18.兄の異変

◆???視点


 ――最近、兄の様子がおかしい。

 平々凡々を絵に描いたような兄で、わたしが友達に自慢できるようなだいそれたことをやったりはしない。が、さりとて一緒にいて恥ずかしくなるような兄でもない。


 その兄が……かっこよくなったのだ。


 どこがどう、と言われると困るのだが、全体に貫禄が出たというか、言動のひとつひとつに自信が感じられる。


 そのことを、親友である智実ともみに相談した。

 智美は、けろりとした顔でこう言った。


「そりゃ、女ができたんでしょ」

「お、女っ!? あ、あの兄貴に!?」

「お兄さん、イケメンではないけどブサメンでもないじゃない。白陽学園は進学校だから将来的にも有望だろうし。生徒会役員なら、いい大学に推薦で入ることもできるんじゃない?」

「……そ、そんなこと考えたこともなかった」


 たしかに、白陽学園はこのあたりで有数の進学校だ。

 わたしの志望校でもある。

 

 動揺するわたしに、智実がにやりと笑って言った。


「いや、女ができたってだけじゃないかも。最近、お兄さんの帰りが遅かったことはない?」

「そ、そういえば、文化祭の前に、連絡もなしにすごく遅く帰ってきたことがあったよ」


 あの時は大変だった。

 両親は、学校にも連絡したが、学校内に兄の姿はなかったらしい。

 両親は居間のソファに座り、壁時計を時折見ながら、まんじりともせず兄の帰りを待っていた。

 兄が帰ってきたのは午前二時を回った頃だ。

 突然鳴ったチャイムに、母さんがインターホンを取る。

 短い会話を経て、母、玄関へ。

 玄関を開けると、そこには、兄と、金髪の外国人の美少女が立っていた。その背後には、超高級そうな黒塗りのリムジン。

 白陽学園の生徒会長だというその美少女の説明によれば、文化祭の準備に熱中するあまり、寝過ごしてしまって、帰りが遅くなってしまったという。


「……あの時は納得しちゃったけど、けっこう怪しい理由のような……」


 帰りが遅くなるにしたって、今時スマホで連絡くらいできるだろう。

 一緒に作業をしていた役員が、仮眠を取って全員で寝過ごしてしまったという説明も相当に苦しい。


「きっとその日だね! お兄さんは生徒会長さんとデキたんだ。いや、ヤったんだ!」

「ヤった!?」


 あ、あの平々凡々を絵に(以下略)兄貴が、あの超絶美少女外国人生徒会長と!?

 どんなミラクルが起こったの!?


「ま、まさかぁ。だって、相手の人、とんでもない美少女だったよ。しかもなんか迫力あって、父さんも母さんも説得されちゃってたし」

「だとしたら、単純な男女関係じゃないのかもね」

「どういうこと?」

「お兄さんは、その生徒会長の若いツバメになったんだよ!」

「な、なんだってー!」

「ボンテージを着込んだパツキン美少女と、それにかしずくM奴隷。椅子になれといわれれば四つん這いになり、足を舐めろと言ったら指を一本一本舐めしゃぶる。あげくのはてにはピンヒールで踏みつけられて……ああ、これ以上は言えない!」

「どうしてそこでやめるのよ! もう一声! ……じゃなかった」


 智実はいわゆる腐女子である。

 同人活動というほどではないが、よくそういうイラストを描いてイラスト投稿サイトにアップしている。

 智実が珍しいのは、男✕男のみならず、男女ペアや百合もいけるところだ。

 要するに、なんでもありの変態である。


「さ、さすがに智実の妄想だよ~。兄貴にそんな甲斐性あるわけないし」

鐘那かねなはお兄ちゃんっこだからなぁ。認めたくないのはわかるよ」

「お、お兄ちゃんっこじゃないし!」

「またまた。お兄ちゃんが帰ってこないのが心配で、午前二時すぎまで起きてたくせに」

「ぐっ……そ、それは、両親が心配してるのが心配で」


 もう一度、智実の言ったことを考えてみる。

 最近、妙に自信をつけた兄貴。

 それはどうやら、遅く帰ったあの日から始まっている。

 その日兄貴は生徒会の仕事で遅くまで残っていたという。

 それが事実だとしても、一緒にいたのはあの生徒会長だ。プラチナブロンドで、美人で、カリスマのようなものまで漂わせた、完璧そうな年上の女。聞けば、他に一緒にいた役員たちも、みんな女子だったという。


