまま呟く。

「ひかり、大丈夫?! あの、咄嗟だったから上手に受け止められなかったかもしれないけど……!」

 声が聞こえた。フィニットだ。

 ぐるりと視線を巡らせてその姿を探すと、ひかりのところからもう少し下に、その姿が見えた。両手を差し出すような仕種のまま、ふわんと浮いている。

「大丈夫、ありがとう!」

 大きな声で知らせると、フィニットはほっとしたように大きく頷いた。

 ぽわんぽわんと浮遊するしゃぼん玉の中、守ってもらった安心感から、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。少し周りを見回してみれば、蝦名もひかりと同じように、しゃぼん玉の中に収まっているのが見えた。

 ひかりから見る限り、蝦名の方も特にケガをしているとかはなさそうである。

 シンさんは? と姿を探せば、上にいた。平らかな光壁を自身の頭上に広げ、ひかりたちのいる場所に、砕けた岩や土砂が落ちてこないよう遮蔽している。

 見えるだけでも、相当量の岩や土砂だ。それを、シンは顔色ひとつ変えることなく、かろやかな羅紗うすぬのでも捧げ持つような、たおやかな仕種で完全に防いでいた。

「ひとまず、彼等の安全を確保しようか。」

「はい!」

 下にいるフィニットに、シンが指示を出す。

 返答即時、フィニットは、伸ばしていた両手をきゅっと縮こめた。その動きに合わせるように、ひかりと蝦名の入っているしゃぼん玉が、ひとつところに寄せられ、そのまま、ぽんとくっつく。

「……何とか無事なようだな。」

「蝦名さんも! よかった!」

「私はともかく、君に何かありなどしたら、総監に申し訳が立たない。」

 ひとつになったしゃぼん玉の中、ひかりと蝦名は、やや呆然とした態で言葉を交わした。何処か間の抜けた会話になったのは、互いの顔を見て、少し安心したのもあるのかもしれない。

 前から思ってたけど、蝦名さんの思考の基準って大体いつもおじいちゃんだよね。

 こんな時まで出てくる祖父の存在に若干のおかしみを覚えて、ひかりは内心でこっそり笑った。

 彼等の入ったしゃぼん玉は、そしてまさに、しゃぼん玉のようにふわりと浮き上がる。

 このしゃぼん玉もバリアなのだろうが、上の光壁のおかげで、表面に砂礫の一粒すら当たることもない。

 一度は遠のいていた空が、視界が、たちまちのうちにまた広くなる。どうやらかなりの速度で上昇しているようだが、重力がかかるような感覚は全くなかった。

 亀裂の断崖を抜け出した瞬間、まぶしさを覚えて思わず目を細める。明るさに慣れた頃に目を開くと、自分たちを包んでいたしゃぼん玉がすぅっと消えるところだった。

 あれ? 待って?

 ふっと思い至った考えに、ひかりは自分の足下に目をやった。予想過たず、視界のはるかに下に地面が見える。

「待って待って待ってー?!」

 思わず叫んだ瞬間、足の裏にしっかりと何かを踏みしめるような感触が現れる。

「脅威対象は地中にあるようですので、上空こちらの方が多少安全でしょう。」

 この状況で、脳がちょっとした混乱を起こしそうになったところに響いた、シンの声。普段どおりの落ち着いた穏やかな声だが、心臓に悪いこの状況で聞くと、その落ち着きはむしろちょっと恨めしい。

「脅威対象?」

「まだはっきりと捕捉できているわけではありませんが、先日の襲撃と同じたぐいでしょうね、多分。」

「この緊急時にとは、随分人を食った回答だ。」

 すっかり見慣れた黒縁眼鏡の糸目顔が、安心させるように静然と答える。緊急時でも全く変わらないこの穏やかさは、ひかりからすれば「余裕」な頼もしさを覚えるものだが、蝦名には「暢気」で心許ないもののように聞こえるようだ。

「確認が取れていないものを断定はできませんので。ですが、この場に限っては、高い蓋然性から判断したとお受け取り下さって構いません。」

「それはつまり、脅威の程度も、ということか?」

「えぇ。」

 厳しく言葉を詰める蝦名に動じた様子もなく、シンが答える。

 あぁもう蝦名さんたらまた! この期に及んですら皮肉含みな物言いの蝦名に、あきれる溜息をついたところで、しかし、あれ? とひかりは気づいた。

 シンさん、今、何かとんでもないこと言わなかった?

