15.交渉という名の

「……できないというのか? なぜだ?」


 アリスが冷ややかな光を目に宿して言った。


「や、やだな~。アリスちん、怒ってる? 激おこなの?」

「わたしは理由を聞いているのだ」


 アリスは冷静に返すが……俺にはわかる。

 あれはけっこう怒ってる。


「できるかできないかってことなら、できるよ、もちろん。この世界の人間にも君たちを召喚することができたんだ。あたしにその逆ができないはずがありません」

「ではなぜ『イヤ』なのだ? いや……そうか。交渉を持ちかけるつもりだな?」

「ぴんぽーん! 大正解! いやー、だってさぁ、君はこの状況をどう思う?」


 メメンは周囲を手で示しながら言った。


「王様を失ったこの国がどうなるか……アリスなら想像がつくでしょ?」

「そうだな……独裁者がいなくなってめでたしめでたしとはなるまい。次の王の座を巡って内紛が起こる。負けた側は殺され、女子どもは奴隷にされる。そんなところか」

「それは政治のお話だねー。経済はどうかな?」


 今度は莉奈が答える。


「これまでピラミッドの増築という公共事業で支えられていた経済は完全に崩壊しますね。ただでさえインフレしていた貨幣は暴落してハイパーインフレに。食料や生活必需品の奪い合いが起こるでしょう。下手をすれば、プレデスシェネクにまがりなりにも存在していた文明的蓄積が失われ、プレデスシェネクの文明は原始人レベルにまで後戻りするかもしれません」

「正っ解~。やっぱ君たちは優秀だねー」

「おためごかしはやめろ。で、われわれにその責任があるとでも言うつもりか?」

「いや、そうは言わないよん。君たちはアメンロート王によって一方的にこの世界に連れてこられた被害者だ。アメンロートが返り討ちに遭ったところで、まぁ、プギャーとしか言いようがないよね。――でも」


 メメンが言葉を切る。


「でも、それはあくまでも君たちと王の間のこと。巻き込まれたプレデスシェネクの民たちはどうなるの?」


(それは……)


 俺たちが召喚されてから、まだ一日も経っていない。

 しかしピラミッドの中で、俺たちは悲惨な目に遭う奴隷たちや、圧政に苦しむ兵たちのことを見聞きしている。

 独裁者が倒れればみんなハッピーになる……というほど、世の中は甘くない。完全な無政府状態よりはまだしも独裁政権の方がマシだという話も聞く。

 俺たちがファラオを倒したことで、これからプレデスシェネクの人々が長い間苦しむと言われれば、気にならないとは言えなかった。


(でも、そんなことを言っていたら、俺たちはいつになったら元の世界に帰れるんだ?)


 俺はちらりとアリスを見る。


 メメンは、真剣な顔でアリスを見つめる。

 アリスは、その視線を真っ向から受け止める。


 しばらくの沈黙の後、アリスが言った。

 きっぱりと。



「――知ったことか」



「えっ……」


 メメンが絶句する。


 驚いたのは俺も同じだ。

 責任感の強いアリスが、まさかそんなことを言い出すとは。


 俺はちらりと他の役員を見る。

 千草は完全なポーカーフェイス。

 莉奈は興味深そうにアリスを見つめている。


(ど、どういうことだ?)


 俺だけ事態を呑み込めていないのか?


 アリスがもう一度繰り返す。


「知ったことか、と言ったのだ。それはわれわれの解決すべき問題ではない。プレデスシェネクの民自身が……あるいは、神なり天使なりが解決すべき問題だ」

「だ、だけど……君たちの干渉のせいで……」

「われわれは身を守るために必要なことをしただけだ」

「で、でも……ちょっとは責任を感じない? こう、良心がチクチクしたり、後ろ髪を引かれるような気がしたりとかは……」

「ないな」


 再び、メメンが絶句。


「さっき、おまえは言ったな。『天に偽りなきものを』と」


 たしかに言った。

 天使が嘘をつくと思ってんの? などと。

 出典はよくわからないが、莉奈によると日本の演劇かなにからしい。


「だが、おまえはウソをついている。人には不干渉だと言いながら、実質的には干渉していることもそうだが……何より、おまえは・・・・アメンロート王・・・・・・・による・・・われわれの・・・・・召喚に・・・手を貸した・・・・・だろう」


