何度でも言いますよ

 2月14日。

 そう、セントバレンタインデー。


 こんなに、自分が情けないと思ったことはない。


 久々のチョコレート作りに悪戦苦闘したせいで、寝不足だ。


 情けないのは、寝不足のせいじゃない。稲葉のために2種類チョコレートを作ったことだ。

 本命チョコと、義理チョコだ。もとい、告白成功チョコと、告白失敗チョコだ。

 保険を作ってしまった自分が情けない。


 青いリボンの本命と、赤いリボンの義理。2つのチョコレートを入れたペーパーバックをロッカーにしまう。


 なんか、ドキドキする。


「ヒ〜トミンっ」


「わっ、内田さん、おはようございます」


「にひぃ、今のチョコレートでしょ、もちろん花ちゃ……」


「内田さんっ!」


 男子ロッカー室とは、薄っぺらい壁一枚隔てられてるだけだ。

 あまり大きな声で騒ぐと、丸聞こえになる。


 まだ、稲葉の姿は見てないけど、いてもおかしくない。


「ヒトミン、怒らない、怒らなぁい」


 誰のせいだと思ってるんだ。


「でも、図星だったみたいねぇ。いいなぁ、いくつになっても恋っていいよねぇ」


 小声でも、そういうことを言わないでほしい。

 何か言い返してやりたかったけど、さらに深く墓穴を掘るだけだから、言わない。大人ですから。


 ニヤニヤしっぱなしの内田さんに続いて、タイムカードを押す。


 時給分は、しっかり働かないとね。

 ロッカーの中のチョコレートのことは、忘れるんだよ、わたし。


「おはようございます!」


「「おはようございます」」


 めずらしく、稲葉が先に来てた。もう、売り場を確認して戻ってきたところみたい。――って、いちいち気にするな、わたし。


 だいたい、稲葉のやつ、今月入ってまったく思わせぶりなこと言ってこなくなったんだし。だから、保険に義理チョコまで作ったんだし。だって、だって、恥ずかしいじゃない。この歳になって、年下の男に熱上げてるなんてさ。でも、どうしようもないじゃない。今さらさ!


「黒崎さんも出勤してきたところで、お知らせがあります」


 パンパンと、木村さんが手を叩いてくれなかったら、仕事どころじゃなかった。危ない、危ない。


「本人から聞くと思うけど、阿知波さん、辞めることになりました」


「やっぱりですか」


「そうなの、花ちゃん。やっぱりお母さんの世話ができるのは、阿知波さんしかいないみたいでね。来月いっぱいで辞めることになるけど、有給消化もあるから、実質来月はほとんど出勤しないことになると思うから」


「「わかりました」」


 予想してたことだから、他に言うこともない。一週間の忌引から戻ってきた阿知波さんからも、それっぽいことは聞いてる。


「じゃあ、休憩行ってくるねぇ」


「「いってらっしゃい」」


 しばらく、また遅番は2人だけでやっていかなくてはいけないみたい。

 早く、新しい人が来ればいいけど。



「いらっしゃいませ!」


 店内にはバレンタインのポップもあるけど、惣菜売り場にはほとんどない。


 2年くらい前にハート型のかぼちゃコロッケを売り出した覚えがあるけど、あまり売れ行きがよくなかったのか、その時限りだった。


 今日も、惣菜売り場は平常運転。


 ――だと思ったら、稲葉の様子がどうもおかしい。わたしと目が合うとすぐにそらすし、ポテトコロッケをめずらしく揚げすぎて不良品を作るしで、どうもおかしい。

 今日は仕事終わるまで意識しないように意識してるけど、ほっといたらとんでもないミスをしそうでほっとけない。


 休憩時間が一緒になった内田さんに、思わず相談せずにはいられなかった。


「それってヒトミンのチョコ、期待してるんだよ」


「内田さん……」


 否定しようとしたけど、やめた。

 わかってる。

 本当は、わたしもそうだったらいいな。そうじゃないかなって、期待してることくらいわかってる。

 内田さんに相談したのだって、きっと肯定してもらいたかっただけだ。


 今日は、おやつを食べる気にすらならない。


 もし、稲葉と付き合うことになったら……?


