第05話

――ようやく、ようやくだ。

 此処に至るまでの、無為にも似た時間、舐め尽くした辛酸。

 だが、貴様等を地に這いつくばらせるためならば、費やす労を惜しむ理はない。

 あのとき燃し尽くされた灰の底に、消えることのない怨讐えんしゅうの熾き火を燻らせてきたことなど、安寧に浮かれ平穏に腑抜ける貴様等には知る由もなかるまい。

 事実、今の俺はまだ、塵芥じんかいの如き存在に過ぎぬ。だからこそ、今此処に既に入り込み潜み付いた俺に、貴様等は気付かぬ、気付き得ぬ。そうだ、やがて気付いたときには、最早手遅れなのだ。

 だがそれはそれとして、の存在は目障りだ。あれは予定にはなかった。首尾よく入り込んだとはいえ、ああも近いところに居座られては、俺も少しばかり慎重に事を運ばねばならなくなる。

 そも、俺の標的は、何をおいてもだ。俺という存在を殺した貴様に、俺があのとき食らった全ての苦痛を、屈辱を、千にも万にも倍しるいして味わわせることこそ、最たる至願。

 待っていろ、貴様が後生大事に抱える全てのものを、その目の前で、奪い、にじり、砕き、壊し、殺し、無力と悲嘆と絶望にまみれさせてやる。

 そうだ、それがためにこそ、俺は還ってきたのだ。



  朝だった。気持ちよく目覚めた朝だった。

 自室としてあてがわれた部屋の窓から、起きるのにちょうどいい明るさの陽光が差し込んでいる。

 屋内の施設なのに、本物の陽光が届くというのは全く不思議な感じだったが、ともあれ、それは目覚めを迎えるひかりの枕元に優しく届き、ごく自然に目が覚めた。

 朝日を浴びて起きるのは、気持ちよい目覚めに良い影響があるとか何とか、という話は何処かで聞いたことがある。

 今朝の目覚めは、まさにそういうものだった。

 身支度を調えていると、部屋の呼び鈴が鳴った。電子音とかじゃなくて呼び鈴なのね、などとぼんやり考えながら、はーい、とのんびりした声で返事をする。

「おはようございます。お目覚めになりましたか。」

 寝起きのゆるい空気の中、かけられた声を耳にして、のんびり気分が仰天に取って代わられた。

「……シンさん? えっ、あっ、あの、何か、あったんですか?!」

 こんな朝から、何でわざわざ?! 予想外のことで、出てくる言葉もついついしどろもどろ。扉越しにもかかわらず、ひかりは思わず尋ねる。

「あぁ、あなたがたの滞在中、体調管理を含めた雑用係をすることになってるんです、わたしが。」

「へ?」

 何の滞りもなく返ってきた返事に、ひかりは再び、間抜けもいいところな声を洩らしてしまった。

 おそらく、そんなひかりの反応を、シンは最初から予想していたのだろう。ひかりが気分を落ち着ける間を待って、もう一度「入ってもよろしいですか?」と声がかかった。

 あっ、どうぞ! 慌てながらも、今度はきちんと返事をした。

 それを受けて、部屋の扉がシュッと横開く。部屋のロックは、緊急時以外、部屋主であるひかりの了承の上でしか開かないのだ。

 入口に立ったシンは、部屋の中で目をぱちくりしているひかりを見て、丁寧に礼を落とした。

「あの、えっと、……おはようございます!」

 状況に頭がついてきていないが、それはそれ、これはこれ。あいさつの返事を忘れていたことを思い出したひかりは、慌ててへこんと頭を下げる。

「っていうか! 何でシンさんが雑用係なんてやってるんですか?!」

 この辺りで、ようやく寝起きの頭が回り始めた。シンの姿を確認し、ひかりは浮かぶ疑問をそのままぶつける。

 だって、あのレジェンドだよ? 雑用係とかありえないでしょ?!

