第9話 嘘だらけの富子
加納スミ子62才、三重県出身。
地元の公立高校を卒業後、大阪に出て飲食店のウェイトレス、ブティックの店員、デパートの化粧品店の店員等いくつかの接客業を経てミナミのクラブホステスとなる。
銀行員である最初の夫とはクラブのホステスと客として知り合い一年後に結婚。専業主婦となるも嫁姑問題で3年で離婚。
娘の親権を夫に取られて再びホステスの世界に。
キタ新地で知り合った京都の不動産業、
以降30年間の内縁関係が死ぬまで続いた。
「…って、これがニュースやSNSで出回っている東村富子の情報なんですか!?信じらんない」
と言って双葉はナポリタンをかっ込み、麺が気道に入りそうになって咳き込んでしまった。
口の中身を紙ナプキンの中に吐き出す双葉の背中を和泉先生がさすってくれる。
いつも玄関先で近所の人に声掛けてははんなりと金持ち自慢をし、
青虫一匹も殺せないお嬢様ぶってさらりと近所の人の噂話で暇を潰し、
不動産屋の夫と一緒になって契約者全員の生活に土足で踏み込む、
それはとてもとても不快な近所の素敵なお師匠さんの実像は…お花のお免状以外全て、偽りだったのだ。
「ウチな、居間に飾ってある生け花のお免状の名前の所に薄紙貼って誤魔化してあるの気づいてこいつは深く関わってはいけない女や、と思って距離置いて付き合っとった…もう15年前の事や」
と、加寿子さんがプリントアウトした富子先生の資料をテーブルに広げて、
「やっぱりこんなもんだったかい。あいつの人生は」
と割とさっぱりした口調で言い放った。
ここは長岡京市の繁華街にあるカラオケスナック、POMATOの一室。この店のオーナーが加寿子さんの弟なので、
込み入ったプライベートな話をする時には一番防音設備が整っているこの部屋を使用させてもらうのだ。
室内には譜面台やアンプなど、セミプロの歌手や音大生が練習に使うのに必要な設備が揃っている。
「しかし恐いですね〜、内縁の旦那さん以外の人間に全て嘘付きまくって平常心で暮らしていけるなんて…私にはとても無理」
と主婦の郁美さんが唇の左端を引きつらせてフライドポテトをかじり、コーラで流し込んだ。
その様子を横目で見ていた和泉先生は、
「富子がこの町で暮らして30年…その間にどんだけ敵作って来たんやろな。
しっかし最後がストッキングで首締められて殺されるとはな。
ストッキングでの首締めはじわじわと苦しいで。
…これは犯人には余程の恨みがあるな。で、九条は事件に関してなんか言うてるのん?」
と、いきなり話が上司の九条敦に向いたので双葉はぎょっとした。
「な…なんで九条先生なんですか?」
「九条は性格はあんな奴だけれど論理的思考においては下手なコンピューターより優秀や。同級生だった私が保証する」
む、無理無理無理無理!
と双葉は首を振り、
「確定申告のクソ忙しい時期なのに、仕事以外で先生と話しませんよっ!」
そうなのだ、2月はお客さんである個人事業主の確定申告書作成依頼が山のように来る一番忙しい時期。
九条が双葉を怖がらせないように気を遣ってはくれてるるけども、ノートPCに向かうときの全身から来るピリピリ感はどうしても双葉に伝わってしまうのであった。
あ、そういえばもうコンビニに弁当を買いに行く気力すら無く昨夜の残りのポトフを皿ごと2階の自室から持ってきてレンチンしている時だった。
不意に、
「例の事件は近日中に解決するから、君はあの家に近づいてはいけない」
と九条が双葉に忠告したのだった。
和泉先生はやっぱりか!と指を弾いて喜色満面に口笛を吹いた。
「さっすが名探偵九条敦や。もう事件の犯人も背景もあいつには解ってるな!」
「え、でも…」
九条先生が警察の人と話したのは私が事情聴取を終えて担当の刑事さんと話したたった5分くらいじゃなかったっけ?
その事を和泉先生に話すと、
「ああ、担当刑事の山根も私と敦ちゃんの同級生。
と言ってハイボールのグラスを掲げてにかり、と笑った。
「今までに何度か敦ちゃんはこの町で起こった不審な事件を解決してくれてんのや」
「なるほど、名探偵九条敦ってそういうことですか」
せや、と肯いた和泉先生は急に苦い顔をし、
「私が中1の頃、教室で紺山碌郎のミステリー小説読んでたら『貸して』って言われて10ページ読んだだけで『犯人は室山警視だよ』って当てよった。
次にあいつ何て言ったと思う?『実のあるミステリーが読みたかったらポーのモルグ街の怪事件か、乱歩を読むといいよ、紺山は小学生で卒業しなきゃ』と鼻で笑うたんやで!」
と思春期のビターな思い出を語ってくれた。
九条先生ってやっぱり子供の頃から『そういう』人だったのか…
それにしても、
あの家には決して近づくな。
とは一体どういう意味なのだろうか?
帰りは加寿子さんに車で送ってもらい、鍵を開けて双葉がアパートの自室に入ると…
ドレッサーの鏡はめちゃめちゃにひび割れてその下にはあの南部鉄器の急須が転がっていた。
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