第2話 サザンカ5
─5月22日 14:45 ???─
「ていうかアイツは?」
ふと、思い出したようにサザンカが口を開いた。
さっさと歩き出してしまったフタツミが少女たちを引き連れて先を行く。その背中にサザンカの呟きはどうやら届いたようで。
フタツミが怪訝そうに眉をひそめた。
「アイツ?」
「イチゴだよイチゴ。いちごちゃん」
「……一応忠告しといてあげるけど、『それ』本人の前ではやめなさいよ?」
ゲーム開始直後からずっと姿を見せない一人の男。
その名前をからかうように揶揄ってみれば、フタツミがヒクヒクと表情を引きつらせた。
もちろんサザンカだって本人にそんなことを言った経験はないが……。彼女のその反応がその行動の無謀さを物語っていた。
正直、一度ぐらい言ってみたいような気がしていたが、どうやらフタツミの忠言に従うのが身のためらしい。
はあっと疲れたように息をついてフタツミは前に視線を戻す。
キャンプ客用に用意された道なのだろう。硬く踏み慣らされたその道を歩くフタツミは、そのスピードを落とさないまま、サザンカの問いに投げやりにこんな言葉を返す。
「アイツならのんびりしてるわよ、変わらずにね」
「……んとにヒキョーリョクテキだなぁ」
「非協力的っていうか、自分勝手? 自由よねアレは」
皮肉の色を強めてフタツミはそう吐き捨てた。
彼女の遠い目がその言葉にひどく重い真実味を潜ませている。
サザンカは苦笑った。
どうしてこうも頑なに協力を拒むのか、皆目検討もつかないからである。
──普通に協力したほうが、簡単に終わるのになあ。
それに、
「チームみんなでやったほうが楽しいと思うんだけどなぁ」
「……アレと遊んで楽しいと思うの?」
「……」
ため息交じりのその言葉にフタツミの短いセリフが突き刺さる。
自分で言っておいてなんだが、正直否定はしづらい。この陰気女とやってるだけでもフラストレーションが溜まりまくってるというのに、また扱い辛い奴か介入してくるなど。
サザンカにとってあまり喜ばしくない展開だ。
「なんもしないでくれた方が暴れられるよりずっとマシ。アレに至っては特にね」
フタツミはポツリとその呟きだけ落として無言になる。
どうやら扱い辛いだけでは終わらずに暴れ癖もあるときた。こいつはまたまた厄介なチームメイトである。
くわばらくわばら……。
そうサザンカも口をつぐむものだから、木々に覆われた森の中をひたすら無言で辿ることとなる。
そうしているうちにも、景色は形を変えていった。
鬱蒼と木々の並ぶ森からきちんと整列した林へと。
緑と茶色しかない道から色とりどりの屋根の見える宿泊施設へと。
ボロボロの出で立ちをした赤い屋根のコテージの見える位置へと。
サザンカたちがその先にいるであろう人々の姿を確認するより先に。
幼い少年がこちらを指差した。
[ヒーローがっ! ヒーローが帰ってきたよっ!]
[あ、ゆうすけ]
立ち止まって、サザンカに並ぶ形になった少女がポツリ少年の名を呼んだ。
それを皮切りに、ワッと立ち並ぶ人々から歓声が上がる。
巨大なカマキリの脅威が去って、ヒーローが帰ってきた。
つまりヒーローが完全勝利した。
その事実を喜ぶ、
ヒーローの帰還を祝福する、人々の声だ。
彼らの輪から外れた数人がこちらへ駆け寄ってくる。
[おねえちゃあああああん!]
[まなみ、まなみぃ!]
