とある箱庭職人の告白

 雨の街クロイズは、今日も分厚い灰色の雲から雨粒を落としていた。クロイズの片隅、倉庫街に箱庭職人の作業場は点在している。とはいえクロイズに住む箱庭職人は多くなかった。郊外の広い敷地で作業する者が多いからだ。


 その作業場のあちこちには空のままのガラスケースが転がっている。大きなテーブルには完成した――あるいは作りかけの箱庭がある。ひとつは、水槽ほどの大きさのガラスで、鮮やかな蝶が花畑を思わせる空間を舞っていた。そのまた隣には、円柱型の箱庭に南海の魚がサンゴ礁の海を泳いでいる。

 そして、作業場のなかでもひときわ目を引くのは一部屋ほどもあるのではないかと思わせるほどのガラスケースと、そのなかにいる妖精の姿だ。

「よ、邪魔するぞ。アルフレド」

 こつり、と革靴で作業場にやってきた金髪の青年は、合鍵を使って作業場に入る。この作業場の主であるアルフレドは、防毒マスクをしたままの顔を上げて、やってきた客人に挨拶する代わりに右手を上げた。彼は、大きなガラスケースの内側――箱庭のなかにいた。

 アルフレドの傍らにはうつくしい少女――否、うつくしい妖精がひとり。彼の作業を見守るようにちょこんとしゃがんでいた。アルフレドは立ち上がると、分厚い手袋をした手で妖精の頭をそっと撫で、ガラスケースのなかから出る。天井にある出入り口はとても厳重で、容易く外へ出ることができない。ガラスケースのなかの胞子が外へ漏れないように、また逆に部屋の空気がガラスケースへ入らないようにするためだった。

「エディ、今は何時だ」

 ガラスケースから降り、着地すると同時にアルフレドは防毒マスクを脱ぎ去る。凡庸な青年だった。小麦色の髪は汗でしっとりと湿り、薄茶の瞳はどこにでもあるような色彩で、華やかさとはほど遠い。

「第一声がそれか。この美青年を前にして他に言うことはないんかね。このエディ・バートン相手にそんなそっけない態度をとるのはもう枯れたおっさんかおまえくらいのもんだよ。……ちょうどランチタイムだ。どうせおまえ朝飯も食べてないんだろ?」

「ああ食べてないな」

 もう昼だったのか、と告げるアルフレドにエディも呆れたように溜息を吐き出した。もともと倉庫であるこの作業場には高い位置に小さな窓がひとつあるだけだ。太陽の動きも感じにくい。

「そんなことだと思ってたよ。ほら、食え。適当に買ってきたから。どうせおまえのことだから作業に集中して食ってないんだろ?」

「昨日の昼にサンドウィッチを食べたな」

 エディに問われてアルフレドは自分の記憶を掘り起こす。そのサンドウィッチもエディが昨日の朝に届けてくれたものだった。

「人間は食うもん食わないとぶっ倒れるんだよ」

 だからちゃんと食え、と何度エディはこの男に告げたことだろう。

 アルフレド・ハーヴェイという男は、生まれながらの芸術家であり箱庭職人なのだろう。彼の作る箱庭は繊細で、しかし造りものとしての異質さを感じさせない自然のままを写し取ったような出来であった。その箱庭の主が最もうつくしく、いきいきする空間を生み出す。作業に没頭するあまり食事も睡眠も忘れてしまうのはよくあることで、作業場で行き倒れているところをエディが発見したのは片手では数えきれないくらいだ。

 アルフレドが箱庭職人となったのは十五歳のとき。かれこれ十年も彼は箱庭を作り続けている。

「それにしても、あの妖精の箱庭は何ヶ月手を加え続ける気だよ? もう完成じゃねぇの?」

 エディが大きな箱庭を見て問うた。箱庭のなかの妖精は、エディを目が合うと首を傾げる。はじめはエディを見ると怯えて隠れていたのだが、慣れてくれたらしい。不思議なことにアルフレドには最初から懐いていたようだったから、妖精の美的感覚は変わっているのかもしれない。

 一口に箱庭といっても、五年ほど前から新しい流行が生まれていた。天使や妖精、人魚などを使った箱庭だ。それまでは植物だけのものだったり、小さな昆虫、大きくても爬虫類程度の生き物が入ったものだった。箱庭自体は、百年近く前から作られ鑑賞されている。

「箱庭に完成はない。それに、あれはもともと売るつもりがないからいいんだ」

「はあああ? おまえ、あの妖精にどんだけ金払ったか忘れたのかよ? しかもあんなでっかいガラスケースで。それで売らないなら大赤字だろ?」

 エディが耳を疑うのも当然だった。天使などの希少な生き物はただでさえ高価なものだか、妖精はさらにその上をいく。捕獲するのにも労力がかかるし、そのあとの管理も面倒な生き物だからだ。それに大きなガラスケースだってタダではない。

