19:レジュメ修正

 ただでさえ、月曜日というのは気が重い。大学生ですらそう思うのだから、社会人はもっとそうだろう。昨日のアルバイトでは、ラナちゃんがミスをして大変だった。そのツケはなぜか、あたしに回ってきて、目と指を酷使する羽目になった。混み合う車内、吊革に捕まりながら、陰鬱な気分で周りを見渡す。皆くたびれた表情で、それぞれのストレス原因について思いを馳せているようだ。あたしのストレス原因は、ラナちゃんよりも経営学演習Ⅰである。先週、ギャルたちがトイレで話していたことが、頭の中でループ再生されている。


「じゃあ、次の授業のときにアタシが話しかけるね」

「鈴原の友達第一号!」

「あはは!名誉だね~」


 槙田くんとお近づきになるため、あたしをダシに使うというお粗末な作戦は、本当に遂行されるのだろうか。休みたくて仕方がないが、今日は時間を計って実際の発表練習をする予定だから、そうはいかない。何の予防策も思いつかず、淡々と時は流れていく。お昼の豆腐ハンバーグもあまり喉を通らなかった。しかし、出されたものを残さない主義なので、無理やり口に詰め込む。……お腹、気持ち悪い。

 演習の教室には、時間ギリギリに入った。ギャルたちに話しかけられる確率を減らそうという、せめてもの抵抗である。


「ねぇねぇ、鈴原さ~ん」


 そしてそれは、無駄な抵抗だったのである。


「は、はい!」


 天敵に刃を向けられた獲物のように、あたしは身を固くする。


「鈴原さんのとこ、テーマ何にしたんだっけ?」


 無難な話題で攻めてくるのが腹立たしい。だが、トイレでの会話を聞いていなければ、女の子が話しかけてくれたと喜んでいたかもしれない。あたしは、危うくこの笑顔に騙されるところだったのだ。


「VRゲームです」

「そうなんだ?進んでる~?」

「まあまあ」

「アタシのとこ、エクセル・カーなんだけど、中々上手くいかなくって」

「そうなんですか」


 余りにも会話が広がらないやりとりに、ギャルは焦っていることだろう。これがぼっち歴18年の威力である!これが作戦ではなく、素であるということが恐ろしいポイントだ。始業のベルが鳴っても、彼女は話をやめようとしない。いつの間にか、あたしは同じグループであるギャルたちに取り囲まれ、総攻撃を受けていた。むせ返るほど甘い香水の匂いに、お昼の豆腐ハンバーグとご対面しそうだ。傍からだと、発表の相談をしているように見えるためか、教授は何も言わない。自力での脱出、不可能。


「ごめん、鈴原さん返してもらっていいかな?」


 救世主が現れた。黒縁メガネの似合う相沢くんである。ギャルたちはしぶしぶ引き下がろうとするが、最初にあたしに話しかけてきたギャルだけは、これを好機と捉えたようだ。


「そっち、来週発表なんだよね?」

「そうだよ。だから時間ないの。ごめんね」


 相沢くんはばっさりとそう言う。


「お~い、早くしろよ~」


 白崎くんが呼んでいる。無事に解放されたあたしは、イケメンたちのもとで新鮮な空気を吸う。背後から邪悪なオーラを感じるが、きっと気のせいだ。


「じゃあ、始めようか」


 穏やかな槙田くんの声で、あたしは気分を切り替えた。発表時は、相沢くんがパソコンの操作をして、他の三人で原稿を読み上げるという段取りだ。文章量は少ないとはいえ、人前で原稿を読むのは緊張する。何度も噛みながら、一応は全て読むことができた。こうして彼らと会話するのは、本番のあと一回だけだと思うと、清々しい気分だ。無事に発表が済んで、彼らとの距離を置けば、あたしがギャルたちに狙われることはないだろう。しかし、どうしても発表の内容がひっかかる。本当に、これでいいのか――。


「どうしたの?何か、気になることでもある?」


 槙田くんがそう言うと、他の二人も心配そうにあたしの顔をのぞき込む。疑問を口に出した方がいいのか、悩む。もう発表は来週だし、今からレジュメに手を加えても、かえって悪くなるかもしれない。


「え、えっと……」

「遠慮しないで言っちゃってよ~」


 白崎くんがニコニコと笑う。ここまで怪しい素振りをしながら、何もないと言う方がおかしいか。


「あの、VRゲームのことを、褒めすぎな気がして。問題とか、多いじゃないですか」


 わずかに沈黙が流れる。また変なことを言ってしまった、とあたしはきゅっと目をつむる。


「……なるほど!VR中毒とか、裏VRのことだよね」

「確かにそうだよなあ。そういった問題点に触れておかないと、後で突っ込まれる可能性があるな」

「終わりの方で、軽く言った方がいいんじゃないかな?VRゲームの問題点とその対応策について、って感じで」


 どんどん加速していく議論に、あたしはついていけない。あっという間に、レジュメの修正をすることになり、発表前にもう一度だけ、相談時間を作ることになった。しかも、お昼を一緒に食べてから。

 授業後、すっかりトラウマになったあのトイレには行かず、真っ直ぐ次の教室へ向かう。先週サボったせいで、レジュメが一回分抜けている。


(どうしてこうなった!)


 後悔先に立たず。イケメン軍団との会合が、これで一回増えてしまった。喪女として、慎ましく生きていく予定が、どんどん崩れていく。不幸中の幸いは、お昼を食べるのが大学の外だということだ。もし大学の食堂だったら、より多くの視線があたしに降りかかることになっていた。

 あたしは何とかその日の講義を終え、吊革に捕まり、げんなりした気分で帰宅した。

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