10.最終準備

「とまあ、そんなわけで、王の後宮に妻子を取られちまった連中が山ほどいるのさ」


 年かさの兵がアリスに言っている。


「ふぅむ。それでよく政権が持っているものだ。いかな忠臣でも、妻子に手を出されては反乱を起こすと言うがな」

「相手はあの魔道王だぞ。反乱を起こしても勝ち目がない」


 アリスと兵がのんきに会話をしている。

 俺の方は、


「そうだ、飲み込みが早いぞ、坊主!」

「ジュリオ! もっと側面から圧力をかけていけ!」


 なぜか、兵と意気投合し、戦いはいつしか試合へと変わっていた。

 勝敗に賭けている兵までいる。

 どうしてこうなった。


 アリスが兵に聞く。


「姫は父親に似ていないな」

「目元、口元は似ているだろう」

「そうか?」


 アリスが首をひねる。


「姫殿下も不憫なお立場なのだ。姫殿下の母君は姫殿下を産み落とした時になくなった。それ以来王は取り憑かれたように神を追い求めるようになった」

「神を……追い求める? 神になりたいのだと聞いたが?」

「どちらも合っている。王は後宮の美女たちには飽き足りず、女神イジス・ラーを我が物にしたいと仰せられている。神を妻とするには自らも神にならねばならない」

「なるほど。神を手に入れるために自分も神になるということか」


 アリスがうなずく。


「王は姫殿下には見向きもされない。まるで存在しないかのように扱われるのだ。王は姫殿下に王妃を殺されたと思っているかのようだ」

「あの王が愛妻家だったとはな。いや、後宮に美女を囲っている者を愛妻家というのもおかしいが」

「寂しさを埋め合わせるために猟色に走ったと言われているが……正直ついていけんよ」


 兵がため息をついた。


「ちょっと和みすぎなんじゃないですかねえ!」


 俺が叫ぶ。


「そうでもありません。もともと彼らとは利害が一致しているんです。彼らの忠誠の矛先はお姫様です。ファラ王ではありません」

「だからって……」

「それだけ、ファラ王が反感を買っているということですよ。実際、莉奈たちはこれまで、ファラ王に忠誠を誓う人物を見ていません。大臣くらいでしょうか」


 莉奈が肩をすくめる。


「異世界の勇者が王に歯向かう。王を倒せればそれでよし、負けたとしても何の損もしない。それを止めるだけの義理なんて、彼らは感じていないということですね」

「……お父様……」


 千草に拘束されたままの姫が複雑そうにつぶやいた。


「姫の前でそんなこと話してもいいのかよ?」

「いいんじゃないですか。姫だって、自分の身を守る近衛兵団のことを、ファラ王にチクったりしませんよ」

「政治はあるべき論では動かないのだ。それぞれの主体は利害や欲望を満たすために行動する。表面上は大義名分を奉じているように見せかけていても、内心までそうとは限らない。とはいえ、この状況は末期的だがな」