「本来、天使や妖精の箱庭ならあれくらいはなければ駄目だ。箱庭は彼らが生きていける空間を作るものであって、飼い殺すためのものじゃない」

「おまえ……まだあの天使の箱庭の仕事のこと根に持ってんのかよ」

 勝手知ったる我が家という顔でエディはコーヒーを二人分淹れると、一口すすりながらアルフレドにカップを差し出す。紅茶のような芳醇な香りとはいかないが、これはこれで癖になる味である。

「あれは、恩もある方からの依頼だったから受けたが……駄作も駄作だ」

 コーヒーを受け取り一口飲んだアルフレドが、その苦さからか、それとも己のふがいなさからか、眉間に皺を寄せる。

 アルフレドの作った、天使の青年の箱庭――本来ならば売ることができるようなものではなかった。少なくともアルフレドにとっては売り物になりえる出来ではなかった。天使を捕らえ飼い殺すための箱庭だった。アルフレドは結局、天使の青年が健やかに微笑むところを一度も見ることなく箱庭を手放した。しかしその箱庭は、作り始める前からこの天使を使い、こういったものを作れという依頼だったのだ。未だあまり名の売れぬ職人であるアルフレドにとっては、生活の為に受けざるを得ない仕事であった。

「正直、天使や人魚の箱庭はもう作りたくない。彼らは昆虫や爬虫類とはわけが違うんだ。彼らにも意志がある」

「まぁまぁ、そう言うなって。それに――」

 こくり、とエディがまた一口コーヒーを口に含んで喉を湿らせた。

「……そのうち、作りたくても作れなくなるんじゃないかね」

「どういうことだ?」

「なんでも近々、天使や妖精たちを捕獲するのを禁じる法ができるって噂だ。乱獲でかなり数が減ったらしいぜ」

 それはいい、とアルフレドはコーヒーを飲んだ。独特の苦味が胃に落ちていく。

 妖精は、箱庭のなかで微笑んでいた。



 今日も雨の街クロイズはしっとりとした空気に包み込まれていた。

 天使や妖精、人魚などの乱獲を禁ずる法が成立した。現段階ではあくまで捕獲を禁ずるものであり、既に箱庭のなかに囚われたものは所有権の問題から手出しできないままである。

 エディは読んでいた新聞を折りたたんでテーブルに置いた。アルフレドは今も、妖精の箱庭のなかで作業している。

 妖精は嬉しそうにアルフレドのそばをうろついている。そのたびにオパールのような輝きの髪が揺れていた。妖精の視線に気づくと、アルフレドが手袋をした手で彼女を撫でる。うれしそうに頬を摺り寄せる姿は、恋に落ちるには充分すぎるほどに愛らしかった。

 かれこれ半年近く、アルフレドはあの箱庭に手をかけている。

 箱庭のなかでは、たとえ防毒マスクを使っていても長時間の作業はできない。皮膚も必ず何かに覆っていて、素肌ではあの妖精に触れることすら叶わない。アルフレドも職人として守るべきところはしっかりと忘れずに、一定時間経つと必ず箱庭から出る。

「浮かない顔だな、エディ」

 むっつりとした顔のエディを見てアルフレドは目を丸くした。いつもへらへらとしている親友には珍しい顔だった。

「……箱庭職人の工房に、強盗が入っているらしい。天使たちを捕まえることは禁じられたが、箱庭のなかのはそれに当てはまらないからな」

 とんとん、とその長い指で新聞の記事を示す。法ができてから既に五件の強盗事件が起きていると書かれていた。

「おまえも気をつけろよ」

「俺はそんなに名の知れた職人じゃないからな。大丈夫だろう」

 有名な箱庭職人は、それこそこんな倉庫を工房にすることもなく、流行の箱庭を量産していた。盗っ人が狙うような工房は、そういった『価値のあるもの』があるところだ。ここにあるのはほとんどが主のいない箱庭だ。大きなものから小さなものまで、その箱庭の主役を待ち望んで静かに並んでいる。

「用心はしておけって話だ。売る気がないにしろ、あの箱庭にも刻印くらいはしておけよ。万が一のときにおまえの作品だってわかるようにな」

「わかってるよ」

「……また少し手を加えたのか」

 妖精の棲む神秘の森を模した箱庭のなかには、たくさんの植物がある。足元の苔がやわらかく彼女の足を包み、数本の木が陰を作る。咲き誇るたくさんの花の他に、以前にはなかったはずの紫蘭がぽつりぽつりと咲いていた。

「神秘の森の植物だけでなく、こちらの花も植えてみたくて。植え替えるのはダメだけど、種や球根からなら咲くみたいだ」

「これはおまえの最高傑作になるだろうな」

 大きさもさることながら、その出来は今までの作品を見続けてきたエディさえ息を呑むほどだった。なにより箱庭の主役が、まるでそこで生まれ育ったかのように生き生きとしている。

「そうだな」

 アルフレドは頷いて箱庭に歩み寄る。ガラスケースに触れると、妖精は微笑みながらその手に白い手を重ねた。厚いガラス越しに、その手が触れ合うことはない。

「タイトル、決めているのか」

 売るつもりのないものとはいえ、これは紛れもなくアルフレド・ハーヴェイの作品である。


妖精の女王ティターニア、だよ」

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