 内田さんがタバコを吸いに行って、1人になった食堂で考えてしまう。


 正直、想像できない。

 手を繋いでデートしたりする光景が、まるで想像できないでいる。

 もともと、楽しい2人の時間がもっと増えればと思ったことから始まる恋だから、想像できなくてもいいかもしれない。


 これって本当に恋と呼べるのかと、モヤモヤしたものはずっと残ってる。


「……当たって砕けたくないなぁ」


 無謀になれないのは、きっと大人になった証拠なんだ。

 何にでもなれると信じてたあの頃のわたしは、今の自分を笑うだろうか。情けなく思うだろうか。


 わからない。

 泣いても笑っても――できれば泣きたくないけど、今日でケリをつけよう。


 明日はわたしの誕生日。

 どっちに転んでも、新しい時間を始めるにはちょうどいい。


 スマホがタイムリミットを告げる。


 気持ちを入れ替えろって、教えてくれる。


「よし、閉店まで頑張ろう」


 それから、稲葉を誰もいないお客さま駐車場に連れ出して……、だめだめ、今はまだ考えたらだめ。



 さすがに、今日の稲葉の失態は目にあまる。


「稲葉さん、値引き行ってきて。わたしが後片付けするから」


「はい、すみません。本当に……」


「今日の稲葉さん、ちょっと変だよ」


「……誰のせいだと思ってるんですか」


 今のは聞かなかったことにしよう。うん、今は稲葉がフライヤーから溢れさせた油をなんとかしないと。


 閉店まで1時間を切ったところで、このミスはないだろう。デッキブラシをバックヤードに取りに行きながら、ため息をつく。


 わたしの予想では、今日はわたしのほうがロッカーの中のチョコのことが気になって仕事にならないはずだったのに。稲葉がミスばかりしてるから、それどころじゃない。


 バケツの水を床にぶちまけながら、それでよかったのかどうか考えてしまう。



 閉店を知らせる蛍の光が、流れるとほぼ同時くらいにわたしと稲葉はタイムカードを押した。


 競うように黙々と閉店業務をこなしたわたしたちは、そのままの勢いでロッカー室に急ぐ。


 これは、期待してもいいよね! いいよね! てか、ほとんどの女子が期待するよね!


 いつもより、1.5倍のスピードで着替えたような気がする。余計なことは考えたくない。


 深呼吸を1つ。


 まずは、稲葉にチョコを渡したいからとお客さま駐車場に連れ出す。この時点で、本命か義理か濁すのが肝心。

 次、シンプルに『好きです!』って言う。その時の稲葉のリアクションがいい感じなら、そのまま本命の青いリボンのチョコを渡す。

 もし、残念なリアクションだったら、『冗談だよ』って笑いながら、赤いリボンの義理チョコを渡す。


「よしっ、大丈夫だ」


 2つのチョコレートが入ったペーパーバックを握る手に、力がこもる。


 本音。ここまま、帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい(以下略)


 ――コンコン


「ひゃい!」


 控えめなノックに、心臓が拳3つ分跳ね上がったかと思った。その証拠に声が裏返ってしまった。


「黒崎さん、あの、時間取らせませんから、表のお客さま用駐車場に来てくれませんか? 待ってます」


 続く稲葉の声に、心臓が止まるかと思った。その証拠に返事ができなかった。


 深呼吸だ、深呼吸。


 これは、期待するしかない!