「うっかり目立ってしまったためにレジェンドなんて呼ばれるようになりましたが、我々はたまたまにいたにすぎません。まして、わたしは他の彼等のような突出した能力も持っていませんし、あまりにも名前負けして正直落ち着きませんよ。」

 目を白黒させているひかりに、シンはまるでほほえましいものを見るような、にこにことした表情でさらりと言い、そのままとことこと歩み寄った。

 レジェンドといえば、地球で最も知られるナマートリュで、ある意味、英雄みたいな存在として認識されている。

 もっとも、ひかりにとっては、「ものすごくかっこいいイケメン集団」という認識が一番強い。そして、イケメン好きだからこそ、全員の名前と顔がすぐ思い出せるくらいには、よく覚えている。

 突出した格闘センスとパワーを持つ、銀髪褐色肌の偉丈夫「ダンウィッチ」、あらゆる武器や武具の扱いに長けた、黒髪和風の優男「アラミツ」、強力な光波熱線の使い手、金髪碧眼の陽気で快活な青年「スートエース」、レジェンドの中で最も高い基礎能力ポテンシャルがあり、はつらつと少年めく面差しの印象的な「太郎」。

 そして、彼等をまとめる静穏な古兵ふるつわもの、「シン」。

 ただ、正直なところ、シンに関しては、「レジェンドの中で一番地味」という印象くらいしかなかった。とはいえ、実際に間近で見てみれば、やっぱりとんでもなく美形だったけれど。

 今になって思えば、もしかして、意図的に地味に見えるようにしていたのではないのか、という気もしてくる。特に、わざわざそんな地味な眼鏡なんてかけてるところがあやしい。

 つらつらと、そんなことを思い巡らすひかりの前に、シンが立った。

 その手には、抱えるように持っている白い箱。

「何ですかそれ?」

「地球から蝦名さんにお持ち頂いた体調管理メディカルツールです。リテラこちらで用意してもよかったのですが、異星の得体の知れない機械などで調べられるのは御免だ、と仰せになりまして。」

 何気なく尋ねたひかりに、シンは肩をすくめて苦笑し、箱を開いて見せた。中を見れば、なるほど、医者にかかれば誰でも一度は見たことがあるような、有名医療メーカーのロゴのついた機械が入っている。

 これを地球から持ってきたってことは、蝦名さん、自分で計るつもりだったの? ひかりは訪星の同行者を思い浮かべ、半ば感心、半ば呆れの気分で溜息をついた。

 では腕を。シンに促されて、ひかりは我に返る。

 言われたとおり、左の腕先を、箱の側面に空いている穴に差し入れた。

 軽い電子音。内蔵のモニタに、いくつかの数値が表示されるまでにかかった時間は、ほんの十秒足らず。

 それだけで、体温や心拍数、血中酸素濃度といった、日常の体調管理に使うデータの測定が完了する。

「ありがとうございます。身体状況、異常ありません。」

「わたし、昔っから風邪ひとつひいたことがないのが自慢なんです!」

「確かに、見るからに健やかそのものです。とてもよいことですよ。あぁそれと、できれば機械の計測だけでなく、感覚の状態も調べたいのですが。」

「感覚?」

 測定を終えて、箱から腕をすぽんと引き抜いたひかりに、シンが向き直って尋ねた。オウム返しに問い返すと、シンはゆっくりと頷いて言葉を続ける。

「えぇ、環境の差異から生じるストレスなどで、身体感覚に変調をきたしていないかを確認したいのです。具体的には、会話や身体接触で視覚や聴覚、触覚などに違和感がないか、ということなのですが。勿論拒否もできます。実際、蝦名さんには不要だと断られてしまいましたし。」

「大丈夫です! 私は断んないです!」

 そうか、先に蝦名さんとこ行ってきたんだ。ということは、十中八九、朝からあの不機嫌な顔を見てきたに違いない。

 指先でぽそぽそと頬を掻き、困ったような笑い顔をするシンに、ひかりは労いもこめて即答で返した。

「わたしたちとしては、あなたがたの滞在中の健康に関しても、できる限りの万全を期したく思っています。ですから、できれば彼にも御協力を仰ぎたいのですが、これがなかなか難しいようで。」

「ホントよね。蝦名さんって何であんなにつんけんしてるんだろ。あれじゃ交流目的で来てる意味がないじゃない。相手のことを信用しないで、自分が信用してもらえるわけがないのに。」

