「青い蒼い空間に、私は流れに身を任せ、進んでいく。止まること無いこの空間に一つ寂しさを覚える。上も下も同じ色。たまに来るのは違う色や形をした仲間たち、私は流れ流れていく。終わりの無いこの旅路の果てをどこまでも~」

「何その歌、聞いたことなんだけど」

 前を歩くサチの背中に、私は聞く。

 あれからずいぶん歩いているが、サチの目的地はまだ見えない。景色は川辺の周りの草が無くなったくらいで、それ以外はまったく同じ風景を見ている。右に田んぼ、左に森だ。

 同じすぎて飽きてきたと思った頃、サチが急に歌い始めたのだ。

 童話のような音程で、聞いたことの無い歌を。

「これ知ってたら、かなりすごいぞ。当ててみるか?」

 聞かれて、わたしは首を左右に振って断った。

 クイズやなぞなぞの類は大の苦手だ。昔、よくそれでからかわれていたからだ。

 一+一が、どうして田んぼの田になるのか、今だに分からないでいるし、どこにもない果物も、そんなもの存在していないが、正解ではないのだろうか。

 答えは、教えてもらっていない。

「この歌はな、俺が独自に考えた歌だからだ」

「って、言うかそれじゃあ、分かるわけ無いじゃん!」

「だから言っただろ? 分かったらすごいって」

 話しにならない。

 わたしは額を押さえて項垂れた。

「青い蒼い空間に、私は流れに身を任せ、進んでいく。止まること無いこの空間に一つ寂しさを覚える……」

「それ、何の歌? 意味とかあるの?」

 サチの歩調がゆっくりになり、わたしと隣り合わせになり歩き始めた。わたしが見たサチの横顔は、どこか憂いが残りはかなげだ。

 まるで、ここではないどこかにその身を置いているかのように。

「意味、ね。一応これは対の歌なんだよ」

「つい?」

 サチは静かに頷き、説明した。

「俺が好きな釣りの魚と、空の上にある雲のことを歌った歌なんだ。最初の『青い』は空の青、次の『蒼い』は海の蒼のこと。同音異語ってやつさ。雲も、魚も流れていく存在。でも住む場所はまったく違う。違うけど、鏡のように正面に向き合っている存在。そう考えていたらできた歌なんだ」