 莉奈の言葉に、アリスが捕捉を入れる。


「それより、俺はいつまで続ければいいんだ?」

「せっかくですから、☆10を目指しましょうか」

「魔法はどうすればいい?」

「これまでに習得した自己強化魔法に加えて、回復魔法を取りましょう」

「ヒーラーになればいいのか?」

「いえ、自分で自分に疲労回復をかけて戦い続ける脳死系ゾンビタンクです」

「とことんマゾいな! 攻撃魔法は?」

「あれこれ手を伸ばしても器用貧乏になります。器用貧乏なキャラは中盤以降完全な産廃です」

「それゲームの話だよね!?」

「鈴彦は規久地じゃなくてキ○リになりたいんですか? 規久地は通さない! とか言われたいんですか?」

「喩えが古りいーよ! わかるけど!」


 俺は右手にパイルバンカーを、左手に適当な木材から切り出した木刀を持っている。

 右利きだからやりにくいかと思ったが、左利きの兵の動きを見ているうちに、利き手のように使えるようになった。

 莉奈の睨んだ通り、凡事徹底と見取り学習の組み合わせは有効らしい。


「プレデスシェネクの経済はどうなのだ? ずいぶん無理をしてピラミッド増築工事をしているようだが、給料はちゃんと出ているのか?」


 アリスの言葉に、兵たちが暗い顔をする。


「給料なんて、最後に出たのは三ヶ月前だよ」

「その給料も、物価が上がったせいでないも同然だったぜ」

「給料の遅配に急激なインフレか」


 アリスが言うと、兵の一人が通貨を取り出した。

 金貨だ。だいぶ美化されたファラオの横顔が彫られている。


「ゼッカは悪鋳に次ぐ悪鋳でボロボロだよ。見ろよ、このくすんだ金貨を。本当に言うだけの金が入っているのかね?」


 兵の言葉に、莉奈が言う。


「金含有率1%以下……粗悪ですね。これを『金』貨と呼ぶのは間違ってるレベルです」

「むう。そこまで下がっているのか。今年五回目の臨時鋳造の時には金10分の1を保証していたはずだが」

「王が金が入っていると言えば入っているのだ、ということだろうな。王の権力の強さがかろうじて貨幣の信用を支えているのだろう」

「国に金貨と金の交換を求めたりした者は、行方知れずになっているらしい。少なくともそういう噂が流れている」

「経済でも強権頼みか。外の世界と隔絶していなければ成り立たない手法だな」


 アリスが言う。


「ところで、王が神になりたいと言い出したと言うが、神になる方法など、一体どこで知ったのだ?」


 これには、年かさの兵が答えた。


「始まりはダンジョンの奥で古碑文が見つかったことだ。そこには『神になる方法』が書かれていた」

「それを信じたのか?」

「そりゃそうだろ。古碑文だぞ? ダンジョンの古碑文には必ず有用な情報が残されている」

「具体的にはどんなものがある?」

「この先の魔物は毒を使ってくるので注意せよ、というようなものだな」


 3・11の時に、過去の大津波の際に残された「ここまで水が来た」という碑文のことが話題になった。

 この世界におけるダンジョンの存在は大きい。そう考えれば、ダンジョン攻略上の注意や情報を、風化しない碑文にして残すというのは理にかなっている。


「でも、すべての碑文が正しいわけではないだろう?」

「まぁな。実際、この穴を覗いてみろ、という碑文に従ったらギロチンの罠が作動して首が落ちた、なんて例もある。ただ、基本的には信用できるものだ。すくなくとも無視していいものじゃない」

「王はそれを信じたのだな」

「それからだ。ピラミッドの増築が始まったのは」

「増築ということは元となるピラミッドがあったのか」

「そうだ。増築に次ぐ増築で、元の部分はすっかり石の奥だがな。どこかに通路はあるはずだが、知っている者はほとんどいないのではないか」

「始祖の社稷を祀る大事な神殿があるはずなのですが……」


 姫がうつむいて言う。


「ピラミッドの増築は果てるところを知らない。重税と賦役で民は疲弊しきっている。それでも、税を納められなければ、家族揃って奴隷落ちだ。中には、上位者に娘を売って税を納める者までいるらしい」


 兵たちが深くため息をつく。


「王を真似て、上位者は当然のように女性を独占する。そして、その子どもを労働者の監督者にする。平民だって、奴隷と大差がない」

「よく反乱が起きないな」

「起きたさ。何度となく平民たちが暴発し、そのたびに王とその直属部隊が彼らを血祭りにあげた」

「恐怖政治、か」

「奴隷はもとより、平民も賦役と称してピラミッド増築に駆り出される。神の与えてくださった星も、瞬発力強化魔法に使わざるをえない。星は神聖なものだから強制はされないが、瞬発力強化なしにはできないような重労働を課せられ、それができなければ奴隷に落とされるのだから、実質強制してるようなものだ」

「無法極まりないな」

「牛や馬などの動力となる家畜がいないことも影響しているのかもしれませんね」


 と、莉奈が補足する。

 たしかに、この世界に来て以来、大型の家畜を見ていない。

 鶏モドキの小型の鳥なら見かけたが。


 アリスが首を振って言う。


「人を大事にしない組織は滅ぶ。人あってこその組織、民がいてこその王なのだ」

「民がいてこその王……そのような考え方もあるのだな」


 年かさの兵が感銘を受けている。

 他の兵たちのアリスを見る目に、尊敬の念が混じったのがはっきりとわかる。


(アリスのカリスマが発揮されてるな)