[お父さん、お母さん、……、……ぐす]
どうやらサザンカの助けた方の少女の家族だったらしい。
お互いに抱き合ってその無事を確しかめる。
それを最後の一人だった少女が微笑ましげに眺めていた。
「本日2度目の感動の再開、ね」
「2度目?」
フタツミが一人そう呟いて、全くつまらなそうにそれを見ていた。
先ほども似たような場面に立ち会ったから、それの2度目に飽き飽きとしているのだ。
しかし、フタツミ側のプレイ画面を知らないサザンカは首をひねる。どうしてそんなにつまらなそうなのかわからないのだ。
こんなに素敵な再開なのに、なにが不満なのだろう?
[ありがとう、ありがとうございました!!]
「ああハイハイ、気にしないでいいから」
NPCの二人。……きっと少女らの両親だろう。
その二人かサザンカやフタツミに向けて感極まった様子でペコペコと頭を下げる。
それにやっぱりつまらなそうに返して、フタツミは息をついた。
「もうちょい喜んでいいんだぜ?」
「別に感謝されてるわけじゃないもの」
「いやいや、ありがとうって言われてんじゃん、感謝の他に何されてるってんだよ」
サザンカがそう顔をしかめると、フタツミは呆れ混じりに半眼になる。
「ゲーム内でのセリフでしょ」
「……うっわ、捻くれてんなあ」
「あんたと違って現実的なの」
バッサリとそう言い捨てられる。
サザンカは引き笑いになった。
この女とは気が合わないとは思ってたがまさかここまでとは。
ゲームなんだから嘘? 何を言っているのだ。
ゲームだからこそ、楽しむべきなのだ。
それならばメタい視点でアレコレ粗を探すのは不粋であるといえよう。そんなものは切り捨てて、のめり込む方が百倍楽しいに決まってる。
こう言う風にすぐ現実知ってますって顔する奴は総じて気にくわないのだ。
サザンカはツンと冷めた表情でそっぽを向いたフタツミを呆れ顔で眺めた。
すると、視界の端でチラリと動き出すものを捉える。
強い夏の日差しを全面に受けて眩しいぐらいの白を纏った、人影だ。
廃墟と化したコテージの、赤い屋根の上でそれはやけに目立って見えた。
その屋根を軽く蹴って、その白はサザンカたちの方へと落ちてきた。
「やっと終わりか」
「……」
「イチゴ」
ゲーム世界だからだろう。
高い場所から飛び降りたというのになんの衝撃もなくフワリと軽く着地してその影は静止した。
屋根からこちらまでだいぶ距離が離れていたと言うのに、それもさらりと超えて。
サザンカたちの立つ場所の目の前に。
サザンカが今呼んだ通り、その影とはイチゴ。
今までずっと『のんびり』していたらしい人物である。
「遅えんですよ、何十分待たせてんですか」
「いや、お前が参加しないから……っ、もごごごご」
「悪かったわね、でもこれで終わりだから」
そのくせ酷く苛立ったような声音で、偉そうなことを言うものだからカチンときてしまって。サザンカが何か物申そうと一歩前に踏み出す。
しかし、その言葉は半端に吐き出されただけで強制的に中断を余儀なくされる。
すぐにフタツミに口を塞がれて後ろに引き戻されてしまったのだ。
静かにしてなさいと、小さく囁く声がやけに緊張していた。
なぜだかはわからないけれど。
「もうしばらく大人しく……」
[ヒーロー!]
さらに言葉を続けようとするフタツミの声を遮る形で。
誰とも知れない声が響く。
もちろんサザンカでもイチゴでもない。フタツミの声を遮ったのだからフタツミであるはずがない。
声のした方向に目を向ければわらわらと十数名のキャンプ客らがこちらを見つめていた。
明るい柔らかな笑顔を浮かべて。
[ありがとう! ありがとう!]
[もう終わりかと思ったけど、あなたたちがきてくれてよかったわっ!]
[みんな助かったよ、ヒーローのおかげだ!]
[よくやってくれた!]
