4 プレゼン本番

 二週間後の『木の日』。

 ザナトは恐る恐る、リユラの仕事場を訪ねた。


「お待ちしてました、どうぞ!」

 今日もリユラはにこにこと、ザナトを迎え入れる。

 仕事場はごちゃごちゃ、行動も気ままな彼女だが、額と手の甲に見える染料模様は相変わらず繊細だった。

(ずぼらなのか几帳面なのか、わかんねぇ女だな)

 そう思いながら、ザナトは言った。

「図書館の仕事、どうなった?」

「できてますよ!」

 リユラは作業台から、一冊の本を取り上げた。


 ごく薄い本だが、布に近いしっかりとした黒い紙で装丁されている。タイトルはないが、表紙には木の精霊、土の精霊、風の精霊のシンボルマークが箔押しされ、裏表紙には赤で国際魔法センターのマークが入っていた。

 呪文譜スペルピースである。

(美しい黒だ)

 ザナトは吸い寄せられるように、その黒を見つめた。

 染め物に使われる言葉で、紅下、という言葉がある。黒で染める前に一度紅で染めると、深みのある黒になるのだ。

《ザ・ワンド》の建物や制服には黒と赤が使われており、シンボルカラーになっているが、呪文譜に編成師が用いる装丁のための紙もまた、その色に染め上げられていた。


 彼女は本を開くと片手に持ち、紙を軽く叩いた杖先を宙にゆったりと泳がせた。

 開かれた本から、線や文字が溢れ出す。線が宙に何重もの円を描き、文字は色を虹色に変化させながら、線に絡まり付くように整列していく。

 やがて、人ひとりがすっぽり入れるくらいの直径の呪文譜が、空中に円を描いた。


 ザナトは呪文譜に目を走らせた。

 前回、主呪文メインスペルから大まかに作った呪文譜の文字は黒一色だったが、今のこの呪文譜は美しい色彩をまとって編成されている。

 イナの木の精霊に呼びかける部分には、譜にイナの銀の葉がするすると生えていた。西風の精霊を召喚する部分には、西を象徴する色である「白」が、まるで刷毛で刷いた雲のように漂う。他にも、精霊の好む色や素材が本そのものや文字に使われ、風になびき、水滴をはじき、絶えず息づいていた。


(やっぱり、専門家は違うな。俺がやっつけで作った呪文譜とはえらい違いだ)

 ザナトは口には出さずに思う。

(あのときこいつが摘んでたノーア草の色素が、主線に使われてるな。他にも何か、植物がいくつか……特に必要ない気もするが、まあ雰囲気だろ。精霊は好きそうだ) 

 細かく見ると、ザナトから見れば余分な文字があったり、逆に削られた文字もあったりする。が、ザナトは自分の呪文に手を入れられることをうるさく言うタイプではなかったし、他とのつながりも問題ない部分だったので、指摘はしなかった。


「……よし。いいんじゃないか」

「よかった! それじゃあ、仕上げ」

 リユラは本を手にしたまま、指揮棒で楽曲の最後の余韻をまとめるかのように、杖をゆったりと大きく回した。まるで鳥の群がねぐらに帰るごとく、線や文字が本の中に吸い込まれていく。

 開かれた本全体を透明なヴェールのようなものが包み、ぴっちりと吸いつくように覆って、それは無事に完成した。


「素敵に調和しましたね!」

 本を閉じた彼女はにっこり笑い、前回ザナトが持ってきた指示書を書類入れから出した。杖の天の水晶をパカッと外し、編成師の欄に捺印する。

 そして、できあがった呪文譜と重ね、まるで何か表彰でもするかのようにザナトに渡した。

「お疲れさまでした!」

「……どうも。じゃあ、詠唱部の事務に出しとくわ」

 ザナトはそれを片手で軽く持ち上げてみせてから、作業場を出るべく扉を開けた。仕事以外、ここに用はない。

「お願いします。うまく行くといいなー」

 のほほんとしたリユラの声が、彼を送り出した。 


 数日が過ぎた。

 イルダリア国立図書館のアーチの前でザナトが待っていると、ルスランが一人の青年を連れてやってきた。

「ごめん、待たせた。……紹介するよ、インターンのテオドール」

 ルスランが振り向くと、褐色の肌に黒髪、釣り目の青年が頭を下げる。

「よろしくお願いします」

「構築師のザナトだ。今日は、ルスランについて?」

「はい。僕も構築師志望です。今日は勉強させていただきにきました」

 表情は乏しいものの、灰色の目をまっすぐ向けてくるテオドール。ルスランが苦笑する。

「構築師・編成師・詠唱師の仕事は、インターンは一通り見学することになってるのは知ってるけど、エルドス部長に急に振られて驚いたよ」

 エルドスの相変わらずのマイペースぶりに、ザナトもつい苦笑する。

 ルスランはザナトを指さしながら、テオドールに言った。

「このザナトも、俺の仕事を見にくるんだよ。もう、何度もね」

「そうなんですか……?」

 テオドールはやや物珍しそうな目でザナトを見る。

 ザナトの行動は、歌でいえば作詞家が、コンサートで自分の歌が歌われているのをしょっちゅう聞きに来ているようなものだ。おかしいことではないのだが、少々自分の歌に固執しすぎているように見えるかもしれない。