 意味がさっぱり理解できない。

 頭の中でサチの言葉が交差しては壁にぶつかり消えていく。処理ができない。

 とりあえず、分かる言葉だけで要約すると……。

「つまり、釣りをしていたら歌いたくなって、歌っているうちに歌ができた、ってことよね?」

 サチは目を丸くした。一瞬、思考が停止してしまったかのように、動作も消えた。

「えっと、サチ?」

 サチの目の前で手を振り、意識があるか確認してみた。

 数秒後、サチの口から変な音が漏れてきた。

「クク、ククク、ク、ク、ク。ク……」 

 サチは顔を上げて、空を仰いだ。

「あーーっはっはっはっはっは、あははははははは……」

 大声で笑っている。いや、笑いという形容詞を使ってもいいのだろうか。

 この叫びは、魔女の高笑い。いや、サチは男だから、魔王の高笑いといった方が良いだろう。

 わたしはサチの笑いが止まるまで、ジッとサチのことを見上げ続けた。幸いなことに、ここは人通りが皆無なため、わたしはサチのことを見上げていることができた。

 もし、これが東京のような人通りが多い場所だったら、わたしはおそらく、いや絶対にサチの傍から離れて永久に会わないようにしていただろう。

 しかし、どうしてここまで笑う必要があるのか、わたしには分からなかった。

「ククク……、いや、悪い悪い。そうか、そうやってできたんだよな。うん」

 サチはニッカリと、腕を組み笑顔を向けた。

 わたしは少しホッとした。こちらの方が彼らしい笑いだ。先ほどの魔王の笑いをしていた時とは違い、彼らしさがある。

「お。やっと笑顔を向けてくれたな」

「へ?」

「顔、笑ってるぞ」

「う、嘘!」

 わたしは慌てて自分の頬を触る。鏡があればよかったのだが、ここには田んぼと森しかない。

 恥ずかしさでわたしはその場にしゃがみ、顔を膝に押し付けて隠した。

「おいおい、目的地はもうすぐそこなんだから、もう少し頑張ってくれよ」

「そ、そういう問題じゃないってば!」

「じゃあ、どういう問題?」

「そ、それは……」

 今まで見知らぬ人だったサチに笑顔を向けたってことは、つまりそれだけサチを信用して、警戒心が知らぬ間に解けていたということになる。

 まずい、これはかなりまずいかもしれない。なにがまずいかは分からないけど、まずいのだ。

 わたしは顔を上げてサチを睨む。

 サチはキョトンとした後、また笑顔を向けた。

 おそらくこれだ。

 わたしがサチへの警戒心を解いたのは、この笑顔によるものだ。

 おのれ! 魔王め。

「大丈夫みたいだな。ほら、あと少しだから頑張れ」

 差し出された手に、わたしは?まろうとしたが、すぐに首を振って一人で立ち上がった。

 サチは特に気にすることも無く、差し出した手をポケットに戻した。


 それから、三十分近く歩いたところで、ようやく目的の場所に辿り着いた。

 そこは今にも潰れそうな駄菓子屋さんだった。

 子供が数人、紙ガムを食べたり、お菓子を選んでいる。

「おばちゃーん、いるかぁー?」

 サチは、入り口の横に釣竿を立てて、中に入った。

お菓子が並ぶ棚で、それほど広くない通路を通り奥へ進んいく。

 わたしもサチに続いたが、途中でお菓子の箱をずらしたり、子供の一人とぶつかったりして、なかなか先には進めなかった。

「おばちゃー…………いってぇ――っっ!」

 サチの声が悲鳴に変わり、たどたどしくも奥へ行ってみると、そこには中年の少し丸みのある女性が、拳を握って立っていた。

「誰が、おばちゃんだ! 誰が! お姉さまと呼べって、何度言えば分かる!」

「悪い悪い、今まで若い子と一緒にいたから、ついお姉さまのことを失念していたんだよ」

「若い子って、また女かい? アンタさ、昔の女を忘れたいからって、そんなに女遊びをするんじゃないよ。アンタは顔だけは良いんだから」

「顔だけは余計だろ」

 女性サクラの対応にサチは笑顔で対応している。こういった冗談は茶飯事なのかもしれない。

 それよりも…………。

「あのさ、サチ。どうして女遊びのところは否定しないのよ。ロリコンになるわよ」

 冷たい視線をサチに送るが、サチは簡単に受け流す。

「別に、どんなに汚名を着せられたって、俺が俺のことを知っている限り、真実は変わらないからな。気にするな」

「いや、するよ」

 親指を立てて笑顔を向けられても、わたしに着せられた汚名はどうするの。サチがロリコンなら、わたしはジジコンになってしまうではないか。

 それはかなり困る。わたしの名誉のためにも否定してもらわねばならない。

「あのさ、サクラ姉さん。頼みがあるんだけど」

「ん? 金のことじゃなければ聞くよ」

「水ちょーだい」

「みぃずぅぅ? そんなんどうするつもりだい」

 サクラはあからさまに不振がるが、サチは両腕を後ろに回して、気にすることも無く答える。

「薬を飲むためさ」    

 チラリとわたしのほうを見ながら答える。サクラは鼻で深く息を吐くと、少し待ってなと言って、ガラス張りになった襖を開けて居間になっている部屋へ行った。

 しばらくすると、水の入った紙コップを片手に持ったサクラが、わたしの前まで来て紙コップを差し出した。

「ほら」

「あ、ありがとうございます」

「いい返事だね」

 サクラはフッと笑い、サチに向きなおる。サチはと言うと、子供たちに混ざって棚に並んであるうぐいす笛で遊んでいた。

「この、能天気頭! さっさと薬をこの子に渡しな!」

 サクラの一括に、子供たちまでビクッと、肩を震わせた。

「ポーー、ポキョッポポー」

「あと、売り物で遊んでるんじゃないよ! 触ったもの全、部! 買っていきな!」

「ええ! マジかよ」

「オレたちもか?」

「当・然!」

子供たちとサチはしぶしぶと、自分たちが遊んでいたおもちゃを買う羽目となった。

 お金を払うと子供たちは、これ以上ここに居たら、何を買わされるのか分かったものじゃない。と言わんばかりに、クモの子を散らすように去っていった。

 帰り際、子供の一人がサチのことをウサギのお兄ちゃんと呼んでいたのを耳にした。

「はい、これ」

 サチは先ほど見せてくれた薬ビンを、もう一度、渡してくれた。

 中のカプセル剤は一錠、飲めばいい物らしい。

 蓋を開けようとしたわたしを横目に、サクラは一言、言う。

「薬ってのは、胃の中に食べ物が無い状態で飲むと、炎症とか起こして悪化するよ」

 わたしは動きを止めた。

「ここはちょうど、駄菓子屋で食べ物が置いてある。何か一つでも買って食べれば、胃を悪化させることは無いだろうねえ」

 サクラのいかにも思わせぶりな口調に、わたしは不安を覚え、ゆっくりとサチの方を向く。

 サチはため息を吐いて、諦めた。

 キョロキョロと左右を見渡し、棚に並べてある商品を物色していく。

 気に入ったものが無かったのか、サチは駄菓子屋の外まで行ってしまった。確かに、外にも商品は置いてあるが、それは甘すぎるジュースやアイスが入っているクーラーボックスだけだ。

 胃に入れるものとしてはどうかと思ったが、お金を払うのはサチだから、文句は言えない。

 わたしは黙って、彼が帰ってくるのを待った。

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