第43話 エミリアの家で2

カローナとヒルドが、それぞれに王都の守り手シャインズガーディアンの詰め所を後にする、少し前。


始めに屋敷の外の異変に気が付いたのは、屋敷の主であるラダンだった。


「(まずい・・・、非常にまずいぞ。)」


エミリアの寝室の窓から、外の様子をうかがっていたラダンは、額に冷や汗を浮かべながら呻いた。。


屋敷に面した表の通りに、人が集まっていた。各々、手に松明やランタン、・・・そして武器まがいに見える棒や道具類を持っていた。


その様子は、間違ってもほのぼのとした井戸端会議には見えず、また新たに呼ばれてくるものもあり、人はなお少しづつ増えていた。


ラダンはイサベラたちには言わなかったが、街にやった使いが、「街の様子が明らかにおかしい」と言っていたのを思いだした。人々の恐怖をあおるような噂が、広まっているのだ。


「魂を食らう死霊アンデットが、街をうろついているらしい。」


「さっき西門の方で、何人かが犠牲になった。」


「操っていた死霊術士が、王都の守り手シャインズガーディアンに逮捕されたらしい。」


ラダンは、エミリアがただ魔力を奪われただけであることを知っており、噂がでたらめであることが分かるが、街の民衆のほとんどは、正しい知識など持っていないので、誤解は無理もないことだ。しかし、それにしても、この事態の急変は異常だ。


ついに、表に集まった人々は、屋敷の表のドアをたたき始め、その音は、エミリアの寝室まで響いていた。


ほどなくして女中の一人が、慌てたように、部屋に入ってくると、ラダンに何事かを耳打ちした。ラダンの顔はいっそう険しくなったが、イサベラたちに余計な心配をさせないように、出来るだけ落ち着いた風を装った。


「こんな時だが、どうやら客が来たようだ。すまないが、ちょっと下におりて来よう。」


ラダンはそういうと、マリーにも目配せをし、女中一人を残して、階下に降りて行った。


もう一人の女中が、何気なくラダンの見ていた窓から、外の様子を伺うと、「ひっ!」と小さな悲鳴を上げた。


階下の騒ぎはますます大きくなり、怒声が混じり始め、イサベラとゴニアたちにも、何か尋常ではないことが起きていることがはっきりと分かった。


「あ!いけません!」


イサベラとゴニアは、女中が制止するのも聞かず、窓から外の様子を伺った。


表に集まった人々、それはすでに『群衆』だった。


その喧騒の中から、一つの怒声がはっきりとイサベラの耳に聞こえた。


『死霊術士を出せ!』


イサベラは思わず力が抜けて、その場でうずくまってしまった。


ぐるぐると視界が回り、あまりのことに、思考もうまくいかず、何も考えられない。


「イサベラさん!大丈夫ですか?!」


事態を察したゴニアも、動揺していた。イサベラの背中に置いた手が震えていた。


そこへ、階下に行っていたラダンたちが部屋に戻ってきた。


「イサベラさんとゴニアさんは、ここでじっとしているんだ。大丈夫だ。何も心配することはない。」


ラダンは、二人を安心させるように声をかけたが、その表情からは、焦りがありありと見て取れた。マリーも俯きながら真っ青な顔をしていた。


「・・・私ですか?」


不意にイサベラが顔を上げて、ラダンに苦しそうに問い掛けた。


「私がここにいるから、あの人たちは、私を出せって言っているんですか?」


ラダンはしばらく沈黙した後、観念したように、話し始めた。


「連中は・・・、カローナ先生が連れていかれたことと、そしてどこから聞きつけたのか、イサベラさんがうちにいることも知っていた。イサベラさんをカローナ先生のように、王都の守り手シャインズガーディアンに引き渡すと言っているが、いま外に出ては絶対に駄目だ。完全に、今回の事件をカローナ先生のせいだと思っているし、弟子の君は、何をされるか分からない。」


「でも・・・。」


「この家なら大丈夫だ。これでも金品を扱っているからね。賊避けにしっかりと作ってあるから、表の扉さえ固く閉ざしてしまえば、簡単には入ってこれないさ。何とかイサベラさんのことを分かってもらえるように、説得を続けてみよう。」