「ええっ!?」

「……ほう」

「ああ、そういうことですか」


 俺が驚き、千草が眉を跳ね上げ、莉奈が瞬時に理解する。

 一方、メメンの方は、盛大に顔をひきつらせていた。


「っ! ……な、なんのことかなぁ~。お姉さんにはさっぱり」

「おまえはさっきから、われわれの世界の事物を知っている素振りを見せている」

「そ、それはちょっとしたおふざけっていうか、会話を盛り上げるネタ要素? みたいなもので……」

「どちらにせよ知っていることに変わりはない。おまえか、おまえの主である女神イジス・ラーは、われわれに目をつけた。アメンロートによる召喚に干渉して、自らの手足とするべく選定・・したわれわれを、プレデスシェネクに送り込んだのだ」

「な、なんの根拠があって……」

「神人不干渉契約なるものも、おまえのこしらえたフィクションだな。そうでなければ、有名無実のものにちがいない。不干渉を建前にしながら、都合の悪い相手には手駒を差し向ける。この世界の神は、きわめて生々しい存在だ。一定の意向と情念とを持った政治的主体だと言っていい」

「ぐぬぬ……イジス・ラー様を侮辱する気ですか?」

「そんなつもりはない。今回の一件から垣間見える、太陽神イジス・ラーの行動原理を推測しただけだ。それを侮辱と感じるのは、わたしの指摘が正鵠を射ているからだろう」

「ち、ちげーし! 神は下界に関心を持ったりしねーし!」

「ならばなぜおまえはここにいる? われわれのすることを見届け、必要があればそれとなくサポートするつもりだったのだろう。だとすれば、われわれはすでに求められた役割を果たしたということだ」

「そ、そりは……」

「それとて、本来果たさずともよかった役割だ。その上、この国の行く末にまで責任を持てだと? 寝言は寝てから言え」

「……っ!」


 メメンが涙目でアリスをにらむ。

 アリスは無表情のままメメンをにらみかえす。

 二人のにらめっこが数秒続く。

 そして、


「はぁぁ……そこまでバレてちゃしかたないかな……」


 折れたのはメメンの方だった。


「わーったよぉ。君たちのことは元の世界に帰す。で、でも、ちょっとくらい事後処理を手伝ってくれたりとかは……」

「そんな義理はない」

「ですよねー」


 はぁ、とメメンがため息をつく。


「そもそも、それはおまえの仕事だったのだろう、メメン」

「ぎくっ」


 アリスの言葉に動揺するメメン。


「どういうことです?」


 俺がアリスに聞く。


「言葉の通りだ。プレデスシェネクを管理し、良い方向に導くことが天使たるメメンの仕事だった。しかし、メメンはそれを怠った。ひょっとしたら、アメンロート王が女神イジス・ラーを見初めたこと自体、メメンの手違いだった可能性もある」

「ぎぎくっ!?」

「事態の収拾がつかなくなり、困り果てたおまえは、アメンロートの召喚に干渉し、自分の手足となって動く、使徒のような存在を送り込むことを画策した」

「ぐふっ!」

「……その反応からすると、おまえの主であるイジス・ラーは今回の顛末をまだ知らないのだろうな。おまえがひた隠しにしているからだ」

「ぐふぉっ!」


 メメンが胸を押さえて悶絶する。


(全部図星かよ)


 最初から最後までこいつのせいだったってことじゃねーか。


 動揺を隠せないメメンに、アリスがにやりと笑いかける。

 メメンがびくりと身を震わせた。


「ところで、このプレデスシェネクには、神へとアクセスできる経路が残っているのだったな」

「ま、まさか……」


 メメンの顔から血の気が引く。

 アリスはわざとらしく肩をすくめる。


「安心しろ。大したことをするわけじゃない。ただ単に、その経路とやらを莉奈の神算鬼謀で見つけ出し、その前で今回の事件の顛末を、みなで振り返ってみたいと思っているだけだ。わが白陽学園生徒会では、大きな活動の後には必ずふりかえりを行い、報告書をしたためることになっているからな」

「ひいいっ! や、やめてぇっ! やめてください、アリス様ぁっ!」


 メメンがアリスにすがりつく。


「悪かった! あたしが悪かったからそれだけはやめてくりぃぃぃっ!」

「その前に、言うべきことがあるはずだな?」

「な、なんでもします! なんでもしますから、このことはどうか内密に!」


 おまえは万引き主婦か何かか。

 莉奈が言う。


「鈴彦が『ん?』って言いたくてうずうずしてますよ?」

「言いたがってねーよ! おまえだろ!」

「『何でもするって言ったよね?』のネタは発言者が男じゃないとダメじゃないですか」

「相手も男じゃねぇから成り立たねーよ!」


 かけあいを始める俺と莉奈を尻目に、アリスがメメンに最後通牒を突きつける。



「――さて。われわれを元の世界に戻してくれるな、メメン?」



「……は、はいぃ……」


 消え入るような声で、メメンが言った。

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