 アリスは、人を惹き付ける天才だ。

 それが生まれつきのものなのか、特殊な家庭環境の中で身につけたものなのかはわからない。

 多くの人が、アリスの言動に注意を惹きつけられる。

 アリスが何かを言えば、関心や感動を持って受け止められる。

 俺が――いや、アリス以外の誰かが同じことをし、同じことを言ったとしても、他人に与える効果が全く違う。

 莉奈が天才であるのとは別の意味で、氷室ひむろアリスも天才なのだ。


(おっと)


 兵たちが、「民がいてこその王……」とささやきあっている。

 アリスの発したこの言葉は、きっと一瀉千里の勢いでプレデスシェネク中に広まっていくにちがいない。

 このまま放っておくと、アリスは新しい女王にかつぎあげられてしまうかもしれない。


「ところで、このピラミッドは結局どのくらいの広さなんだ?」


 と話をそらす。


「莉奈の神算鬼謀による推測では、このピラミッドの幅は3キロほどあります。神算鬼謀の空間把握能力は縦方向の解像度が低いので、高さはわかりませんが……」

「幅がわかれば計算できるな」


 アリスがうなずく。


「ちなみに、規久地先輩。ピラミッドの底面が一辺3キロ、最外層の傾斜が底面に対して30度とすると、ピラミッドの高さは何キロになりますか?」

「う……ええっと……sin?」

「sinでも計算できますが、普通tanを使うのでは?」

「3÷2×tan30ですから、ざっと0.75キロといったところですね」


 千草があっさり答えを出す。


「タンジェント……うっ、頭が」

「頭が……悪い、ですか?」

「痛いだけだよ!」


 三年の成績トップは当然のようにアリスで、千草も二位に収まっている。

 一年の成績トップは、やはり当然のように莉奈である。

 二年のトップは……もちろん俺ではない。俺はよくて中の上。主席レベルの三人に教えてもらってこれなのだから、生徒会に入ってなかったら平均付近だったろう。


 アリスが言う。


「しかし、高さ750メートルか。未完成な分、それより低いとはいえスカイツリーの倍以上の高さだ。崩落事故が頻繁に起こるわけだな」

「建築物というよりは、山を造っていると考えたほうが実態に近いですね。ブロックで古墳を造ってるようなイメージです」

「ブロックを積むだけだもんな」

「中に居住空間を造ってますので、それなりに高度な技術も必要ですよ。プレデスシェネクの建築技術は、中世ヨーロッパのゴシック建築くらいの水準には達していると思います」

「たとえが高尚すぎてわからん」


 ……のは、どうやら俺だけだったようだ。

 アリスと千草は深くうなずいている。


 なお、一連の会話を、俺は戦闘をこなしながら聞いている。

 兵たちの動きは頭に入ったし、身体も動くようになっていた。

 凡事徹底の効果はあくまでも基本の習得が早くなることであって、応用的な技術はほとんど身につけていない。それでも、基本がしっかりしているだけでかなり戦える。同じように武器を打ち合わせても、基本を深く身につけている俺のほうが、相手を押し負かせる場面が増えてきた。


「それにしても、それだけの石材をどこから手に入れているのでしょうか」


 千草の疑問に、兵が答える。


「ピラミッドの下にあるダンジョンから運び出すのさ。いくら運び出してもブロックは無限に湧く」

「無限に……ですか。さきほどのマミーといい、この世界には無限が多いですね」

「魔法も、MPとかなしに無限に使えるんだったよな?」


 莉奈と俺がつぶやくと、


「無限は神の領域だ。太陽神であらせられるイジス・ラー様は、尽きることのない光と熱をわれわれにもたらしてくれる。偉大なる万物の母、万歳」


 敬虔そうな兵がそう言って独特のしぐさをする。


「魔法やギフトのある世界ですから、あながち神話とも言い切れませんね」


 莉奈が難しい顔をする。


 アリスが言った。


「鈴彦の星が稼げたら出発だ。兵たちは、悪いが縄で縛らせてもらう」

「やらせだと疑われないようにきつく縛ってくれ」


 前にも聞いたようなことを言う兵たち。

 やっぱり緊縛趣味なんじゃないかとちょっと思った。


 ほどなくして、俺の星が上がって10になった。


 アリスが、獰猛に歯を剥いて言った。


「――さて。準備は整った。あとはあのクソ王をぶっ飛ばすだけだ」

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