 だって、稲葉から誘ってくれたんだし。


 これで駄目だったらなんて考えるな、わたし。



 閉店後のお客さま用駐車場は、照明が全部消えてて人気がない。

 しんと静まり返った車道の街灯が、遠く感じる。


 駐輪場の近くに稲葉はいた。


 待ってましたと、稲葉に軽く手をあげられると、止まりそうだった足が嘘みたいにスムーズに動き出す。まるでわたしの足じゃないみたいに。


 稲葉と3歩ほどの距離で自然と足が止まる。

 それが、稲葉との自然な距離なんだろうな。


 この距離をゼロにしたいと思うわたしは、やっぱり彼に恋をしているんだ。

 なんだか時間がかかってしまったけど、宙ぶらりんだった何かがストンと収まったような気分だ。


 昼ならダークグレイだとわかるコートのポケットに片手を突っ込んで、稲葉は空を見上げた。


「何度でも言いますよ。月が綺麗ですね」


 嘘ばっかり。

 今日は、朝からずっとどんよりとした曇り空だ。


「死んでもいいわ」


 自然と口から出た声は、自分の声とは思えないくらい柔らかかった。


「……黒崎さん、抱きしめてもいいですか?」


「ふぇ?」


 さすがに、そこまで心の準備はできてなかったよ!

 てか、その笑顔でいちいち許可求めないでよ。


 顔が赤くなるのがわかると、余計に頭に血が上る。


「黒崎さんって、いちいちリアクションが面白いから困る」


「……っ!」


 自然な動作でわたしを腕の中におさめる稲葉はやっぱり経験豊富なんだろうかとか、頭の何処かの冷めた考えを、稲葉の胸に頭を押しつけて吹き飛ばす。


「俺、もう二度と、恋愛とかゴメンだったんですよ」


「知ってる」


「どうしてくれるんですか?」


「わたしにどうしろって」


「付き合ってください」


 わたしが首を縦に振るよりも先に、稲葉は1度腕をほどく。お互いの顔がよく見える。


「黒崎さんと一緒にいると楽しいんです。もっと、一緒にいたいと思ってしまったんです。そんな毎日が、続くといいなぁって」


「うん。……わたしも」


 稲葉の顔が赤くなっていることに気がつく。恥ずかしいのは、お互い様だったみたい。


「これ、誕生日プレゼントです。明日、黒崎さん休みだから、今日渡さないとって思ったんですけど、やっぱり興ざめですか?」


「ふぇ? ううん。全然! 嬉しいよ」


 稲葉がそっと差し出してくれたファンシーショップらしいビニール袋の中には、もこもこしたものが入ってた。


「マフラーです。今つけてほしかったから、ラッピングしてもらいませんでした」


「ありがとう。でも、なんでわたしの誕生日知ってたの?」


「女王サマから、聞きました」


「へぇ」


 ということはやっぱり……。


 稲葉がくれたマフラーは、オータムカラーの落ち着いた色の毛糸がふさふさしていて、片方の端には目玉らしきものが暗い駐輪場でもよくわかった。


「これって……」


「みのむしマフラーです。内田さんから、去年の暮にマフラー無くしたって聞き出したんです。気に入りませんでしたか?」


「ううん。嬉しい」


 たしかにプレゼントのセンスは微妙だ。

 でも、首に巻くと今までのマフラーで一番あったかい。


「似合うかな?」


 コクンと大きく首を縦に振る稲葉に、わたしもチョコレートを渡さなきゃいけない。


「これ、手作りだから、味は期待しないでほしいんだけど」


「マジですか? 手作り? 今、食べてもいいですか?」


「いいよ」


 本当は恥ずかしいから後にしてほしい。


 目を輝かせて茶色の包装紙を破いてく稲葉が、犬みたいで可愛い。


 ――あれ? 赤いリボンって!


「いただきます」


「だめ!」


「むぐっ」


 涙目でむせるのも無理ない。


 だって、それ、ハバネロ入りのチョコなんだから。


「ごめん。それ、間違えた。こっち、こっちが、稲葉のために作ったやつ」


「く、黒崎さんらしくて、許しちゃう自分が怖いよ」


 涙目で笑ってみせる稲葉との距離が、もう一度ゼロになる。

 今度は、長くてもっと――。

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