口々にそう言って歓声は大きくなる。
誰がどれを吐いているかもわからない、でもどれもがほとんど同じ言葉だった。
サザンカたちを、ヒーローを称える……ヒーローを崇める、声だ。
サザンカはにいっと唇の片端を持ち上げた。
これが、心地よくないはずがない。
こんな大勢が、自分に向けてひたすらに礼を述べているのだ。褒め称えて、強い羨望と尊敬の目で見つめている。
ゲームだ? セリフだ? そんなの関係あるか。
今この場にいるのは自分だ。これは自分に向けられた賛辞なのだ。
このステージをクリアした自分に向けられた称賛なのだ。
それに間違いなどありはしない。
サザンカがそんな悦に浸っていると。
しばらくして一人少年が前に出る。
彼が自分たちの前に出てきた時点で、NPCたちのガヤは不自然に止んだ。
どうやらこれが最後のイベントシーンらしい。
少年がサザンカたちを見つめる。
[ありがとうヒーロー! おねえちゃん助けてくれてっ!]
にっこり。その効果音が聞こえてきそうなほどに、綺麗に笑んだ幼い少年。
その完璧に作られた笑顔に、サザンカも強気なそれを返す。
「いやいや、気にすんなって」
いやにカッコつけた調子でそう言ってサザンカは少年の方に一歩近づいた。
そのままわしゃわしゃと少年の頭を撫でると、頭頂部の硬さ、髪の感触などがぼやけた感覚で指に伝わる。
空気を撫でているような、ちゃんと少年の小さな頭を撫でているような。不思議な感覚だ。
そんなサザンカとは違い少年の方にはちゃんとそれが伝わっているのだろうか?
頭を撫でられて少年は気持ち良さげに目を細くした。
ふにゃふにゃと嬉しそうに笑むその姿が、映像だとは到底思えない。
撫でられながらも少年は笑顔のままサザンカを見上げた。
[また僕らが大変なことになったら、助けに来てくれる?]
「もちろんっ、任せとけ」
笑ってはいるものの、やっぱりどこか硬い声でそんなことを問う少年。
サザンカは快くその可愛らしい依頼を受け取った。
いやむしろ、この状況でどうして断る必要があるのか。サザンカは得意げに胸を張った。
「なんてったって俺らはヒーローだからな」
サザンカにとってそれは調子のいい冗談混じりのセリフ。
しかしその言葉は、NPCの少年の目に光を宿すには充分だった。
ぱあっと明るくなってコロコロと笑い出す少年。
そのキラキラとした、憧れ混じりの視線に、サザンカの鼻は好き放題に長くなる。
……いー気になっちゃってまあ。
軽作業ばかりやっていたくせに得意になるサザンカを横目に、今回の大ボスである『エンプレスマンティス』を倒したフタツミがそう言って肩をすくめた。
うるせえやいとそちらを一瞬だけ睨んで、サザンカはまた調子よく笑みを作る。
そんなサザンカに、多くのNPCの笑顔が集まるのも当然のことだ。
サザンカは愛想よく一人一人に手を振ったり、笑顔を向けたり。
どこの俳優気取りか分かったものではない。
「これでやっとエンドロール、ですか」
こんな感動のシーンの最中であると言うのに、なぜか酷く苛立ったような声がそう言って舌を打つ。
吐き出したのは、イチゴだ。
フタツミのように健闘したわけでも、サザンカのようにサポートをしていたわけでもないくせに。
むしろ何もせず『のんびり』していたらしい、その男。
サザンカは彼がなぜ苛立っているのかが、わからない。
手伝いもしなかった彼がなぜこんなにもゲームを早く終わらせたがっているのかも。
だから自然と訝しげな顔になる。
イチゴはキョロキョロと辺りを見渡した。
「クリア画面にならねえんですけど」
「当たり前でしょ、この二人はまだ避難区域に入ってないんだもの」
フタツミがそう息をついて、地鳴りのように低く呻くイチゴを
その場違いな態度に顔を渋くして振り返ったサザンカ。
多少腹が立ったように歪められたその口が何かを紡ぐよりも前に。
フタツミの手がサザンカを押しのけ、少女らを急かした。
「早くあのコテージに……」
[あ、ごめんなさい。……ほら、まなみ行くよ]
両親との再会に硬く抱き合っていた少女だったが、もう一人の少女にも手を引かれ、立ち上がる。
すみませんご迷惑をかけて、そう頭を下げ少年の姉であるらしい少女は友人らしき少女に続いて歩き出した。
フタツミもそれを確認すると彼女らに寄り添うように歩き出す。
どちらかというとしっかり避難区域に入るかどうかの確認のためなのだろうけど。
それともこの場を離れたいが故だろうか?