それでもなお、不安そうなイサベラに、ラダンは、目線を合わせて言った。


「イサベラさん。我々はカローナ先生が犯人ではないことを信じているし、もちろん君もだ。そして君はエミリアの友人だ。君を彼らに差し出すような真似は絶対にしない。そんなことをすれば、エミリアに顔向けもできない。」


マリーもまだ青ざめた顔ながらも、ラダンの横で力強くうなずいた。


「(うくっ)・・・ありがとうございます。」


エミリアの両親の気持ちは、涙が出るほどうれしかった。


だが階下の騒ぎは、益々酷くなっている。罵声と扉を叩く音が響くたびに、イサベラは言いようのない不安に駆られた。


「この部屋ではない方がいいな。」


まだ事態を受け止めきれず、ふらふらしているイサベラを見て、ラダンは表通りから離れた奥の部屋に行くことを勧めた。


ゴニアは、奥の部屋に移ってからも、しっかりとイサベラの手を握っていてくれた。


表の喧騒が幾分ましになり、イサベラの思考がやっと回り始めたとき、一つの事実がイサベラの口から洩れた。


「わたし・・・、やっぱり嫌われ者なんだね。」


自分でその言葉を確認するかのように、かみしめると、自然と涙があふれ出てきた。


ゴニアは、今までもたくさんイサベラの泣き顔を見てきたが、こんなに悲しい泣き顔は初めてだった。


「・・・許せない。」


ゴニアの不意のつぶやきに、イサベラははっと顔を上げた。


「イサベラさんを、こんなにも悲しませる人たちは許せません。私が表に言って、一人残らず石に・・・」


ゴニアは怒りのあまり、とんでもないことを口走り始めた。ゴニアの魔力なら、ひょっとしたら可能かもしれないが、それはそれで、大惨事だ。


「あばばば、ゴ、ゴニア。私は大丈夫だから・・・。」


「きっと静かになりますよ。」


その場は鎮まるかもしれないが、あとあとで絶対に火に油だ。


「駄目だよ、ゴニア。そんなことしたら、先生たちも、私も、そしてエミリアも、きっと悲しむよ。」


今度はゴニアが泣き始めてしまった。


「でも、でも!悔しくて!」


イサベラは、歯を食いしばって、自分のために泣いてくれているゴニアの手を握り返した。


「ありがとうゴニア。ちょっと元気が出たよ。えへへ、でもゴニアの顔、べたべただよ。下に洗面所があったから、行ってくるといいよ。私はここで待っているから。」


「・・・はい、そうさせてもらいます。」


ゴニアは少し恥ずかしそうに、顔をこすりながら、部屋を出て行った。


ゴニアの涙。酷くなっていく表の群集。そして、いまだ眠りから覚めぬエミリア・・・。


部屋を移るときに、イサベラは見てしまったのだ。使用人たちが、慌ただしく家具類を入り口に積み上げているのを・・・。もう説得どころではない。事態はラダンが思っていたよりも、急速に悪化しているように見えた。


「ごめんね、ゴニア・・・。」


ゴニアが下りていく音を確認すると、イサベラは覚悟を決めたように窓を見た。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


ラダンは焦っていた。。


戦乱の時の経験から、民衆が容易く暴徒化することをよく知っていた。始めは、もう少し話が通じるかとも思ったが、彼らは聞く耳を持たなかった。


もし扉が破られたら・・・。いや、こうなったら、死守するしか選択肢はないのだ。


手ならある。金だ。


かなり痛い出費になるが、あれぐらいの集団を一時的に落ち着かせるぐらいの金貨の蓄えはあった。ラダンは顔も売れているし、群衆とて、知らない人間ばかりではないはずだ。しかし、イサベラのことを、分かってもらえるかどうかは、未知数だ。


「いやぁぁぁぁぁ!!」


ラダンの悩みは、ゴニアの悲鳴によって、強引に中断させられた。


何事かと、ラダンとマリー、使用人たちが部屋に駆け付けると、あけ放たれた部屋の窓の前で、ゴニアが座り込んで声をあげて泣いていた。


イサベラの姿はない。


「まさか!」


ラダンが慌てて窓から外を見たが、下に見える裏路地にも、すでに人影はなかった。しかし、表通りの群集が動き始めているのは見えた。


「あっちへ行ったぞ!」


もう何が起きたのかは明白だった。


「なんてことを・・・」


ラダンは呻くようにつぶやいた。王都の守り手シャインズガーディアンの早馬が到着したのは、そのすぐ後だった。

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