 ザナトは肩をすくめた。

「在野で始祖語オリジンガの研究をしてるんで、呪文の使われ方をなるべく多く見ておきたいんだ。自分のに限らず、他の呪文譜の詠唱も見たくてね」

「雪山には来なかったけどな!」

「見るのは仕事じゃねぇんだから、俺には転移陣の使用許可が降りねぇだろ。いやー、見に行きたかったなー」

 ザナトとルスランが会話する後ろを、テオドールはおとなしくついてきた。


 図書館のホールに入り、ルスランが受付で《ピーラ》を見せて

「《ザ・ワンド》の詠唱師です」

と微笑む。

 若い女性の受付は、彼をうっとりと見上げた。ただでさえ見目がいい上に、あの制服を身に着け、声もいい彼は、どこへ行ってもたいていモテる。

 必要な手続きをしてから、彼らは外から問題の書庫に回った。


「こりゃ、立派なイナの木だ」

 ルスランがふり仰いだ。

 大人の手が回りきらないほどの太さの幹が、ねじれながら天へと伸び、厚みのある銀色の葉がぎっしりと枝に連なってシャラシャラと音を立てている。

 問題の根はいったん地中に消えていたが、書庫の外壁付近で地表にこぶのような姿をさらしていた。ここから、書庫の床下まで伸びているのだろう。


「早速、始めるか」

 ルスランは、書庫から離れた藪のそばに鞄を置くと、中から黒い本を取り出した。ザナトが構築し、リユラが編成した、あの呪文譜だ。

 呪文譜を片手にイナの木の前に立ったルスランは、一つ咳払いをしてから深呼吸する。

 そして杖を取り出すと、呪文譜を開き、軽く叩いた。


 彼の杖の動きに合わせ、光をまとった黒い線、文字や記号が、本から溢れ出した。

 空中で円を描き、たちまち色づいて息づき始める。

「……こんなに調和の取れてる呪文譜、見たことない」

 ルスランの後ろ、少し離れたところに立つテオドールが、つぶやいた。その隣にいたザナトは彼をちらりと見てから、ルスランに視線を戻す。


 ルスランが口を開いた。

『ダズリスラの地で、我、ルスランは精霊たちに呼びかけるものである』

 朗々とした声が、首都ダリアの古い呼び名を唱えた。


 詠唱師が呪文譜を詠唱するときの声は、普段の話し声とは発声から異なる。深く、深く、目に見えない空間の壁に反響するようなその声が、ザナトは好きだった。特にルスランは声がいい。

 ルスランは呪文譜に書かれた呪文を読み上げながら、土の精霊を褒め讃えた。あたりの空気がざわざわとし始め、彼の周りに精霊が集い始めた気配がする。彼らは呪文譜をのぞき込み、確かめるように見つめているのだ。そんな反応を見ながら、ルスランの声も誘うように変化する。


 西風の精霊を召喚するパートに入ると、柔らかな風が吹いた。呪文譜の色や光が、風にあわせてゆらゆらと揺れる。

(ここまでは、順調だ)

 ザナトは少し、この先が気になっていた。イナの木に呼びかける部分だ。

 元々イナの木の精霊は気むずかしいことで知られていて、リユラも「複雑だ」とつぶやいていた。呪文譜をみる限りでは、イケる、と彼は思っていたが、実際にはどうか。


 ルスランの声が、イナの木に呼びかける。精霊の意識が、呪文譜に向く。

 その時、呪文譜が青い光を放った。


(青……?)

 意外な色にザナトが驚いている間に、薄い水色のつぼみが呪文譜のイナの木のパートにいくつも生まれた。光をはらみ、透けるつぼみは、外側の花弁からゆっくりと開いていく。馥郁とした香りまでが漂った。さらに、緑のノーア草がさやさやと風に揺れるイメージ。

 イナの木の意識が、はっきりと呪文譜に向いたのが感じられた。

 ルスランの声が、イナの木を誘う。

 その根を、西へと伸ばすように。その先には安住の地があり、秩序が生まれる、と。

 土の轟きと、風のざわめきが、まるで唱和するように彼の声に味方して――


 ――ザナトが我に返ったときには、ルスランが本をゆっくりと閉じるところだった。呪文譜が本の中にすーっと吸い込まれていく。

 精霊の気配は静かになり、遠くの人声や梢のざわめきが戻ってきた。

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