サザンカは苦笑いした。
────その時だ。
[お兄ちゃんもっ!]
「……っ!」
NPCたちは何の疑問も持たないまま、彼らを微笑ましく見守っている。
少し足を進めたところで足を止めた少女らもまた、その光景を見て顔を見合わせ笑う。
ただ、フタツミだけが息を呑んだ。
サザンカはひたすらその意味をつかめずに首をかしげた。
それはありきたりな、それだけに何よりも美しいシーンだ。
幼い少年が、『ヒーロー』の背中に抱きつく、だなんて。
ヒーローを題材としたものならば、案外どこでも目にする光景、なのに。
「あ?」
[おにいちゃんもありがとう! ずっと屋根のうえで僕らのこと見守っててくれたんでしょう?]
やけに不機嫌そうに少年を顧みたイチゴ。
その背で少年はニコニコと笑みを作った。
イチゴの眉間にシワが深く刻まれる。
「おい邪魔くせえんですよ、離れろ」
[ほんとにっ、ほんとにありがとう!]
そう低く言いつけてあろうことか少年を睨みつける『ヒーロー』。
しかしそれでも少年は愛らしい笑顔を崩さないままだ。
「ちょ……、やめ、」
「え、なに?」
フタツミがこちらに早足で近づいてくる。
それにサザンカはまた首を捻った。
だってどうして彼女はそんな表情をするか。
どうしてそんなに焦っているのか。
わからなかったから。
サザンカは馬鹿だったから。頭が足りなかったから。
理解できていなかったのだ。
言うまでもなく、誰もが知っていることなのに。
──猛獣に不用意に近づいては、危険であると。
[お兄ちゃんはやっぱりヒーローだったんだねっ、僕は──────]
「うるせえって言ってんだろ」
不機嫌にそう言ったイチゴは少年の首根っこを無造作に掴んだ。
ふわり、いとも簡単に宙に浮く少年の体。
フタツミの舌打ち。
少年と同じく、笑顔のままのNPC。
わからないまま立ち尽くすしかないサザンカの目の前で、たくさんの情報がなぜかスローモーションに過ぎ去った。
「離れろ」
だと言うのに短く唱えられたその言葉は正常に耳に届いて。
そのまま轟音に溶けた。
ゲーム世界で何百倍にもなった力。
ヒーローになればどんな誰だって基本ステータスとして人並み外れた体力と身体能力を得る。
どんなに高いビルにだってひとっ飛び。
そのパンチは岩だけでなくダイヤの塊だって砕く。
対してヒーローの皮膚は滅多な衝撃では破れない。
何より、何億トンある物体だろうと軽々と持ち上げてみせる豪腕。
これさえあれば、細身で色白。
筋肉とはあまり縁のなさそうな見目をしているイチゴだって。
──少年を高く遠く投げ飛ばすことなんて簡単なのだ。
あっけなく吹っ飛ばされた少年。
その体は数秒宙を舞い、落下する。
コテージの屋根を優に超える高さから。
宿泊施設の建つ硬いタイルの張り巡らされた。
地面の上に。
「──────ッ!!!」
フタツミの節句がサザンカの鼓膜を揺らす。
その次の瞬間には、もう一度響く轟音。
ピ────
そしてあまりに無機質な、機械音だ。
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