48:リビング

 ログアウトしてすぐにシャワーを浴び、それから部屋に戻ると、リカちゃんからメールが来ていた。彼女は花火大会に、浴衣を着て行くと言う。雪奈ちゃんはどうするの、と聞かれたが、返答に悩む。そもそも行かない、という選択肢は無いらしい。

 槙田くんたちとLLOでパーティーを組むようになってから、あたしのコミュニケーション能力はかなり上がった……と思う。話しかけられてびくつくこともないし、自分でも笑顔のときが増えたという実感はある。


(いやでも花火大会は……ハードル高いよ……)


 正直言って、億劫だ。グループ行動するとはいえ、あんなカップルまみれのところに行けるだろうか。しかも浴衣を着るとなると、様々な問題がある。まず、浴衣を持っていない。もちろん、下駄もない。そして、髪型をどうすればいいのかわからない。

 あたしはおもむろに、海上花火大会の詳細を確認する。毎年二十万人ほどが訪れる我が町の風物詩で、百年以上前から行われているらしい。別に、女の子は浴衣を着なくちゃいけないということはないのだが。どうせ行くなら、着たい。和服を着られる機会なんて、成人式と卒業式くらいしかないのだから。


「雪奈、起きてる?」

「わっ、お、お母さん!」


 物思いにふけっていたので、母への対応が遅れる。花火大会のページが、そのままだ。


「何、あんた花火行くの?」

「行かない……こともない」


 相手は母だ、どんな嘘をついてもどうせばれる。どのみち来週外出することを告げるのだから、本当のことを言っておいた方が後々楽だ。


「まさか、あの浴衣出してこいって言うんじゃないでしょうね。あれ、もうどこにしまったかわかんないわよ」

「……え、うちに浴衣、あるの?」

「あるわよ!あんた、覚えてないの?お母さんが若い頃に着てたやつよ。使わないから捨てようと思ってたら、雪奈が大きくなったら着る!って言ったじゃない」


 一体いつの話だよお母さん!どれだけさかのぼっても記憶が出てこないのだが、この家のどこかに浴衣があるらしい。


「あれなら、俺の部屋だ」

「ひっ!お父さん!?」


 今度は父が、部屋にぬっと顔を出す。相変わらず憮然とした表情で。あたしは何も言っていないのに、出してくる、と言い捨てて行ってしまった。


「え、えっと。お母さん、あたしに何か用?」

「ああ、そうだ!お母さんたちの休みが調整とれたから、雪奈も予定空けといてって言いにきたのよ」

「だから、何で?」

「神戸のおばあちゃんち。ここ数年行ってないでしょ?」


 いや、半年前に行ったんだけど、と思ったが口に出さないでおいた。父も母も、最近は仕事で忙しすぎるから、時間の感覚がおかしいのだろう。


「あったぞ」


 再び無愛想な父の声がかかる。そして、リビングに下りて、浴衣の状態を確かめることになった。


「わあ……綺麗」


 なぜか父の部屋にあった浴衣は、薄紫色で、金魚の模様が入った可愛らしいものだった。揃いの下駄と、巾着もある。長年タンスの奥にしまわれていたそれは、汚れや黄ばみもなく、新品同様だ。これを捨てようとしていたなんて、母はつくづく勿体ないことをする。


「本当にこれ、着るの?だったら一度、羽織ってみなさい。あ、お母さん着付けなんかできないからね」


 母とは身長がほぼ同じだから、裾の長さは問題ないようだ。しかし、自分でこんなの着れるわけないし、どうしたものだか。


「どうやって着よう……」

「美容院でやってくれるだろ」


 父はホットコーヒーを飲みながら、こちらを見ないでそう言う。父からそんな助言が出ることが意外すぎて、反応が鈍る。よ、よくそんなの知ってるね。


「雪奈、誰と行くのよ」

「大学の友達と」

「男の子?」

「え、あ、うん……男の子もいるけど」

「ふうん」


 母の視線が痛い。一体この人、何考えてるんだろう。そりゃあ、あたしが今まで浴衣着て、花火大会に行くなんてことはなかったけど。それだけに恥ずかしくて、自分の家の中にいるのに、ひどく落ち着かない。


「まあ、良かったわ。大学で、友達できて。お母さんずっと心配してたんだからね……」


 ふいに母は声のトーンを落とし、そう呟く。


「お母さんたち、仕事で忙しいからって、雪奈にゲームばっかり買って。そのせいで、友達ができなくなったんじゃないかって、思ってたのよ」


 いや、何というか、逆です逆。友達ができなかったから、ゲームに没頭したんです。


「そんなこと、ないよ」


 上手くセリフが紡げなくて、とりあえず否定の言葉を述べる。あたしがぼっちだったのは、決して両親のせいじゃない。そりゃあ、少しは、そう思っていた時期もあるけれど。今はハッキリと、そうじゃないと言える。


「お母さんの方は、もうすぐ落ち着くから。部署異動の要望が通ったのよ。だから、もう少し我慢してね」

「……うん」


 あたしも大学生になったんだし、お母さんがいなくても寂しくないよ、というのが本音だ。実際、今のあたしの生活は、充分充実している。けれど、寂しそうなのは母の方だった。母のこんな表情を見てしまっては、もう何も言えないと思った。


「俺も、できるだけ早く帰るようにする」


 父にまでこう言われてしまった。それから、家族三人がこうしてリビングに揃うなんて、実はものすごく久しぶりだということに気づいた。


「ありがとう。あたしも、二人が居るときは、ゲームやめてリビングに居るように……しようかな」


 つい言葉の最後が小さくなってしまった。今はパーティーを組んでLLOをしているので、あまり途中で抜けられないと思ったのである。でも、彼らなら。あたしの事情をわかってくれる。そう思い直し、もう一度口を開く。


「うん。居るように、するよ」


 二人は黙ったまま、そっと頷く。しばらくちゃんと見ていなかった両親の顔は、しわが深くなっているように感じた。

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