 思考の中で反芻する言葉。先日と同じ脅威の程度に対しての肯定。ということはつまり、もしかして、こないだのあの怪獣みたいのが、この下に── 

「ねぇ、フィニットは?!」

 思考にはじかれるように、ひかりが訊いた。

 フィニットの姿が、しゃぼん玉が消えると同時にいなくなっていたことに気付いて。



  裂け崩れた深い亀裂の只中へ、流れ星が落ちるように一散に奔る光条。

 その向かう先にも、やはり星のような光がある。

「ノーティ!」

「遅ぇぞフィニット!!」

「仕方ないだろ、あっちの安全確保してから来たんだから!」

 呼びかける声、返る声。会合ランデブーしたふたつの光は、飛行しながら言葉を交わす。

「対象は?」

「引きずり出そうとするとすぐ潜って隠れちまいやがる! ただ、やたらデケェってのはわかった。」

 視線を亀裂の深奥に向けたまま、ノーティが顎をしゃくってそれを示した。視線を向ければ、其処には確かに、何かうごめくものの気配がある。

「あれって、目……?」

 ぼんやりと薄気味悪く光る、大きく青白く丸いもの。それが三つ、平行に並んだ形で、暗闇の底にちらちらと動いている。

 大量の岩礫と立ち込める砂塵のせいで、上空からの探査サーチが今ひとつうまくいかない。詳細がわからないまま、それでも、感知できる限りの情報から考えて、対象が相当な大きさであることは確実なようだ。

「どう見ても、中規模メディナ相当はあるよね……?」

「もしかすっと、大規模マーノルいってるかもしンねェぞ、アレ。」

「そんなに?!」

 ノーティの言葉に、フィニットは思わず聞き返す。

 ふたりの口にのぼったのは、ナマートリュの、特に活動員や警護員などが使う、「脅威対象」の大きさを示す尺度だ。

 先日の襲撃で捕獲した原生動物は、一、二人程度で対処できる「小規模パルヴス」に相当するが、ノーティの見立てでは、今回の対象はその三倍から五倍はある、ということらしい。

「そんなの僕たちだけで対処できるかどうか……!」

「いや、こういうときこそ活躍のチャンスだろ! オレたちでコイツを何とかできりゃ、地球派遣の話が早まるかもしれねェじゃん!」

「でも……」

「デモもヘッタクレもねぇっての! どのみちやンなきゃいけねぇんだ、オマエも来たことだし、今度は確実にブッ叩く!」

 フィニットが不安と心配を言葉にするのを、跳ねるような口調でノーティが遮る。切れ上がるまなじりを、更にキッと吊り上げると同時に、その場から勢いよく飛び出していった。

「あぁもう……!」

 返事や制止をする間もないノーティの行動に、憤慨めいたあきれ声をあげて、フィニットもそれに続く。

 暗壁の狭間に飛行するふたりの光が、辻交うような軌跡を描きながら更に下へと奔った。その速度は、亀裂の最奥へ到達するのに、一〇のカウントを待たない。

「……アレだ!」

 目標を発見し、思念で頷きを交わす。ふたりの身体からあふれる光が光源となって、底を、其処を、「それ」を、照らし出す。

 灰色みを帯びた鈍い光沢。予想したとおり、先日の原生生物よりも更に大きな、視界を優にさえぎる、巨大な楕円のかたまりがいた。

 勿論、それはただのかたまりなどではない。小山のような楕円の片端に、錘のように細くくびれた頭部。さっき目にした三つの青白い光源は、ぎょろぎょろと動く巨大な目玉。

 四肢はあるが、後肢に比べて前肢が異様に大きい。前肢の先は、厚みのある平たく広い扇状で、突端には、大きく鋭い鋤のような爪が七本生えている。

 おそらくこれで、地中の強固な岩盤を削って掘り進んできたのだ。

 更に特徴的なのは、その体表に生えているだった。形は平らな剣先状だが、その根本は人ひとりの体幅ほどもある。

 長さに至っては、ふたりの背丈の五、六倍にもなろうか。形状の半ばから上は鋭い鋸刃状になっており、生半な物体なら容易に切り裂くだろう鋭さを帯びて、対象の体表をびっしりとよろうように覆っている。