(その中のひとりとできていて、生徒会長はそれをかばって?)


 いくらなんでも、あの完璧美人と兄貴が釣り合うはずがない。

 きっと生徒会にはもうちょっと付け入る隙のあるような、兄貴好みの平凡ながら可愛い感じの女の子がいるのだろう。

 兄貴はいつも言っている。平凡なのがいちばんだと。


 智実が言う。


「そもそもあたしは、鐘那のお兄さんが平凡だっていう説自体眉唾だと思ってるけどね」

「どうして?」

「だって、規久地家って、奇人変人の巣窟なんでしょ? 鐘那のお父さんは冒険家、お母さんは職業画家、おじいさんはジャズミュージシャンで、おばあさんは世界的な建築家。鐘那、あんただって、テニスのインターミドルベスト4、ピアノでもコンクールに出てたわよね」

「だからこそだよ。お兄……兄貴は、みんなばらんばらんの方向に全力疾走してるうちの要なんだから」


 兄貴は、父さんが冒険に出て留守の時はわたしの父代わりをしようとするし、母さんが画業に専念したい時には家事を代わる。わたしも手伝おうとするんだけど、わたしは家事が壊滅的に下手らしく、結局兄任せになってしまう。


「平凡がいちばんだ、俺が平凡に徹していれば、みんなの帰ってくる場所を守ることができる、それが生きがいなんだって」

「高校生にしてその達観は、とても平凡じゃないわよ。ただ平凡なんじゃなくて、平凡に徹する――凡事徹底の天才って感じね」


 ああ、なるほど。お兄ちゃんも、うちの家系らしく天才だったということか。

 ただ、その才能を、みんなのために使ってくれている。


「その意味では、さっきの……完璧パツキン美人生徒会長だっけ。そういう人が、お兄さんを当てにするという可能性はあると思うのよね」


 智実の指摘に、わたしは思わず納得してしまった。


(あ、ありうる……)


 平凡に徹する兄貴は、天才を御する天才だ。

 そのことは、わたしも身をもって知っている。


(お兄ちゃんがいてくれるからこそ、わたしは自分の得意なことに専念することができるんだ)


 後ろに「平凡」な兄のいてくれることの、どれだけありがたかったことか。

 とくに、規久地家では、両親はそれぞれに自分の得意分野を持っていて、自分の才能を発揮することで忙しい。子どもの時は、わたしも、きっと兄貴も、寂しい思いをした。


 智実がいたずらっぽく言った。


「このままだとお兄ちゃんを取られちゃうけど……いいの?」

「いいわけない! ……じゃなかった。そ、それは兄貴の自由でしょ。兄貴が誰と付き合おうと? 妹であるわたしには関係のないことなんだし?」

「あらそう。でも、お兄さんを捕まえた女性は、あなたのお義姉さんになるのよ? 気にならない?」

「うっ……」


 気にならないといえば嘘になる。

 これまで、時に両親の代わりになってわたしを守ってくれた兄貴だ。

 インターミドルの時も、声を枯らして応援してくれた。準決勝で敗れた後、黙ってそばにいてくれたのもあの兄貴。

 その気持ちが自分以外に向けられるのは……なんていうか、ちょっとイヤかもしれない。


「で、でも……どうしろっていうのよ」

「簡単よ」


 智実が悪い笑みを浮かべて顔を寄せてくる。


 智実の提案に、わたしは一も二もなくうなずいていた。

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