 蝦名については、自分に対しての態度にもいろいろ思うところはある。だが、ひかりには何よりもそれが一番解せない点だった。

 仲良くすることの何が問題なのよ。文句を呟きつつ、シンに言われたとおり、手のひらを差し出す。

「ではすみません。もう一度お手を。」 

 シンがひかりの手を取る。両の手で、何処か恭しささえ感じるような丁寧さで扱われ、何だかほんのり小恥ずかしい。

 興味津々見ていると、シンはおもむろに、自身の指でひかりの指先や手のひらを軽く圧し始めた。

「わたしの手が触れている感覚や、圧迫の感覚がちゃんとありますか?」

「ありますあります。っていうかシンさん指ほっそ……! 指圧とかやったらすごい効きそう。」

「はは、初めて言われるたぐいの感想ですね。」

 ひかりの言葉に、シンが面白そうに笑い声をたてる。

「はい、終わりました。」

 受け取ったときと同じ丁寧さで、シンがひかりの手を離す。

 あ、これって要するにお医者さんの触診みたいなもの? 引き戻した手をまじまじと眺めながら、ひかりはようやく、この行為が意味するところに思い至った。

「では、このあとは朝食になりますが、場所はおわかりですか?」

「大丈夫です、わかります……って、そういえば、護衛の人たち……も、今日から一緒にごはん食べるんですよね?」

 シンに頷いて答えながら、ひかりもまた尋ねた。

 昨日、新人組に案内されて施設巡りをしたとき、食事のための「食堂」も教えてもらっている。その際、彼等も同席することになる、と言っていたのを思い出したのだ。

「彼等は、あなたがたの滞在中、可能な限り行動を共にすることになっています。護衛の任もですが、同時に、地球と地球人について学んでもらう良い機会でもありますし。」

「あ、要は実習とかそういう……」

 呟いたひかりに、そんなところですね、と、笑いながらシンが頷いた。

「それでは、今日のわたしのはこれで終わりです。どうぞ、良い一日をお過ごし下さい。」

「あっ! あの!」

 シンが、来たときと同じように礼を落とし、同じようにさらりと部屋から退出しようするところを、慌てて袖裾を掴んで引き留める。

「どうなさいました?」

「おじいちゃんの伝言、まだ受け取ってもらってないです!」

 祖父から任された、何より大事な用件。うっかり忘れそうだったが、すんでのところで思い出した。

 今度は逃げられてなるか、という思いで、掴んだ袖をぎゅっと握り締める。

「……すみません。それは受け取れません。」

 先の折と同じく、シンの言葉はやわらかい謝罪の形をとって、拒否の意思を示した。頑なに「伝言」を受け取ろうとしない相手に、ひかりはなおも詰問する。

「何でですか! 受け取ってくれないなら、せめて理由くらい教えてくれてもいいじゃないですか!」

 ちゃんと聞くまで放す気ないから! ひかりは、シンを見上げる目にその意思を強くこめる。

 幾許いくばくかの沈黙ののち、何処か諦めたような溜息めく仕種をひとつ、シンが落とした。袖裾を握り締めるひかりの手に、自身の手をなだめるように重ねて、わずかに間をおいて、重く口を開く。

「理由をと仰るならば、そうですね、簡潔にお答えしましょう。それは、わたしが昔、あなたのお祖父じい様を――殺したからですよ。」

 発された声は、沈み込むように重く、蜘蛛糸のように細く。

 浮かべた表情は、夜凪のようにしずかで、夜闇のように色無く。

 ころした? シンの発した言葉の意味が、瞬の間、ひかりには理解できなかった。

 呆然とした隙を衝くように、ひかりの手の中から、掴んでいたはずの袖裾がするりと逃げる。だが、それすら気付かないほど、ひかりはシンの言葉に気を取られていた。

 シンはただ、静かだった。事の因果を無言の内に含めるように、微笑みに似た、けれど決して微笑みなどではない表情で、ゆっくりとこうべを垂れる。

 そしてそのまま、緩やかに踵を返して部屋を出ていった。

 ひかりが我に返ったのは、閉じきった扉がシンの背を完全に隠した後のこと。

 部屋の中には、窓から差し込む夏らしい明るい光ばかりが、ただただ、残されていた。

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