 最早、体毛というよりも頑強な鱗とでも言った方が近いかもしれない。当然、地中を掘り進む速度や衝圧に耐えられるレベルにあることも容易く想像できた。

「ヴォナーグ星系に、これとよく似た生物がいたような……でも、確かあれは臆病な性質で、そもそもこんな凶悪な外見でもないはず……」

 自分の知っている知識に照らし合わせ、これに該当するものがないか、フィニットはひとしきり考えた。

 此処にひかりがいれば、或いはこれを見て、地球のハリネズミやヤマアラシに似ている、と言ったかもしれない。

 対象の形状だけを見れば、実際そんな姿に近いだろう。だが、最終的にぴったりと合致するものは、フィニットの知る中にはついに現れなかった。

「どうせアレだろ、前と同じ改造生物のたぐいだろ! 統括長フラーテルも言ってたじゃねぇか、襲撃が一回のみとは限らないって。」

 考え込んでいるフィニットを急かすように、ノーティが言った。こちらは、もう既に臨戦態勢に入っている。

 掌上に作り出すのは、光波を凝らせた光球。拳大ほどの大きさのそれを高々と頭上にかざせば、たちまちのうちに大きく広がり、ついにはノーティの身長を余裕で超える直径まで膨れあがった。

「そーらよ、っと!」

 煌々こうこうと、暗壁の底まで照らし出して輝くそれを、眼下に地這じばう対象へ向けて、思いっきり投げつける。

 狙いは、的確だった。だがは、山のような巨体に見合わぬ機敏さで身をひねり、すんでのところで直撃を避けた。

 光球が地を打つ衝撃で、壁の其処此処の亀裂が拡がり、がらがらと崩落する。ふたりの頭上からも土砂や岩塊が降り注ぐように落ちてきた。

 バリアのおかげで、落下するもの自体は大した脅威ではない。だが、巻き上がる土煙の処理に寸時すんとき気を取られ、ふたりはうっかり標的を見失ってしまった。

「あンにゃろ……何処隠れやがった!」

「思ったより素早いね……」

「そうなんだよ、さっきもああして、ちょこまか動き回られてよ……!」

 歯噛みするノーティ、思案顔のフィニット。どうやら、これはふたりが思っていたよりも面倒な相手であるらしい。

 壁底まで降りたところで、フィニットが片膝に屈み込んだ。最初の微震を感じたときと同じように、手のひらを地につけ、ひそむ対象の居場所の探査サーチを開始する。

──そっち!

──わかった!

 対象のは、すぐに拾い出せた。思念でその位置を伝えると、呼応する返事と共に、ノーティの掌上が再び強く輝いた。

 先ほどとは違う、ぎらぎらと凝縮された光球ができあがる。それを、振りかぶるような動作でぐるりと身をひねり、強くしなるバネが撥ね戻るような勢いで、思いっきり投げ付けた。

 ふたりの背後、そそり立つ暗い壁面の一点へと。

 光球が、壁を穿つ。

 一瞬の静寂と、直後の大きな振動。

 それは、ノーティの投げた光球が、壁の奥深くにひそむものに届いた証左。地につけた手から、フィニットはその様をはっきりと拾い出す。

「 ……頼むからおとなしくしてくれよ……!」

 呟くような小さな声が聞こえた。そう、ノーティにしたって、本当は傷付けたくなどないのだ。動きを止めてさえくれれば、それ以上攻撃する理由はなくなるのだから。

 お願いだから止まって。フィニットも、祈るように呟く。

 だが、対象はまたしても移動を始めた。

 何処かに逃げようとして、けれど何処に逃げればいいのかわからないのだろう。のたうつように闇雲に地中を掻き潜っているのが、フィニットの手に伝わってくる。

 ふたりとも、思うように運ばない状況に気落ちしながら、それでも、対象の位置を探し出し、さっきと同様に光球を打ち込む。

 こうなれば、とことん根競べだ。対象をできるだけ早く疲弊させ、傷付けないうちに捕獲するしかない。

 捕捉した対象の位置を伝えながら、受け取りながら、ふたりは止まってくれない対象に対して、祈るような心地とやる方ない憤りを共有していた。

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